19/12/13 21:41:28.58 qwfb0qW+.net
【主な登場人物まとめ】二
海底世界の住人
・チョウ(湫)……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。それゆえ不真面目な兄のことが許せない。
椿に恋してしまい、修行が手につかなくなっていたが、師匠の祝融に励まされ、再び修行を開始する。
ユージンを人間だと知りつつ自分の身体の中に住むことを許している。
・椿(チュン)……元ユージンの妹で人間。今は海底世界の住人。渦潮に飲まれて海底世界へ落ち、クスノキの老人に助けられた。
名門『樹の一族』の養女。薄紅色の『気』が使える。人間の記憶はすべて消されている。
真面目で頑張り屋。ユージン曰く顔はそこそこ可愛いが、小うるさくて地味な女の子。
自分を助けたがために死んでしまった人間の青年を生き返らせようと、霊婆の元から青年の魂を貰って来た。
赤い魚の姿をした魂にランと名前をつけ、いつも連れて歩いている。
・ラン……椿が育てている赤い魚。周囲からは神獣の子だと思われているが、実は椿を助けて死んだ人間の魂。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
下半身を鹿に変えて、悪者を踏み潰したり人を背中に乗せて走ったり出来る。
スラリと背が高く、中性的な顔立ちに魅力的な2本の短い角を持ち、嘘さえつかなければ女の子にモテない要素はない。
木の上から落ちて頭を打ち、意識を失ってから植物鹿人間になってしまった。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
見かけによらずアイドルオタク。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
・霊婆(リンポー)……死者の魂を司る仙人。一つ目を描いた布で顔を隠している。名前は女性だが性別不明の老人。
『気』の海に浮かぶ島に猫とともに一人で住んでいる。
401:創る名無しに見る名無し
19/12/14 16:38:03.15 dQD60hl/.net
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402:創る名無しに見る名無し
19/12/14 17:26:50.65 skQNeN+d.net
「君は……『樹の一族』のお嬢様だね?」赤松子はそう言うと恥ずかしそうに頭を掻いた。
「とても可愛らしいお嬢さんだなと思っていた」と言おうとしたら椿の「はい」という返事に言葉を切られ、赤松子は泣きそうになった。
助けを求めるように後ろのチョウに声をかける。
「やぁ、君は祝融のお弟子さんの……」
「チョウです」ぺこりとチョウは頭を下げた。「よろしく、赤松子」
「そしてこの子は……」と言って赤松子がランを見下ろした。
「ランです」椿が自慢するように微笑む。「神獣の子で、わたしの……」
「違うでしょう」赤松子が急に厳しい顔つきになる。「これは神獣ではない」
椿が緊張して身体を強張らせた。
「どうしたのだね? 霊婆め、これを君に持たせたのか?」
椿は俯き、黙ってしまった。
チョウはその後ろで何とかしてやろうとしているが、何も出来ない。
ランは無邪気に椿の回りをゆっくり飛びながら、赤松子を見上げて嬉しそうに微笑んだ。
「君は、わかっていてこの子を連れているのか?」
赤松子に問い詰められ、椿はようやく顔を上げ、言った。
「赤松子さま、わたし喉が乾いたわ」
「えっ?」
「そこの茶屋でお茶をご一緒しません?」
403:創る名無しに見る名無し
19/12/14 17:40:08.40 skQNeN+d.net
三人は並んで長椅子に座り、茶を飲み団子を食べた。
チョウはユージンの存在がばれないよう、橙色の『気』を強く放ちながら団子を食べた。
赤松子が椿越しにへんな奴を見るようにチョウを見た。
椿は正直に本当のことを赤松子に話した。
成人の儀で人間界に行った時、魚捕りの罠にかかって死にかけたこと。自分を助けてくれた優しい人間の青年がいたこと。
青年がどれだけ美しかったかということ。自分を助けたせいで、青年が渦潮に呑まれて死んでしまったこと。
ただひとつ、生き返らせようとしていることだけは言わなかった。
「なるほど」赤松子は団子に手もつけずに話を聞いていた。「君の気持ちはわかる」
「聞いてくれてありがとうございます」椿が一礼する。
「しかし、わかっているとは思うが、これは自然の掟に反することだ」
椿は礼をしたまま目を伏せた。
「可哀想だが、それが青年の運命だったのだ。君が遺憾に思うことはない」
椿は項垂れてしまった。
「……なんて、言えたらなぁ~」
赤松子の口調が急に変わり、椿はびっくりして顔を上げた。
404:創る名無しに見る名無し
19/12/14 17:53:02.07 skQNeN+d.net
「椿ちゃんの気持ちは本当によくわかる」赤松子は目に涙を溜めながら言った。「私だって同じことをするかもしれない」
椿は黙って話を聞いている。
チョウは緊張を緩め、危うく橙色の『気』が弱まりかけたのを慌てて戻した。
「しかし、その人間の魂。もう大分育っているであろう?」そう言って赤松子は椿の膝で休むランを見た。
「はい……」椿はゆっくり首を縦に振った。
「人間の魂は霊婆の島を出ると、育ちはじめる。その魚、何も餌を食べぬであろう?」
「そうです」わかっている、という風に椿は頷いた。
「魂は食べ物を必要としない。ただ、愛を必要とする」
チョウが団子を喉に詰まらせた。急いで茶を口に運ぶ。
赤松子は続けた。
「愛されれば愛されるほど、急速に成長するのだ。君が愛すれば愛するほど、彼は化け物のようになってしまうぞ」
