18/01/16 10:37:08.99 .net
>>578
じゃあ、それがどんなものなのかというと。例えば「ナウシカが跳ねられて死んでしまった後、王蟲はナウシカだけを連れて腐海に帰っていく。
その後、ナウシカは王蟲の力によって生き返るかもしれない。でも、もう人間の世界には帰らない。そして、王蟲達も人間を見捨てて、
森の中に帰ってしまった」というアイデアもあったそうです。つまり、人間達は王蟲さえ来なければ希望があると思っていたんだけど、
本当の希望はナウシカだった。では、希望を失ってしまった残された人間たちはどうなるんだろうという、苦味のあるラストシーンですね。
そんな話も考えたそうなんです。
ところが、その話を聞いた高畑勲が「それでいいじゃないか」と言うと、宮﨑駿は、「いや、それをすると手塚治虫になります!」というふうに答えるんですね。
いや、このラストも、わりと良いと思うんだけど。なぜか宮﨑駿の中では「最初に思いついたアイデアは、手塚治虫っぽいからダメ」となるみたいなんです(笑)。
もう1つ、宮﨑駿が思いついたアイデアというのが「王蟲が成虫になる」というラストなんですね。
つまり、「王蟲というのは、実は幼虫だった」と。まあ、芋虫ですからね。あれは巨大な幼虫で、ナウシカとのラストシーンの後、
王蟲の背中がバキバキッと割れたら、巨大な羽が生えてきて、そのまま宇宙へ飛び立ってしまう。
人類は王蟲に滅ぼされなかったんだけども、王蟲は地球を見捨てて他所の星へ旅立ってしまった。
地球は今、神様がいない世界も同じ。まあ、つまり、『ゴドーを待ちながら』ですよね。
そんな、神がいない世界としての地球が、見捨てられた土地、エデンの東として残されるという話。
このアイディアについては、この『Cut』のインタビューの中でも語ってるんですよ。
しかし、インタビュアーが「それ、いいじゃないですか!」と言ったら、
「そんなのは宮﨑駿がやることじゃない。それは手塚治虫だから、ダメに決まってます!」っていうふうに言うんです(笑)。
ここで重要なのは、「そんなのは手塚治虫だ!」という部分ではなくて、「宮﨑駿は、そんじょそこらのアイデアでは納得しない」というところなんですね。
本当に、自分の中でアイデアを50も60も出して、その99%ボツにして、「これしかない!」というものを絞り込む。
そして、その過程で「絵的にカッコいい」とか、「その方がウケる」というものを、徹底的に排除する人なんですね。
つまり、宮﨑駿というのは、安直というのを何よりも嫌う人なんですよ。
・・・
話を戻しますけども、安直さを嫌うからこそ、エロスというのをわかりやすいエロシーンとしては絶対に描かないんですね。
だからといって、「エロを描かない」なんていう、くだらないこともしないんです。
つまり、この「映画の中で、ちゃんとやることはやってるんですよ」という発言は、
「それをエロいとわからないのは、もう、お前らの責任であって、俺はちゃんとやっている」ということなんですね。
エロをそのまんまやるようなバカな真似は俺はしないというのが、宮﨑駿の主張なんですよ。
なので、かなりひねった形でやるんです。