16/05/25 17:06:38.63 q/J2IGsI0.net
>>691
人権と社会契約と立憲主義
人間は「幸せになりたいと思いながら自由に生きる生き物」だから
生きていること、幸せを願うこと、自由であることは根源的な権利のはずだ。
これを天賦人権説という。これは個人のみで成立する基本的概念。
人間は集まって暮らすほうが人権を実現しやすい。
しかし集まると人権の衝突を調整するためのルール(法律)が発生する。
ルールとともに善悪も発生し、そのルールを守らせるための社会権力も発生する。
これが社会契約説。
社会権力の担い手である政府が、社会契約を破って人民を抑圧する可能性がある。
そこで政府が正義であるためには、権力の範囲を定義し、暴走できなくする仕組みが必要になる。
つまり権力者は授権されるとともに根本的規範(憲法)で縛られることでのみ正統性を得る。
これが立憲主義。
天賦人権説によって社会契約説が導かれ、社会契約説によって立憲主義が必然となる。
その立憲主義を個別の国のそれぞれの時代でどう実現するかはさまざま。
だから各国の憲法には形式や規定に違いがあるし、状況に応じて改正もできる。
ただし憲法改悪や、放棄の危険は常につきまとう。
「戦う民主主義」の場合、人民が立憲主義を放棄するという「人民の自殺」が起こらないようにするため
民主主義それ自体の自己否定を禁ずるという理念を掲げる。
なお、社会契約実現の手段として最善である民主制を立憲主義の枠内で用いるのであって、
民主制が無条件に正義であるわけではない。
単純な民主制では「多数派の専制」や「人民の自殺」が生じるからだ。