「あ……」ユージンはここ最近で急速に魚が大きくなっていることに思い当たった。
405:創る名無しに見る名無し
19/12/14 18:08:00.62 skQNeN+d.net
「返すのだ」赤松子は冷たい表情に優しい声を乗せた。「君の気持ちはわかる。しかし彼をここにいさせては、皆が不幸になる。
「彼はなりたくもない化け物にさせられ、世界を壊しはじめるだろう。君が望んでいるのはそんなことではない筈だ。
「恩を受けた。返したい。側に置いて愛を注いでやりたい。その気持ちはわかる。しかし、結果が見えている。
「祝融ならばここで彼を滅するであろうな。しかし、壊した魂は二度と人間界に戻らぬ。永遠に冥界をさまようことになる。私にそれは出来ん。
「霊婆の元に返すのだ。霊婆なら魂の大きさを変えられる筈。元の小さな魚に戻し、生まれ変わるまでガラス瓶の中にいさせるのだ」
406:創る名無しに見る名無し
19/12/14 18:21:15.91 skQNeN+d.net
椿は話を聞きながら泣いていた。
泣きながら膝の上のランの背中を撫でていた。
心なしか目の前でまた少し魚が大きくなったようにユージンは思った。
「椿……」チョウが言った。「赤松子、ちょうど明日、俺達、霊婆のところへ行くんだ」
「それはまた物好きだな」赤松子はチョウを見た。「何の用があって?」
「友達の魂が戻って来ないんだ。だから、その時に……な? 椿」
チョウは椿の顔を覗き込む。
椿は暫く何も言わずに泣いていたが、遂には首を縦に振った。
「返しに行こう、ランを」チョウは優しい声で言った。「いいな? 椿」
椿がチョウにすがりついてきた。チョウの耳元で小さな嗚咽が聞こえる。
チョウは抱き締めてやろうと手を回し、右手でポンポンと椿の背中を叩き、左手で赤い髪をポンポンと撫でた。
407:創る名無しに見る名無し
19/12/14 18:51:03.39 skQNeN+d.net
「君を信じているよ」
茶屋を出て、手を振りながら赤松子は言った。
チョウがぺこりと頭を下げる。並んで椿も頭を下げたまま、震えながらランを胸に抱き締めている。
赤松子は椿を見て同情するような表情を一瞬したが、威厳を取り戻すと背を向け言った。
「また、見に来る」
408:創る名無しに見る名無し
19/12/15 00:21:03.39 V+EmR6yE.net
つまらん
409:創る名無しに見る名無し
19/12/15 08:51:31.91 eRmybZ+1.net
チョウは椿を送って行った。
まっすぐ歩けない椿の手を繋いで、何も言わずに歩いた。
何を言っても椿の慰めにならないとわかっていた。
ランは何もわかっていない顔をして、ただ心配そうに椿の側をついて来た。
夜、布団の中で、眠ろうとしているチョウにユージンが言った。
「ねぇ、チョウ」
「ん?」
「明日、椿、ランを連れて来るかな」
「来るさ」
「でも……」
「椿はそういう奴だ」チョウは言った。「自分のわがままのために皆を不幸にしたりしない」
410:創る名無しに見る名無し
19/12/15 09:33:29.32 eRmybZ+1.net
次の日、仕事を終えるとチョウは、まっすぐルーシェンの容態を見に行った。
クスノキの老人の小屋は『樹』の町寄りではあるが、『火』の町との中間にある。
ゆえに別の場所で椿と待ち合わせすることなく、まっすぐ向かった。
小屋に入るとすぐにメイファンが言った。
「いらっしゃいませ☆ご主人様~」
メイファンは黒いメイド服を着、もえもえきゅん等と言ったが、チョウは無視して奥へ進んだ。
椿はまだ来ていなかった。
ルーシェンは何も変わらず、アホ面をして眠っていた。
「ルーの魂、戻って来ないのか、じいちゃん」チョウがクスノキの老人に聞く。
「ウム。やはり霊婆のところへ連れて行くしかあるまい。早いほうがいい」
「おじいちゃん」椿がそこへ飛び込んで来た。「ルーは?」
椿は元気が戻っていた。後ろからランをがふわふわと空を泳いでついて来た。
411:創る名無しに見る名無し
19/12/15 10:04:23.89 eRmybZ+1.net
「霊婆は夜しか舟を出さん」クスノキの老人が言う。「椿よ。行き方はもう覚えたか?」
「うん。大丈夫よ、おじいちゃん」
「二人で行くのか?」
「あぁ」チョウが答える。「夜だと他に手伝ってくれそうな奴、いねーし」
「ルーシェンに身内は?」
「いないんだ。コイツ、木の股から産まれたから」
ユージンの頭の中で、ルーシェンの「また騙された~、チョウ」と面白がる声が聞こえたような気がした。
「では……」と老人はメイファンをチラリと見た。
「は? 私に手伝えって言うの?」メイファンが意外そうな顔をする。
「暇なのであろう?」
「子供に何が出来るって言うの? 大体、お外は危ないし。私、その鹿が死のうが馬になっちゃおうがどうでもいいし」
「そうよ、おじいちゃん」椿が止めた。「メイファンちゃんは子供なんだから。それに……」
椿は少し頬を赤くすると、言った。
「わたし、チョウと二人きりで行きたいの」
412:創る名無しに見る名無し
19/12/15 10:38:14.97 KGQXtRZj.net
「わたし、チョウと二人きりで行きたいの」
帰ってからずっとチョウは、熱にうかされたように独り言を呟いていた。
「二人きりで。二人きりで~~! ウフーッ!」
修行も手につかずにただベッドの上を転げ回る。
「二人きりがいいの。邪魔者はいらないの。イヒーッ!」
「チョウ」たまらずユージンが声をかけた。「あんまり喜ばないほうがいいと思うよ」
「は? 何でだよ? 大体喜んでなんかねーし。ブフッ!」
「女は怖いから」
413:創る名無しに見る名無し
19/12/15 10:49:47.28 KGQXtRZj.net
ひとしきり大喧嘩した後、チョウはベッドに大の字に固まった。
