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テストだおっお - 暇つぶし2ch214:<丶`∀´>さん
19/09/02 02:04:44.81 .net
野依良治の視点|野依センター長室から|研究開発戦略センター(CRDS)
URLリンク(www.jst.go.jp)

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。
そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。
しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。
論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。
営利目的の商業出版社が由々しき論文引用数至上主義を喧伝し続ける結果、有力ジャーナルのImpact Factor(IF)神話が、若い研究者に学問の本来の価値を見失わせ、せっかくの精神高揚の機会を損なわせていることは、甚だ残念である。
。被引用数は各分野における発表論文のいわばエコー(反響)の度合いにすぎず、決して科学的創造や進歩への貢献を反映しない。
また、中国の急激な伸長に比べて、わが国の計算機科学の論文数、被引用数シェアの低さがしばしば話題になるが、指導者たちにはこの評価が気に入らない。
「この分野は日進月歩なので、過去の仕事をまとめるよりも、斬新な発想の提案が大切であり、その披露は論文誌ではなく、有力な国際会議で行う。その講演録(proceeding)が大切なのだが、これは被引用数の対象とならない」という。
もし優秀な研究者の多くが、本当に新規性に注力しているのであれば、心配は無用である。
かつてわが国の強みであった工学も分散的傾向が強く、論文よりも特許や実用新案などに関心が大きいのでなかろうか。先人が綿々と紡いできた「匠の技」は現代の科学技術、産業技術にいかに貢献しているのか。日本語で書かれた数多くの技術論文の実社会における評価も気になっている。
 なお、爆発的な勢いで生産される中国発の高被引用数論文の相当数が、中国語で書かれている。これが何を意味するのか、中国語を読めない私には、今しばらく様子を見なければ判断できない。


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