18/07/31 10:57:10.56 .net
岡田斗司夫プレミアムブロマガ
「質問:京大法学部へ進むべきか、アニメを作るべきかで悩んでいます」
2018-07-31 07:001
URLリンク(ch.nic) ovideo.jp/okadatoshio-archive/blomaga/ar1612400
【質疑/京大法学部へ進むべきか、アニメを作るべきか】
カズキさん、18歳、浪人生。
「将来、何もなりたくなく、ただ行きたいというだけの理由で、京都大学の法学部へ進学すべく勉強をしていました。
ですが最近、以前のような気持ちでペンを取ることが出来ないのです。
幼い頃に夢見た、アニメ業界で働きたいという思いが心を染めています。
これは逃げなのかもしれません。私はどうしたらよいのでしょうか?
このままでは、どちらも不本意に終わってしまいそうで、怖いです」
・・・
あのね、まぁまぁ、逃げだと思うよ。結論から言うと(笑)。
どの辺が逃げか? っていうと、文章に現れてんだ。
はい、ここ注目ね。
「ですが最近、以前のような気持ちでペンを取ることができないのです」
って、あのね、勉強することを、ペンを取るって言う人はいないよ(笑)。
ペンを取るというのは小説家とか、そういう執筆業やってる人であって、
勉強することができないって言えばいいじゃん。
勉強することができないって言えばいいのに、ペンを取ることができないってことは、
その、なんだろうな、いわゆる表現に酔ってる状態なんだよ。
つまり、この悩みをできることが嬉しくてしょうがないっていうのかな。
この悩みが嫌じゃないってことを示してると思うんだよね。
(中略)
べつに僕、意地悪で言ってるんじゃなくて、文体というか文章っていうのには、
その人間の本音が、本音の一部というのかな。
心の温度とか、心のあり様・状態みたいなのが現れるんだよ。
だから、ケンカ腰の口調とか、あと皮肉っぽい口調というのがあるじゃん。
同じように、人間っていうのは文章書いた時にも、口調っていうふうなものから、
その人の問題点というのがちょっとわかる場合があってさ。