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冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、
1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
フィリピンに赴任した冨永はフィリピン決戦において陸軍初の航空特別攻撃隊、
万朶隊の出撃命令を出すこととなる。
続いて富嶽隊が出撃し、以後続々と特攻隊を出撃させた。
生存者によると
特攻前になると一升瓶をぶら下げて現れては訓示を垂れるしか能のない司令官だったという。
[要出典]特攻隊出撃前の訓示では「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。
最後の一戦で本官も特攻する」[2]と言う一方で、機体の故障等で帰還した特攻隊員は容赦なく罵倒して
62回にわたって約400機の特攻を命令しパイロット達を全員戦死させた。
中略)その間に司令官・参謀などの高級将校たちは残り少ない戦闘機を駆り出して護衛を命じ、
フィリピンのエチャーゲ南飛行場から台湾の台北へと続々と逃亡した。
積み荷はウィスキーと芸者たちであったという。