15/07/14 21:11:59.79 4LnK0gv60.net
>>400
日本の保守政治はずっと中途半端で
「国体」なんて言葉は使えない状態が続いていて
保守の定義があいまいだった。
その保守とは何かをバカにでも解りやすく説明したのが日本会議。
政治家は自民党を主体としてこれに飛びついた。
戦後60年を過ぎたあたりからそれまでタブーとされてきた戦争がらみの文言が
どストレートに飛び交い始め、
政治家はこの民族主義としてよい保守思想を手軽に自身の政治信条とするようになった。
その大きな切っ掛けが「拉致被害者をすくう会(これも日本会議系)」だよ。
そして政治信条を手軽に手に入れられ、
更にそのコネクションまで手軽に手に入れられるロピー団体「日本会議」が
機能し始めた。