「ところでさ、ぼく、考えたんだけど」ユージンが言った。「ルーシェンのあの大きな身体を運ぶの、大変そうじゃない?」
「板に乗せて二人で運ぶんだ。大丈夫だよ」
「でも椿、女の子だよ?」
「……うん」チョウが困った顔をする。「それは思ってた」
「それでぼく、考えたんだけど、ぼくがルーシェンの身体に入って、自分で歩けば楽じゃない?」
チョウがはっとした。思いつきもしなかった考えを頭の中でシミュレーションしているらしかった。
恐らくチョウの頭の中ではルーシェンが下半身を鹿に変えて歩き、その背中に椿が乗り、椿を守るように抱きかかえて、王子様のような自分が乗っていた。
しかしチョウは首を横に振った。
「駄目だ駄目だ駄目だ」チョウは厳しい口調で言った。「人間であるお前を自由にはさせられねー」
414:創る名無しに見る名無し
19/12/15 12:32:24.04 h2HIeK7E.net
夜が更けた。
クスノキのたもとに椿は先に来て、待っていた。
椿のすぐ隣にはまた少し大きくなったランが浮遊している。
椿は『樹の一族』特製の板の担架を持って来ていた。
薄く、軽く、四隅に取っ手がついており、これならば二人ででも楽にルーシェンの身体を運べそうだった。
「いいわ、おじいちゃん」
椿がそう言うと、木の上からするすると、蔓がルーシェンの身体を降ろして来る。
板にそっと乗せ、持ち上げてみると意外なほどに軽かった。
「軽いな」チョウが嬉しそうに言った。
「うん」椿も笑い、頷いた。
「コイツ、身体でかいけど、細いから助かったぜ。これなら運べそうだ。あ、もちろん椿の板のおかげで、な」
「行こう」椿が楽しそうに言った。
チョウが前に立ち、二人はルーシェンを乗せた担架を二人で持ち、歩き出した。その後をランが泳いでついて行った。
「気をつけてな」頭上からクスノキの老人の声がした。
415:創る名無しに見る名無し
19/12/15 12:44:10.64 h2HIeK7E.net
「二人きりじゃなくしてごめんね」ユージンが言った。
「いや、二人きりだよ」チョウは鼻唄を歌うように言った。「お前は俺の一部だから、立派な二人きりだ」
二人の会話は小声でも骨を伝わってよく聞こえるので、椿には聞こえていない。
二人は『樹』の森を抜け、『火』の町に入って行く。
担架を通じて椿の手の細さがチョウに伝わって来る。
「大丈夫か?」
チョウはたびたび振り返り、聞いた。
「うん、大丈夫」
そのたびに椿はそう答えた。
二人は町外れのチョウの家の前を通ると、夜でも赤さの浮かぶ『火』の森に入って行った。
なんだか後ろが下がって来た。
振り返ると椿が一生懸命な顔をして、汗をかいている。
「きつくなって来たか?」チョウが声をかけた。「ここらで休もう」
416:創る名無しに見る名無し
19/12/15 12:54:24.84 h2HIeK7E.net
「ううん、大丈夫」椿がにかっと笑った。「ルーのために急がないと」
「なんか無理してる笑顔だよ」ユージンが小声で言った。「チョウは大丈夫?」
「おう。俺は軽いもんだ」
そう答えてチョウはもう一度振り返る。椿は口で息をし、顔を赤くしている。
「頑張れ。森を抜ければすぐだ」
「うん!」掛け声のような返事が返ってきた。
「チョウ」ユージンがまた小声で言った。「ぼくをルーの中に入れて」
「駄目だって言ってんだろ」
「でも、椿が……。あれは相当きつくなってるっぽいよ」
「頑張ってんだ。邪魔すんな」
「うーっ!」椿が遂に苦しそうな声を上げはじめた。「うーっ!」
「椿、やっぱり休もう」チョウが見かねて言う。「無理はすんな」
椿は頑なに首を横に振った。
417:創る名無しに見る名無し
19/12/15 13:14:31.86 h2HIeK7E.net
「チョウ」ユージンが新しい提案をした。「ルーが駄目なら、椿にぼくを入れて」
「は? それでどうなんの?」
「ぼくが中から力を貸してあげれば椿は二人力になる。それに椿を休ませてあげられるだろ」
「はぁ……ん。でも……」
「椿は意識があるからぼくも自由には動けない。力を貸してあげるだけ」
「なるほどな」チョウは急いで考えをまとめ、言った。「そうしよう。で、どうやってお前を椿に移せばいい?」
「前におばあちゃんに移したろ。あれみたいに……」
チョウの頭におばあちゃんを椿に変換した光景が浮かぶ。
椿の肩を掴み、顔を寄せ、開かせた椿の口に、自分の口を近づける。
椿の温かい吐息が、唇が、迫って来る。
「はわわわ!」チョウは思わず声を上げた。「ひゃ……ひゃははは!」
「何笑ってるの!?」後ろから椿の怒ったような声が飛んで来た。
「口はつけなくていいんだ」ユージンが小声でさらに言う。「二人で口を開けて近づいてくれれば、飛び移れる」
「無理……! 無理……! ひゃははっ!」チョウは顔をひきつらせ、笑い声にしか聞こえない叫びをまた上げた。
「笑うなーっ!」
「椿!」ユージンが大きな声を出した。「限界でしょ? 休んで! このままじゃ港までに君の力が尽きちゃう!」
418:創る名無しに見る名無し
19/12/15 13:35:20.10 PiqdtjbZ.net
担架を下ろし、大樹に凭れて二人は休憩をとった。
二人の苦労も知らず、相変わらずのアホ面で寝ているルーシェンの顔を月が照らした。
椿は目を閉じ、腰につけていた水を飲み、汗を拭きながら荒い息を整える。
チョウはその横顔をじっと見ていた。はぁはぁと半開きで息をするその赤い唇を見ていた。
「椿。ユゥが、さ。言うんだ」チョウは切り出した。「お前の中に、入れろって……」
意味がわからなかったらしく、椿は頭に疑問符を乗せた。
さっきユージンが言ったことをそのまま説明すると、椿は答えた。
「そっか。二人力になるのか……。いいよ。やろう」
「や……やるの?」
「うん。なんで?」
