15/10/26 00:30:12.34 WJTeTSo00.net
“ある容疑者を捕まえた検事が、”やってないだと?じゃああの場所で
誰が被害者を殺したんだ!おまえ名前いえるか?使ったのはナイフか?
ピストルか?それがいえなければおまえは自動的に犯罪を犯したことに
なるぞ!”と詰問していたら誰だってその理屈は変だと感じるだろう。
容疑者自身が真犯人や殺害の状況を具体的に述べることができなくたって、
だからといってはそいつがやったんだ!ということには絶対にならないからだ。
冤罪をはらす側、つまり”ない”といっている人間に殺害現場の具体的論拠を
調べて立証する責任はまるで必要ない。
警察や検察のように、あったと言いはっている立場の人間ならば、
己の論を通すにはそれを立証するのは義務ではあるが・・。
つまり両者の立場は等しくないんだよ。ある側が証拠をそろなきゃダメ
だといって、ない側がそろえる必要があるというわけじゃないんだよ。
ない側はある側の出した証拠を否定するだけでいいんだよ。冤罪を
晴らそうとする被告が、検察といっしょに真犯人の証拠を提出する
必要がないのと同じようにね。
南京肯定の連中は”ある”といってるのだから、いわば検事の立場だ。
あるといってんだから当然ある証拠(何音くらい死んだなど)論拠を自分で
もってこなければ論はとおらないのは当然だ。逆にあるといってる相手の
反対の立場、つまりないと反論している人間は、あるのだという証拠を
自分でそろえる必要はまったくない。
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