18/03/20 17:35:21.78 CSRl6Kr50.net
前回コメントをくださった方には感謝申し上げたい。
しかし、私の話も含めて、話が少しふわふわした話になってきた。
ネット特有のデマになりがちなので、ここで整理したい。
信条教育を信仰者以外が担うことについて話をしたい。
天理教には各種学校が複数ある。
それは一般課程に重きを置いたものから、
布教者を養成するような天理教の専門学校のようなところまである。
天理高校や天理大学というのは天理教を信仰しない一般学生も多く入学する。
天理高校は入学の条件に「天理教子女」とあるが、
スポーツで優秀な成績の者などは、適当に子女にされることもあるようだ。
天理大学は天理教を何も知らない学生も入学する。
しかし天理高校は「教義」の時間が必修であり、
天理大学も「必修」で天理教を学ぶ単位が用意されている。
これらの学校では天理教を学ぶという信条教育が最大の特徴である。
では信条教育の必要十分条件とは何だろうか。
それは教員が全て天理教信仰者であることだろうか、
全生徒が天理教に対して好意的であることだろうか。
私が考える信条教育の必要十分条件は「信条教育がある雰囲気」だと思う。
どのような雰囲気で教育を行うかということである。
その雰囲気に「教え」が漲っていることはとても大切だと思う。
特に天理教本部がある土地は、独特の雰囲気がある。
私にはよく分からないが、あの土地を「特別な雰囲気」とする方は
多いのではないかと思う。
熱心な信者にとっては「ぢば」を母胎のような包まれた場所や
神を感じられる場所として捉える方がいても私は不思議に思わない。
信仰とは別に、環境としても
京都や大阪からは少し離れた自然の多い学習環境にはとてもいい場所だと思う。