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語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史
2015.08.23 14:00
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いま障害者は、ある危機感を持っていると熊田氏は言う。
「戦争などの有事の際には障害者は真っ先に切り捨てられる」というものだ。
日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さんは「障害者がすべての前触れになる」とよく話すという。
藤井さんは、自身も視覚障害があり、日本障害者協議会の代表を務める。
世の中の“空気”が変わった時に真っ先に切り捨てられる、生きている価値がないとして「価値付け」の対象になってしまう、そういう「変化」が一番早く押し寄せるのは障害者なのだと。
「平和じゃないと生きられない」ということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障害者たち自身だという。
日本兵「邪魔になるから殺せ」
沖縄戦をはじめとして多くの市民が犠牲になった沖縄では、障害者もまた、凄惨な体験をした。昨年6月の番組で、その体験が語られている。
1944年10月10日の「10・10空襲」。米軍機の大群が空を覆う中、左足にマヒがあった男性は一人で逃げられない。
近くに爆弾が落ちたが、死を覚悟しながら何とか生き延びた。
沖縄戦が始まった4月。那覇から北へ避難しようとした家族には2人の障害者がいた。
家族でサポートしながら逃げる最中、「障害者は足手まといになる」と周囲の人たちから嫌味を言われることもあった。
そんな中、視覚障害のある娘は父親に「私たち2人は置いていっていい」と告げた。父親はそれでも最後まで家族を守り続けた。
障害を理由に殺されかけた事例もある。
脳性小児まひで体に障害がある女性は、幼年時代、母親とともに満州から山口県に引き上げてきた。
そこへ日本兵がやってきて「障害のある子供は有事の時に邪魔になるから殺せ」と母親に青酸カリを手渡したという。
戦争中、障害者は「穀潰し」呼ばわりされることもあった。右半身にマヒがある男性もその一人。
障害のため、兵隊になって国のために戦えない。徴兵検査で不合格になり、「国家の米食い虫」と言われた。
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