16/07/07 23:09:39.73 fauDbcKL0.net
>>187
日本史はかくあるべし、という皇国史観が、後醍醐評価をゆがませたことは、
現代の中世史家がハッキリしているよ
「戦前の政府は後醍醐天皇をあがめ奉り、建武政府を破滅に追い込んだ足利尊氏に
悪の権化のレッテルを貼った・・・
後醍醐天皇が偉大な王であったことは、臣民に徹底して初等教育から教え込まれた。
子どもの頃に受けた刷り込みを克服することはきわめて困難である。
そのためか、『後醍醐=賢王』観の影響は戦後にまで及んでいる」
(本郷和人 『天皇はなぜ生き残ったか』 160頁)
そもそも、当時の有力な廷臣たちは後醍醐の反幕府志向に強く反対していたこと
後醍醐自ら組織できた武家勢力は、
多治見、土岐、楠木、赤松、名和と、
当事としては無名の者ばかりだったことを考えると、
ぶっちゃけ、すごく人望がなかった、ということが明白だったりする
また、よく後醍醐帝を褒めるために指摘される、
記録所を復興させた云々も、
もともと院政期に、院が使っていた『文殿』とよばれる官僚組織を、
院でなく天皇が使うために、
名前だけ『記録所』に戻しただけだったりする・・・
細かく見ていくと、後醍醐は暗愚な帝としか言い様がないんだよね・・・