「い……嫌じゃねーの?」
椿はチョウの顔をじっと見つめると、ふっと微笑んだ。
「嫌じゃないよ」
419:創る名無しに見る名無し
19/12/15 18:56:27 PiqdtjbZ.net
チョウは地面に手をついた。椿も手をついた。お互いが同時に手をついたので、重なってしまった。
上になった椿が退けないので、チョウも手を退けなかった。椿の体温が伝わって来る。
チョウが顔を近づける。椿のほうからも近づいて来た。椿は目を閉じ、口を大きく開ける。その頬が紅く染まっている。
チョウも目を薄く閉じた。椿の顔は見えるぐらいに。
椿の湿った吐息が近づいて来る。
チョウも口を大きく開けようとした時、
「口をつけなくていいからね」ユージンが念を押すように言った。「寸止めでいいから」
何も答えず、チョウは大きく口を開けた。
顔はみっともないほどに真っ赤だった。
椿の唇の感触が予感できるほどに接近した時、チョウは胸に強い衝撃を受け、突き飛ばされた。
420:創る名無しに見る名無し
19/12/15 19:06:50 PiqdtjbZ.net
驚いて目を開けると、赤い魚が椿の前に立ち塞がっていた。
怖い顔をして、椿を守るようにそこを退かない。
「クオォォッ!」と威嚇する声を出す。
「ラン!」椿が困ったように笑う。「違うの。チョウはわたしに悪いことをしようとしているんじゃないのよ」
「クオォォッ!」しかしランは威嚇をやめない。
「なんだ、この魚野郎!」チョウは真っ赤な顔で激怒した。「俺をバカにしてんのか? ふざけやがって……!」
「チョウ」椿が険しい顔になった。「ランを悪く言わないで」
ランはチョウを睨み続けたまま、椿の回りを飛び回った。
「あら、ラン」椿は微笑むと、言った。「チョウ、ランが手伝ってくれるって」
421:創る名無しに見る名無し
19/12/15 19:12:04 PiqdtjbZ.net
二人はルーシェンの搬送を再開した。
ユージンはチョウの中に入ったままだ。
担架の下にランが潜り込み、下から支えて泳いだ。
担架はてきめん軽くなり、椿はほぼ担架に手を添えているだけになった。
「ありがと、ラン」椿が微笑む。「頼りになる子だね」
「そんなんなら最初っから手伝えよ、糞魚野郎」チョウがぶつぶつ言った。
422:創る名無しに見る名無し
19/12/15 20:51:03.00 PiqdtjbZ.net
「畜生、糞魚野郎。畜生」とぶつぶつ呟きながら歩いている間に、森の向こうに光が見えて来た。
「森を抜けるぞ」ユージンが言った。「もうすぐだ」
「うん!」椿が明るい声で言った。
「クォッ」とランも嬉しそうな声で鳴いた。
423:創る名無しに見る名無し
19/12/16 12:25:57.87 /4tnZOb7.net
舟はもう着いていた。
顔のない不気味な船頭が、櫓を手に、じっと客が乗るのを待っている。
チョウが一番に乗り込むと、担架ごとルーシェンを乗せた。
椿が手を伸ばす。チョウはその手を取ると、軽く引っ張って舟に乗せてやった。
椿が座ると、ランはその膝に乗り、勝ち誇ったようにチョウの顔を一瞥した。
小さな舟は出港した。
『気』の海には靄がかかり、波音もなく舟は進んだ。
海中から神獣麒麟が姿を現すと、舟に虹をかけるように、大気を震わせてまた海へと潜って行った。
「静かだね」
「うん」
「おう」
三人はそれだけ言葉を交わすと、後はずっと黙っていた。
靄の向こうに松明の灯りが見えてきた。
424:創る名無しに見る名無し
19/12/17 05:37:55.85 3wZwfotP.net
「おや、またお前かね」
霊婆は誰かが来るのを知っていたかのように出迎えた。
「今度は友達も一緒か。賑やかなことだね」
そう言うと霊婆は意味不明の粘ついた低い笑い声を出す。
「こんちは」
チョウの挨拶を無視して霊婆は背中を向けると、寺の中へと案内した。
「ところで今度は何の用だね?」
「友達が」椿はすぐに答えた。「大怪我をしちゃって……身体は生きてるけど魂が、戻って来ないの」
「その鹿みたいなのかね」
「えぇ」
霊婆は担架に乗ったルーシェンを一瞥すると、即答した。
「それは無理だね。とっくに魂は逝ってしまってるよ」
「そんなのないわ! よく診てください!」
椿にそう言われ、霊婆は仕方なさそうにルーシェンを霊堂の中心に置かせ、容態を覗き込んだ。
425:創る名無しに見る名無し
19/12/17 05:48:34.78 3wZwfotP.net
「どうだ?」チョウが聞く。「よくなりそうか?」
「煩い小僧だね。集中できないよ」
暫く霊婆はルーシェンの身体のあちらこちらに手を当てて何かを診ていたが、やがて顔を上げると、言った。
「何とかならないこともない」
「本当か!?」
「……よかった」
喜ぶ二人をくだらなそうに一瞥すると、霊婆は続けた。
「魂が冥界をさまよっている。まぁ、眠ってるようなもんだから苦しんではいないよ」
「それを引き戻して来ることがアンタなら出来るんだな?」チョウが希望に顔を輝かした。
「出来ないこともない」霊婆は無表情に言った。「だが、大仕事だ」
「報酬がいるのね?」椿が言った。
「そうだ。しかも頂くのはちょっとやそっとのものじゃ済まない」
「……って、いうと?」
そう聞いたチョウを霊婆はいきなり指差すと、言った。
「小僧の寿命すべてを頂こうか」
426:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:03:58.30 3wZwfotP.net
「え……」チョウはぽかんとした。「俺の命とルーの魂の……かえっこか……」
「そんなのダメよ」椿が言った。「そんなの……」
霊婆はにたりと笑うと、言った。
「冗談だよ」
「テメェ……!」
「あぁ、冗談さ、ヒヒヒ。出来ないこともないというのは本当だがね。しかしそれで私も死ぬかもしれないんだ。そんな仕事は……ん?」
