17/06/27 09:14:31.16 NEctJmTA0.net
リスクが大きすぎると渋るタカタを説き伏せて、エアバッグを作らせたのはホンダ。
いざタカタが苦境に陥ると、ホンダは簡単にタカタを見捨てた。
タカタを救済しようとしたのはトヨタだった。
> 1985年にホンダ(7267.T: 株価, ニュース, レポート)が開いた新年の賀詞交換会に出席したタカタの高田重一郎社長(当時)は、
> ホンダ側から打診されていたエアバッグ事業への本格進出をきっぱりと否定した。
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> 織物製造会社として創業したタカタは、すでに自動車のシートベルト事業を手がけていたが、エアバックの量産には乗り気ではなかった。
> 経営戦略として危険すぎると判断したからだ。
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> 「そんな危ない橋は渡れない」。同席した本田技術研究所の開発担当者(当時)、小林三郎に高田はそう話している。
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> しかし、タカタが生産する織物の丈夫な品質を高く評価していた小林は、それを使ったエアバッグシステムに強い関心を抱いていた。
> 小林は1980年代半ばにホンダの新しいエアバッグシステム事業を主導した人物である。
> 小林の著書によると、彼は丈夫な織物を使用したエアバッグを作るよう要請。最終的に、高田は決意を翻し、「危ない橋」を渡る決意を固めた。
URLリンク(jp.reuters.com)
ホンダ、タカタ依存見直し 欠陥エアバッグ問題で伊東社長「経営支援するつもりない」
URLリンク(www.sankei.com)
トヨタ幹部、タカタから調達継続表明
URLリンク(jp.reuters.com)
>「一旦供給を受け始めると家族の一員のようになる」とし、苦境に陥った部品メーカーに対しては「あらゆる手段を通して先ず支援する」と述べた。