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>>259
ワロタ
整理してみると、1937年12月26日に内務省の警務課長(数藤鉄臣)から兵庫県警察部長(纐纈弥三)宛に上海の徳久と、
神戸市の中野が協力要請におもむくので、何分の便宜をよろしくとの電報が届き、 翌27日には徳久、中野の両名が山下
内務大臣秘書官の名刺を携えた上で、軍に協力して目下最小限500名の慰安婦を募集中であり、 周旋業の免許のない
点には目をつむって、渡航許可を与えて欲しいと頼みこんだのであった。
兵庫県警察は違法行為には目をつぶり、二人の要請を容れて、集められた女性に身分証明書を発給した。長崎、大阪に
つづいて兵庫県警察も募集業者に協力し、慰安婦の調達に支援を与えたのである。それだけではない、非公式にではあ
るが、内務省の高官(秘書官や警務課長)も彼らに便宜をはかったのである。和歌山田辺の事件では大阪九条警察署長
が「内務省ヨリ非公式ナガラ當府警察部長ヘノ依頼」があったと回答したが、おそらく、この内務省メモのようなはたらきか
けが、大阪府警察部長に対してもなされたのであろう。
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