18/07/30 10:08:50.90 .net
>>402
これは、記録フィルムに残っている「ブリキの空き缶工作のやり方」です。
(パネルを見せる、フ?リキ缶工作) URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
まず、カッターみたいな機械で、ブリキの空き缶を回転させて上の縁を切り取る。
次に、手押し式の押し切り機で、ブリキのお腹をガシャッと割く。
最後に、ぐるぐる回るローラーで、ブリキの空き缶をペシャンコにして平たく伸ばす。
この3つの作業でブリキの空き缶を、ブリキの板にしていました。
これらは全て手作業なんです。でも、爆撃されたせいで工場とかが動かなくなっていた当時の日本では、
これくらいのレベルで良かったんですね。
アメリカ軍から使い古した空き缶をもらって、さっきまでトマトソースとかが入っていた缶を、
おばちゃんたちが洗って、縁をカットして、お腹を割いて、平たく伸ばして板にして、それで玩具を作っていった。
これが第2次大戦後の1945年から、だいたい51年くらいまでの日本の姿でした。
当時の日本は、こうやって安いブリキのオモチャを作ったり、他にも、安い洋服を作って、
アメリカに輸出して、これでようやっと敗戦のどん底のところから経済復興のステップに入っていきました。
その結果、1951年には、なんとか“サンフランシスコ講和条約”というのが結ばれて、
占領が終わり、日本は再び独立国になりました。
おめでとう日本!
・・・
ということで、ちょうどその頃、勝ったアメリカでは何が起きていたのか?
ということで、今度はアメリカに話が行きます。
アメリカの玩具メーカーに“マテル”という会社がありました。
このマテルという会社の社長の、ハンドラー夫妻がスイスに行った際に、娘のバーバラにお土産を買おうと見ていると、
“リリー人形”というカッコいい人形を見つけたんです。
(パネルを見せる、リリー人形) URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
女の子を模した人形なんですけど、大人っぽくて、大きさも30cmくらいあるんですね。
当時のアメリカでは「母性を刺激するようなオモチャがいいオモチャだ」と言われていたので、
とりあえずアメリカ中の女の子が持っていた人形というのは、赤ちゃんの人形しかなかったんです。
そんな中、リリーというメッチャカッコいい大人の人形を見た、ハンドラー夫妻は「これだわ!」と持って帰りました。
このリリー人形というのは、実は日本と同じく戦争に負けたドイツの商品で、
“ビルト”というドイツの三流新聞の1コマ漫画に出てくるコールガール、
つまり、売春婦のキャラクターを模した人形だったんですよ。