18/08/23 09:46:01.96 .net
>>865
「これをわかれと?」(コメント)
その意見に関しては、僕もその通りだと思います。「確かに、宮崎駿はやり過ぎてる」って(笑)。
ここに関しては、正直、明らかにバランスが狂っちゃってるんですよ。
というのも「恋愛モノだということで切ってしまっても、これくらいのことはわかるだろう」という理由の他に、
「もっと無意識の領域で作った『千と千尋』などの作品で矛盾点をいっぱい突かれて嫌だったから、
本当は全部考えてるんだけど、何も考えてないことにしよう」と思い切っちゃったというのがあるからだと思うんですけども。
さっきから言ってるように、『ハウルの動く城』というのは、ものすごく綿密に設定が組まれた作品なんですけど、
宮崎さんは、それを一切説明しようとしていない。宮崎さんとしては「恋愛モノには、そんなの不必要でしょう?
だって、第2次大戦中の恋愛ドラマを描こうという時に、第二次大戦に関する膨大な知識なんか必要ないじゃん!
カッコいい恋愛が描ければ、それでいいじゃん!」って言ってるんです。
だけど、いくらなんでもこれは説明しなさ過ぎだと思います。
「これだけのプロットを作ったんだから、ちゃんと言ってよ!」って思うんですけどね。
・・・
最後、魔女のソフィーと魔法使いのハウルは、空飛ぶ城で、自分たちだけは歳を取らずに優雅に暮らします。
「地上には干渉しない」ということですね。
ここでのソフィーは、黒いリボンが示す通り、魔女になってるんです。
空を飛ぶ城でのラストというのは、『ラピュタ』と逆なんですよ。
『ラピュタ』で「人は大地に帰らなければいけない」と言った宮崎駿が、20年後には「もう、空で暮らしたらいいじゃん!」
って言うくらい考え方が変わってきているんです。
『ハウルの動く城』の中では、重力は必ず“老い”の象徴として使われているんですよね。
だから、歳をとると身体が重くなるし、魔力が失われていくと荒れ地の魔女も階段も登れなくなっていく。
必ず、人が老いることと身体が重くなることをワンセットで語っているんです。
じゃあ、なんで最後に城が飛ぶのかというと、「老いの世界からも解放されたハウルたちは、
いついつまでも空の上で幸せに暮らしました」という究極のハッピーエンドを描こうとしたからなんですね。
・・・