16/03/19 00:17:10.63 tlsteQXm0.net
学友たちの間に「安倍がアメリカでホームシックにかかった」との話が広がるほど、安倍は友人に手紙を頻繁に出していた。
「こんな友人ができたとか、便箋5~6枚に日常を書いてくる。何ということはない内容だったが、頻繁に手紙が来れば寂しいんだろうと思ってしまう」(学友)
こんなエピソードもある。
安倍が、やたらと東京の実家にコレクトコールをかけてくるため、父・晋太郎が堪忍袋の緒を切った。
「毎晩のようにかけてくる国際電話代が10万円にもなる月が続いた。さすがに晋太郎さんが『何を甘えているんだ。それなら日本に戻せ!』と声を荒らげた」(安倍家関係者)
この長電話の一件もあってか、安倍は1年3か月の南加大生活を切り上げ79年春、“途中帰国”している。学位の取得もなかった。