【デタラメ】岡田斗司夫618【チェレンコフ光】at OTAKU
【デタラメ】岡田斗司夫618【チェレンコフ光】 - 暇つぶし2ch433:おたく、名無しさん?
18/02/01 14:25:02.49 .net
>>424
 なぜかと言うと、ゲームというのは映画みたいに深いテーマを語ることが出来ないメディアだからなんですね。
前回、前々回に『ラピュタ』を扱ったんですけど、なぜ、あんなふうに語れたのかというと、
みんなが気がついていないテーマが作品の中にいっぱいあったからなんです。
だから、「宮﨑駿がやろうとしていたことを、僕らは案外、気がついていないよ」っていう話も、いくらでも出来たんですよ。
 でも、ゲームというのは、そこまでテーマを深くは出来ない。そのかわり、“語り口を狭くする”ことが出来るメディアなんですね。
 狭く語るというのはどういうことかというと、例えば、宮﨑駿は『天空の城ラピュタ』を作る時、
最初は「完全にパズーの視点だけで作りたい」と言っていたんですよ。つまり、「場面転換というものをほとんどせずに、
パズーが自分の体験を通して目にした光景だけで、全てのストーリーを語りたい」ということなんですけども。
やっぱり、それで映画を作るのは無理があるんです。
 ところが、ゲームというのは、語り口を狭くすることで、「その世界を見せる」ではなく、
「その世界を体験させる」ということが出来るんです。
 『ゼルダ』もそうですし、『ドラクエ』なんかもそうなんですけど、こういったゲームでは、
ほとんどの画面は“プレイヤーの分身である主人公の目を通して見た世界”になるわけですね。
それまで見えていたものから別のものを見せようと思うと、その度ごとに主人公を移動させなきゃいけなくなるから、
映画みたいに簡単に場面転換するわけにもいかない。
 そういった、すごく狭い覗き口から世界を見ることになるので、逆に言えばゲームの中での“体験”の度合いがすごく高いんです。
 これについては、もうちょっと後で詳しく説明します。
・・・
 実は、僕が思うに、こういう作り方って、宮﨑駿の目指しているある種の理想じゃないかと思うんですよ。
 宮﨑駿って、一時期、新たにコンピュータグラフィックスを取り入れたりして映画を作ろうとしていましたよね。
今では、それをやめて、全て手描きでアニメを作ると言っているんですけども。
 宮﨑駿が『ラピュタ』の時にやりたかった「主人公の視点だけを見せる」というドラマを作るのであれば、
僕は、CGでなく、ゲームの製作をすべきだと思うんですよ。
 『ゼルダ』の新作でもなんでもいいんですけども、宮﨑駿がやりたかった「できるだけ狭い視点の中で、主人公が成長する話」を
ゲームという形で作れば、それは、確実に宮﨑駿にとって、もう一度、何かを作るきっかけになる。
さらに、その作品を通じて、世界に与える影響も大きい。アニメ界だけでなく、映像作品としてもそうですし
、体験モノとしても、明らかに次のステップにいける作品になると思うんです。
なので、「宮﨑駿はゲーム開発をすべきだな」って思ったんですけど。


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