15/04/07 11:58:33.57 96Tcuegj0.net
旧大学区時代の市内序列1位は旭丘、2位は明和、3位は瑞陵だったが、
旭丘と比較して明和、瑞陵の凋落幅が大きかった理由は、以下の通りだよ。
(明和)
・旭丘と異なり、明和の虎の子の地盤は名古屋市外、郡部だった。
したがって「地元高校への進学指導」の影響をモロに受けた。
・“弟分”である千種が、明和の代替校としての役割も果たすようになった。
・明和と私立の東海の支持層も重なっていた。、東海専願に「青田買い」された。
・学校群後期以降に五条が本格的に台頭してきて競合した、大学合格実績でも並ばれた。
(瑞陵)
・愛知県内の高校で学園紛争が最も激しかった。
・明和と比較しても、学校群の組み合わせに恵まれなかった。
・地下鉄鶴舞線が開通して、市立向陽へのアクセスが大きく向上した。
・当時、市立高校と県立高校の設備にはかなりの落差があって、
15群(市立向陽・市立菊里)に見劣りした。