霊婆は突然、チョウの胸のあたりに目を止めた。
「小僧。お前、面白いものを飼っているな」
「え」
チョウの気が緩んだ瞬間、透けて見えたユージンを、霊婆は目ざとく捉えていた。
「身体のない人間か。これは面白い」
「ど、どうする気だ」チョウが腕でユージンを守ろうとする。
「……よし。その人間を私にくれるなら、冥界へ行く仕事を引き受けよう」霊婆の顔は一つ目の布で見えないが、真剣な空気が伝わって来た。「今度は冗談じゃないぞ」
427:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:15:20.83 3wZwfotP.net
「いいわ」と、椿が即答した。「お願い。ルーの魂を連れ戻して」
「バカか!」チョウか声を上げた。「ユゥは物じゃねぇ!」
「あらら。意見が割れたねぇ」霊婆は困ったように言った。「べつにそいつの命はとらないよ。私のペットとして側に置くだけだ」
「ほら、チョウ。ユゥがここに住むだけの話でしょ」
「椿!? 信じらんねぇ! お前がそんなこと言うなんてよ」
「ほら、ここに住めばいい」霊婆はハムスターの飼育セットみたいなガラス容器を取り出した。「寄生生物のようだが、この中なら身体を出ても生きられるよ? ヒヒヒ」
「ほら、可愛がってもらえそうしゃない?」
「ルーがこうなったのは運命だ!」チョウは強い口調で言った。「でもユゥを捨てるなら、捨てるのは俺達だ! 運命じゃねぇ!」
428:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:30:19.28 3wZwfotP.net
「まぁまぁまぁまぁ」霊婆が提案した。「その人間、ユゥとやら自身に決めてもらったらどうだね?」
「ぼくは……」ユージンがチョウの口を動かして声を出した。
「お前が私のものになってくれたら、お友達が助かるんだよ?」
「ぼく……」
「可愛がってやるよ。ここがきっと気に入るよ」
霊婆は心底からユージンのことを欲しそうに、涎を垂らして迫って来た。
「霊婆」チョウが口を挟んだ。「このままだとルーの魂は絶対に帰って来ないのか?」
「まぁ、ほぼ、絶対だね」霊婆は少し大袈裟な口調で言った。「一厘(0.0001%)の望みがいいとこだね」
「よし、帰ろう」チョウは霊婆に背を向けた。「帰って、ルーの帰りを待とう」
429:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:37:31.40 3wZwfotP.net
「待たんか」霊婆が呼び止めた。「お友達が、何も栄養も摂らず、生きていられると思うのかね?」
「うっ?」チョウはそう言われ、気がついた。
「動かない身体は固まる。何も食べられない身体は痩せ細って行く。待っているうちに、お友達は死んじゃうよ?」
「そうよ」椿が責める口調で言った。「ルーが死ぬか、ユゥが引っ越すかの話でしょ。考えるまでもないわ」
「チョウ……」ユージンは小声で言った。「ぼく……あのひとの物になるよ」
「駄目だ」チョウは即答した。「お前はそんな運命じゃねぇ。そんなの不自然だ」
430:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:39:24.98 Ao+dwMxc.net
即答でちん子って言ってやんの
431:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:48:50.82 3wZwfotP.net
結局、チョウは霊婆にユージンを渡さなかった。
魂が戻らないままのルーシェンを再び担架に乗せて、帰りの舟に乗った。
ユージンは椿があんなことを言い出したのがショックだった。
チョウもショックだったようで、椿と目を合わさない。
椿は舟の縁に座り、困ったような顔をして、ずっとランの背中を撫でている。
……ランの、背中を。
「あーーーっ!?」いきなりチョウが大声を上げた。「お前……魚! ランを返して来るんじゃなかったのかよ!?」
椿がキッとチョウを睨んだ。
432:創る名無しに見る名無し
19/12/17 06:55:54.80 3wZwfotP.net
「ルー……絶対よくなると思ってたのに……」椿は涙をぽろぽろ零しはじめた。「計画が狂っちゃった……」
「けっ……計画!?」チョウが愕然とする。
「うん」椿はこくんと頷いた。「正直に言うね。わたし、チョウを気絶させといて、ランと家出しようと思ってたの」
「は、はぁ!? 家出って……。気絶ってどうやって!?」
「え。……こうやって」椿は手刀で自分の首の後ろを叩く動作をしてみせた。
「そんなもんで気絶するわけねーだろ!」
「え。でも……」
433:創る名無しに見る名無し
19/12/17 07:44:55 3wZwfotP.net
「……トンッ、て……やれば……」
そう言いながら椿は舟を降りた。
「手、貸せよ」
チョウがそう言い、二人でルーシェンの担架を下ろす。
「……で?」チョウが目を伏せて言った。「お前の考えてた計画とやら、聞かせてもらいやしょうか?」
434:創る名無しに見る名無し
19/12/17 09:01:10.81 7C8VhMWv.net
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435:創る名無しに見る名無し
19/12/17 09:24:02.08 PbJ9iqTW.net
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{ l``<ヽ、 ノ/;'; '、'、 .ノ /_,. イ , , , 〉 (≡ (6 ` _| ̄ ぐぇあ!
