18/01/16 10:36:33.74 .net
>>577
このシーンについて、インタビュアーの人は、「なぜ、ここで二人はキスをしないんですか?」と宮﨑駿に聞きました。
すると、宮﨑駿は、「そんなこと、いちいち描かなくても、ちゃんとこの映画の中では表現してる」というふうに答えるんです。
「やってることはやってます」というふうに。
じゃあ、それは何かというと。
パズーとシータが、海賊ドーラの飛行船であるタイガーモス号に取り付けられているハンググライダーみたいな観測用の凧に二人で乗って、
空に上がった時、突風が吹いて、グワーンと吹き飛ばされるんですよ。この時、怯えたシータは、パズーに強く抱きついている。
それを受けて、パズーが彼女を安心させるように振り返るんですけど。
アニメーターから上がってきた、振り返った時の絵のパズーの表情が弱かったそうなんですね。
で、宮﨑駿は、さっそくそのカットを担当したアニメーターを呼んで、説教します。
「お前、わかってるのかっ!? 仮に、お前の後ろから、大好きな女の子が怖がりながら小さいおっぱいをくっつけて来ているとして、
その膨らみを背中に感じているという時に、お前はこんな顔をするのかっ!?」「違います!」「じゃあ、それを意識して描き直せっ!」
ということで、このカットは完成したそうです(笑)。
これ、どういうことかというと、男というのは、女の子に頼りにされているということを
“肉体的に”感じるからこそ、頼り甲斐というものを発揮できるのであり、それを描くのがアニメなんだと言っているわけです。
つまり、宮﨑駿っていうのは、エロいんですよ。ただ、そのエロさというのは、僕らが知っているような“安直なエロさ”ではないんです。
・・・
これは、宮﨑駿を語る際に、最初に言っておかなきゃいけなかったことなんですけど、宮﨑駿というのは、安直なことを何よりも嫌う人なんです。
僕、この1週間くらい、延々と宮﨑駿関係の過去のインタビューを読んできた中で発見したんですけども、
宮﨑駿には「そんなのは手塚治虫だ!」というのキメ台詞があるんですね。
これはもう、手塚治虫を仮想敵と定めていた宮﨑駿だから出て来る台詞なんですけども。
誰かに「そこの展開はこうしないんですか?」というふうに言われたら、
すかさず「そんなのは手塚治虫が考えそうなことだから、やらないっ!」というふうに答えるんですよ。
いや、別に、手塚治虫もそんなこと考えないんですけどね(笑)。
例えば、僕が一番好きな話に、「『風の谷のナウシカ』のラストシーンをどうするか?」という問答があるんです。
僕らが知っているラストシーンというのは、「ナウシカが立っている場所に王蟲が走ってきて、ナウシカがドーンと跳ねられて死んじゃって、
『その者、青き衣を纏いて金色の野に降り立つ~』って、復活する」というものですけど。
宮﨑駿には、これ以外にもいくつものアイデアがあったんです。