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同じ頃陸軍経理学校で教育を受けた鹿内隆氏(元産経新聞社主)は、戦後になって「慰安所の開設」について
自分が受けた教育を回想し、
「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいいとか悪いとか、それからムシロをくぐっ
てから出て来るまでの、〝持ち時間〟が、将校は何分、下士官は何分……といったこと」(櫻田武・鹿内信隆『
いま明かす戦後秘史』上巻、サンケイ出版、1983年)
を規定した「ピー屋設置要綱」なるものが存在していた事実を明らかにしている。
もちろん「ピー屋設置要綱」というのは隠語であって、「慰安所設置要綱」が正しいと思われる。この鹿内氏の回
想は、陸軍経理学校において慰安所設置業務のためのマニュアルができていたことを明らかにするとともに、当
時慰安所といえば、もっぱら将兵向けの性欲処理施設を指していたことをも同時に示している。慰安所が軍の後
方施設であり、軍の編制に深くくみこまれていたことを如実に物語る証言といえよう。
このように軍慰安所が軍の後方施設であったことは動かしえない歴史的事実であり、そうである以上、「軍が関与
していなかった」などとはとうていいえないであろう。また、軍慰安所が軍の後方施設である以上、そこでおこなわ
れた性欲処理労働の強制や就労詐欺や誘拐による慰安婦の調達についても、最終的な責任が軍に帰属するの
は、これまた否定できない事実であろう。
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