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| |!:' ヽl ̄ ̄``ー´^'′ ̄ ( ≡ヽ └, .:∴∵・o∴
l_,! ; ', ';, ⌒⌒ヽ\ ≡ノゝ、 イ′
,! i .'、ゝ、 |
! l| /i'| ノ^ |
`ヽ、_ノ 〉、____ノ"`ゝ
436:創る名無しに見る名無し
19/12/17 12:15:04.20 3wZwfotP.net
椿はその邪悪なる計画の全貌を明かした。
ルーシェンの魂が戻って来たら、チョウの首の後ろをトンッと叩いて気絶させ、ルーシェンがチョウを介抱している間に
隣の『雪の国』へ逃げ、潜み、密かにランを育てる、という、それは壮大で恐ろしいものだった。
「そんだけ?」とチョウが口をぽかんと開けて聞いた。
「そんだけよ」椿が唇を尖らせる。
「……」
「……」
「……駄目だろ」とチョウが言った。「ランを返して来ないと」
「ほら! そう言うと思ったから!」椿が悪者を見る顔で言った。「だから気絶させようと思ったのよ」
「また明日、霊婆の島に行くぞ。あの船頭、引き返せって言っても何も聞こえてねーみてーで……決められた仕事しか出来ねーんだな」
「ランは返さないわ」
「バッ……! お前……」
「返さない」
チョウは困ったように頭を掻くと、椿に軽蔑するような目を向けた。
「お前ってそういう奴だったんだな」
437:創る名無しに見る名無し
19/12/17 12:29:19.55 3wZwfotP.net
「本気でユージンを霊婆に渡して、それでルーが助かればいいって思ったのか?」
椿は俯き、黙り込んだ。
「引っ越しなんて話じゃ済まねーぜ? あんな奴、ユゥを実験動物にするかもしれねぇ」
「……」
「大体お前、ユゥの気持ち、考えたかよ? お前、別の友達助けるために、友達売ろうとしたんだぜ?」
「……ごめんなさい」
「どっちが大事かなんて話じゃねー。皆が幸せになる方法じゃなきゃ、とっちゃいけねぇんじゃねーかなぁ!?」
「ごめんなさい。あたし……」ぽろりと涙が零れた。「自分の計画のことしか考えてなかった……」
チョウは涙を見て黙った。椿は続けて喋った。
「ルーの魂が戻ったの見とかないと……安心して家出できないと……思って……」
家出って安心してするもんじゃないよなぁ、とユージンは思った。
「ごめんね、ユゥ……」椿はぽろぽろと泣き出してしまった。「……ごめんなさい」
「ユゥ」チョウがユージンに言う。「何か言ってやれ」
「一発……」ユージンは押し殺したような声で言った。「殴らして」
椿はこくんと頷くと顔を上げ、涙で濡れた頬を差し出した。
チョウの右腕が勝手に上がり、掌がパーの形に開く。
「勝手に身体動かすなって言ってんだろーが!」
チョウの怒声にユージンは引っ込んだ。
438:創る名無しに見る名無し
19/12/17 16:24:44.57 3wZwfotP.net
「ユゥをあんなとこに置いて来てたら、俺が安心して毎晩眠れんとこだったわ」
「……うん」椿は自分で自分の頬を一発叩いた。
「まぁ」チョウは話を戻す。「明日こそ、ランを返しに行くぞ?」
すると椿は怖い目をして顔を上げた。
「チョウ。……ランの気持ちは考えてくれないの?」
「は?」
「皆が幸せになる方法じゃなきゃ、とっちゃいけないんでしょ?」
「いや。それとこれとは……」
「何が違うって言うの!?」
椿の剣幕に少し圧されながらもチョウは言った。
「だってそいつは世界を壊すだろ? 赤松子が言ってたように」
「だからってランをあそこに返すの?」椿の声は穏やかながら怒気を帯びていた。「それは運命じゃない。わたしが、ランを捨てることだわ」
「だから話が違うって! あそこに返せば、いつか生まれ変わるんだぜ!?」
「でもそれはランじゃない」
「知るか!」
「チョウはランを愛してる?」
「は? 愛してはねーよ」
「じゃあ、わたしのことは愛してる?」
「はっ? はぁっ!?」
「わたしはチョウのこと愛してるよ」
ぶっ倒れかけたチョウにユージンが囁いた。「チョウ! 間違えるな! 『友達として』だ!」
439:創る名無しに見る名無し
19/12/17 16:40:45.50 3wZwfotP.net
「チョウも、ユゥもルーも、生まれ変わったら、もうわたしの愛するひとじゃないじゃない」
「お……おう」チョウはちょっとだけがっかりしながら言った。
「ランも同じ」椿はそう言うとランを抱き寄せ、ぎゅっと抱き締めた。「わたし達……愛し合ってるのよ」
「あい……あいあい……」チョウは言葉が出て来なかった。
「それに……。赤松子さまにはお話してない方法があるでしょ」
「うん」ユージンが言った。
「ランを幸せにしてあげる方法は二つある」椿は強い目をして言った。「一つは霊婆に返して生まれ変わらせる。もう一つは……」
「人間に返すんだよね?」
「そう」椿は頷いた。「わたし、ランを絶対に生き返らせるんだ」
440:創る名無しに見る名無し
19/12/17 16:53:18.17 3wZwfotP.net
「でも……」暫く考え込んでからチョウが言った。「赤松子に見つかったんだぜ? たぶん、皆にもばらして回ってる」
「だから家出するのよ」
「お前なぁ……」
「でも……ルーがそのままじゃ……ほっといて行けない」
「まぁ」チョウはまた頭を掻いた。「俺ん家まで運ぶのだけは手伝ってもらわねーとな」
「チョウの家に置くの?」
「あぁ。それしかねーだろ。面倒みないといけねーし」
「じゃ、運ぼう」
「あぁ」
そう言うと二人は担架を持ち、立ち上がった。すぐにランが担架の下を泳いで支える。
ランの力がチョウの手にも伝わって来た。
441:創る名無しに見る名無し
19/12/17 17:05:26.43 3wZwfotP.net
五階のチョウの家までの階段を二人でルーシェンを担いで上がった。
チョウが背負い、椿はルーシェンの足が階段にぶつからないよう持ち上げた。
部屋に着くと、チョウのベッドに寝かせた。
チョウが荒い息を整える。
「それで、どうするの?」椿が聞いた。「ルーにご飯、食べさせなきゃ」
「ユゥ」チョウは目を瞑ると、言った。「ルーん中入れ」
「いいの!?」ユージンがびっくりした声を出す。
「仕方ねーだろ。お前がルーに入って、身体動かして、飯食ってやれ。ただし……」チョウは厳しく言った。「半刻(約30分)だけだ」
442:創る名無しに見る名無し
19/12/17 17:18:24.56 3wZwfotP.net
チョウはベッドの上のルーシェンに覆い被さった。
