16/09/30 03:42:07.01 .net
成果物としては、評論は一切必要なく、作品だけあればいいんだよ。
作品を出すうえでの中間生成物としての評論はあっていいが、
評論のみを抽出してアウトプットする必要は全くない。
例えば、映画を作るうえで脚本は必要だが、脚本のみでは作品たりえない。
それはキッチリと映画作品として仕上げてもらわないと。
まず映画ありきで、それに従属する形であれば、脚本も作品たりうるだろうけどね。
映画においてクリエイターが行う評論ってのも、その類のもんだ。
映画を作るうえで、他の作品をどのように意識し、咀嚼したかを語るような
小話的な位置づけにはなりえるだろうが、それ単体が成果物にはなりえない。
あと、仮に評論そのものがクリエイティブなものであったとしても、
岡田の評論には全くクリエイティビティを感じない。