18/01/13 20:14:17.76 .net
>>270
話を戻すと、ピコ太郎が世界でヒットしたように、海外ユーチューバーとの競争が数年以内に始まります。
言語の壁が溶けてなくなって、僕らが喋ったことが、一瞬後に英語になって音声で出てくるようになるからですね。
アメリカ人のユーチューバーが話した、わかりにくいテキサス訛りの英語が、一瞬のうちに、
ほとんど口の動きの不自然さを感じるか感じないかのところで、その人のキャラクターにあった声の日本語で
自動的に翻訳される世界というのを想像してみてください。それが10年後の世界です。
そんな世界の中で、日本人のユーチューバーというのが、どれくらいのアドバンテージ、優越性を持つのか?
確かに、日本でしか発売していない商品、例えば「コンビニで売っている新商品のポテチです。
これを今から食べます」みたいなことだったら、まだ優越性があるかもわかりません。
しかし、10年後の世界のコンビニでは、おそらく日本全国で売っている商品というのが、どんどん少なくなってると思うんですね。
この世界というのは“無限にローカル”か、“無意味にグローバル”かのどっちかになっていくんですよ。
その町内でしか売ってないとか、その地方でしか流通していないご当地商品というのは残るんでしょうけども、
日本全国みたいな中途半端な範囲で売るというのは、あまり意味がなくなっていく。
「日本全国で売るくらいだったら、世界で売った方がいいいじゃんか」と、誰もが考えるだろうし、
必然的に「世界で売れないものは、大阪の堺市だけで売った方がいいよ」という判断になるからですね。
そうなってくると、仮に10年後の時代まで「YouTubeで広告収入を得る」という仕組みが残ってたとしても、
そこは無意味にグローバルな人達の競争の場になってしまっている。
そして、日本人に残されたローカルな場だけでは、今現在のユーチューバーのような、
広告収入で生きていく人達の生活が成り立たなくなっちゃうんですね。
そこはもう、ボランティアの人達の活動の場になっていく。
言語の壁が全くなくなると、無意味にグローバルな人達との競争が始まるんですよ。
もちろん、そんな中でも、日本人のユーチューバーとして、面白いアイデア出して、活動を続ける人もいると思います。
でも、その裏には15億人のインド人が、「よし、今日の午後はこいつをパクってやろう!」と山のように控えてる。
さらにその背後には、その時点では15億人もいないんだけども、同じような中国人たちが「よし、これをパクってやろう!」と待ち構えているんですね(笑)。
無意味にグローバルな世界の中では、僕ら日本人というのは、全世界、70億人か80億人かの中の、たった1億人に過ぎないんですよ。
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