指で強引に口を開かせる。幸い、歯は噛みしめていなかった。
男同士が接吻しているような光景を、椿は口に手を当てながらまじまじと見ている。
「どうだ? ユゥ」チョウは顔を離すと、聞いた。「動けるか?」
アホ面で意識を失っていたルーシェンが目を開け、喋った。
「うん! 大丈夫」ユージンは手を上げて伸びをした。「クスノキのおじいさんが身体は治してくれてるから、なんともない」
「中にルーがいたりは……しねぇ?」
「全然ダメ」ユージンは足をぱたぱたと動かしてみる。「やっぱり冥界をさ迷ってるみたい」
「……そうか」
「あーーーっ!?」
いきなりユージンが背中を向けて叫んだので、チョウも椿も驚いた。
「な、ななな何だよ?」
「どうしたの、ユゥ?」
「いや……」ユージンは振り向き、困ったような顔をして笑った。「なんでもない」
なんだか変な感じがして、股間に手を突っ込んでみたのだった。そこにはユージンのしっくり来るほうのものがあり、指は突き当たらずに、埋まった。
『まさかルー……こんなとこまで嘘ついてたなんて……!』
443:創る名無しに見る名無し
19/12/17 20:46:17.95 EFKVmb4b.net
「なんだい? 騒々しい」
「ばあちゃん、悪ィ」入って来たおばあちゃんにチョウが謝る。「こんな夜遅くにうるさくしちまったな」
「あら、椿ちゃん」おばあちゃんは深夜に孫の部屋に女の子がいるのを見ても、普通の反応しかしなかった。
「おばあちゃん、久しぶり」
「うん。久しぶりだねぇ。いつもチョウのお姉ちゃんやってくれて、ありがとねぇ」
「俺のが年上だってば……」
「おや。ルーシェンじゃないか。元気になったのかい」
「おかげさまで」ユージンはぺこりと頭を下げた。
「ばあちゃん、こんな夜中だけど腹減ったんだ。なんかない?」
「あぁ。作り置きの葱餅があるけど、食べるかい?」
「食べる!」三人は同時に言った。
444:創る名無しに見る名無し
19/12/18 07:24:19 iswhT6+6.net
おばあちゃんの葱餅は、片栗粉と小麦粉を合わせたものに塩と醤油を加えて水で溶き、
葱とごまを加えて火にかけるというだけの単純なものだったが、ユージンには極楽料理かと思えるほどに染みた。
自分で口を動かして食事するのなんて何年振りなんだろうと思った。
チョウも椿もユージンと同じ表情で、もぐもぐと口を動かしていた。
まったりとした時間があった。
「泊まってけよ」とチョウが言った。
「通報しない?」と椿が睨んだ。
「いいよ。協力してやるよ」
「本当?」
「ランを人間にして生き返らせよう」
「ありがとう」
みんなくたびれていた。
葱餅が片付く頃には三人とも床に転がって寝息を立てていた。
445:創る名無しに見る名無し
19/12/18 07:39:57.79 iswhT6+6.net
「ユゥ、ユゥ」
誰かが身体を揺すっている。
「……ラン兄ィ?」
ユージンは夢を見ている。
「おい、ユゥ」
「……ヒコーキ、気持ちいいよ」
「ユゥ!」
目を開けるとチョウの顔があった。
「……あれ? チョウの顔が……なぜここに……?」
「寝ぼけてんな!」チョウは厳しく言った。「早くルーの身体から出ろ。こっち戻れ」
すっかり日が高かった。椿は先に起きておばあちゃんの手伝いをしているようだ。
赤い魚のランがユージンの頭の上から覗き、クォッと笑うように鳴いた。
446:創る名無しに見る名無し
19/12/18 07:54:56.11 iswhT6+6.net
「オイ」と、ふいに声がした。
いつの間にか窓にメイファンが立っている。
「ズーローなら暫く帰ってないぜ」
チョウの言葉は無視して、メイファンは言った。
「ジジイが危篤だ。早く来い」
447:創る名無しに見る名無し
19/12/18 08:10:21.67 iswhT6+6.net
【主な登場人物まとめ】
・ユージン(李 玉金)……17歳の人間の少年。生まれつき身体を持たない、金色に光る『気』だけの存在。
口さえ開いていれば誰の身体にでも自由に入れる。入る身体がなければすぐに死んでしまう。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は海底世界で知り合ったチョウの中に住んでいる。
・チョウ(湫)……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。
椿に恋しているが、気持ちを伝えようとは決してしない。特別に仲良くはなったものの、年下の椿から弟扱いされてしまっている。
ユージンを人間だと知りつつ自分の身体の中に住むことを許している。
・椿(チュン)……16歳の赤いおかっぱの少女。元ユージンの妹で、今は海底世界の住人。
クスノキの老人に助けられ、名門『樹の一族』の養女となる。薄紅色の『気』が使える。人間の記憶はすべて消されている。
真面目で頑張り屋。ユージン曰く顔はそこそこ可愛いが、小うるさくて地味な女の子。
自分を助けたがために死んでしまった人間の青年を生き返らせようと、霊婆の元から青年の魂を貰って来た。
赤い魚の姿をした魂にランと名前をつけ、いつも連れて歩いている。
・ラン(鄧 狼牙)……19歳。ユージンと椿の義兄。赤いイルカに姿を変えた椿を助け、渦潮に呑まれて絶命した。
今は赤い魚の姿をした魂となって、椿に飼われている。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたるが、頑なにおばさんと呼ぶのを禁止している。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。ランの母親を15年前に殺した。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとしてチェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
現在、メイファンが身体の中に入っている。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
木の上から落ちて頭を打ち、意識を失ってから植物鹿人間になってしまった。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
見かけによらずアイドルオタク。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
