15/05/11 00:20:31.99 kJk6z3rI0.net
日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいと
いうのが、その当時(昭和の初期)同胞の間では常識化して
いた風習だった。
「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」
こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側
では恨み骨髄にならざるを得なかった。家賃をもらうどころか
5,6ヵ月分の家賃に当たる金を立退料という名目で払わな
ければならなかった。こんなときその仲介の役割を果たすのが、
いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、
こんなブローカーが必ず何人かいた)
1,2年ただで住んでは立退料をせしめて家を空けてやる
こともあったが、時には引っ越した次の日に大家から立退料を
取ってまた引っ越していく場合もあった。 その立退料の半分
ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。
もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口が
その後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に
”チョーセンジン”を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも
事実である。【中村粲 文武新論 平成5年7月10日】72レス
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