・霊婆(リンポー)……死者の魂を司る仙人。一つ目を描いた布で顔を隠している。名前は女性だが性別不明の老人。
『気』の海に浮かぶ島に猫とともに一人で住んでいる。
448:創る名無しに見る名無し
19/12/18 08:21:10.15 iswhT6+6.net
ユージンが金色の『気』を込めると、容易くルーシェンの下半身が鹿に変わった。
「乗って!」
「おう、急げ!」
チョウが先に鹿の背に乗り、椿が急いでチョウの腰に手を回して掴まった。
「おじいちゃん……!」
「行くよ」
そう言うとユージンは蹄の音を立て、全速力で駆け出した。
449:創る名無しに見る名無し
19/12/18 08:35:39.09 iswhT6+6.net
クスノキの老人はベッドに長い身体を横たえていた。その傍らにメイファンが立ち、見守っている。
「おじいちゃん!」
いつもなら楽しそうに扉を開けて入って来る椿が、悲しそうに飛び込んで来た。
「おお……椿」
老人の声は昨日までとまったく違い、消えてしまうほど弱々しかった。
「俺、フォンおばさんと樹さんに知らせて来る!」入って来たばかりのチョウが駆け出す。
「チョウ、お願い!」
「椿よ」老人は言った。「儂を……許せ」
「……え?」
「ジジイ」メイファンが言った。「そんなんよりやることあんだろ」
「椿」老人は言った。「儂の残りすべての力をお前にやる」
「バカ言わないで」椿にはその意味がわかった。「死なないで」
しかし老人は、椿に手を触れると、その薄紅色の『気』をすべて椿に与えた。
「大切に使え。これを使い切ったら、お前は、ただの人間になってしまう」
450:創る名無しに見る名無し
19/12/18 08:37:56.50 UvDkLAFQ.net
そんなことより前スレ埋めろよ
451:創る名無しに見る名無し
19/12/19 12:26:12.92 +E5Ia2my.net
『なんだって? お父さんが?』
『よく報せてくれたね、ありがとう、チョウ。すぐに行くよ』
『ところで椿を知らないかい?』
『あの子の連れてる魚を殺さないと』
「急げ、ユゥ」
チョウは馬を走らせるようにユージンの胸を叩いた。
452:創る名無しに見る名無し
19/12/19 12:34:58.23 +E5Ia2my.net
「椿、顔を近くで見せておくれ」
クスノキの老人にそう言われ、椿は膝をついて顔を近づけた。唇を伝って涙が落ちる。
「椿……。儂はお前が一番かわゆい」
「おじいちゃん」椿は子どもみたいな声で言った。「死なないで」
「メイファン」老人は椿の頬を撫でながら、言った。「すまんな。世話をしてやれなくなる。ここは自由に使ってよい」
「嫌だね」メイファンは腕組みをしながら言った。「ジジイいなくなったらそれこそ何もねーじゃねーか」
「頼みがある」老人は椿の顔を見ながら、言った。「椿を守ってやってくれ」
「それは命令か?」
「命令ではない」
「そうか」
「椿」老人は明るい目を白い髭の奥から覗かせた。「お前のおかげで、最後の最後に儂は幸せを知った」
「死なないで」
「ありがとう」
「おじいちゃん!」
453:創る名無しに見る名無し
19/12/20 08:15:13.69 kHQ8blOD.net
メイファンは老人が死ぬことはどうでもよかった。当たり前のことだ。
それよりも椿の連れている赤い魚をじっと見ていた。
遠くてよく見えないので歩いて近づいた。
エラのところをがしっと掴んで顔を突きつけてよく見た。
『痛い、痛いよメイファンちゃん』と魚が嫌がっているのが見えた。
『まじかよ』メイファンはがっかりした顔で思った。『本当にこれお前なのかよ、ラン』
454:創る名無しに見る名無し
19/12/20 08:22:13.36 kHQ8blOD.net
そこへチョウが駆け込んで来た。
老人の胸に突っ伏している椿を見る。
「じいちゃん……逝っちまったか」
椿は絶望したように泣いている。
「椿」チョウはその肩を急いで叩く。「フォンおばさんがランを殺しに来る。逃げるぞ」
「……でも、おじいちゃんが……」
「後のことはフォンおばさんに任せればいい。行くぞ」
チョウに手を引かれ、何度も振り向きながら、椿は出て行った。ランが後をついて行く。
メイファンは窓から出た。
老人には何も言わなかった。死人はただの死体だ。
「新しい隠れ場所見つけねーとな」
455:創る名無しに見る名無し
19/12/20 08:27:56.38 kHQ8blOD.net
椿はユージンの背に乗りながら、ずっと泣いていた。
「ユゥ、いったん家に帰るぞ」
「わかった」
「お前、ルーの中にいすぎだ。ルーの身体をベッドに置いて行く」
「えぇ?」ユージンがびっくりした声を出す。「乗り物いらないの?」
「お前を自由にさせるわけには行かねぇ。歩いて行く。いいな、椿?」
椿は頷きながらも、まだ泣いている。
「椿、明日のこと考えろ。ランを人間に戻すんだろ」
456:創る名無しに見る名無し
19/12/20 08:33:38.33 kHQ8blOD.net
家に帰るとすぐにおばあちゃんが無言でどこかへ出掛けて行った。
「やべぇ。あれは祝融に通報に行ったな。急ぐぞ」
そう言うとチョウはベッドに寝たルーシェンに急いでキスをする。口を通じてユージンが身体に戻って来る。
「ひぃ。気持ち悪ィ」と言いながらチョウは口を離した。「言っとくけど俺、同性と接吻する趣味ねーぞ? 人工呼吸みてーなもんだから」
しかし椿は聞いていなかった。ずっとランを抱き締めて泣いている。
「で、なんで『雪の国』なんだ?」チョウが聞く。
「成長が早いんだって」椿はしゃくり上げながら答えた。「氷の水で泳がせると」
457:創る名無しに見る名無し
19/12/20 08:53:41.57 kHQ8blOD.net
雪の国には町がなかった。
そこに住むのは神獣と、雪や氷を司る仙人だけである。
厳しい風雪と森、そして雪の大聖堂があるだけである。
「うぅ……忘れてた」チョウはガチガチと歯の音を立てながら言った。「ここって半端なく寒ィーんだった」
チョウも椿も薄い衣服一枚だった。
歩けば歩くほどに寒さと雪の量が増して来る。
前方に巨大なかまくらのようなものが見えて来た。雪の大聖堂だ。窓から灯りが漏れている。
「あそこでちっと休憩して行こーぜ」
458:創る名無しに見る名無し
19/12/20 10:09:43.04 CqNyJ5Y5.net
「チョウ、あっためてあげる」
そう言うとユージンは、金色の『気』でチョウを包んだ。
「うぉっ? あったけぇ」チョウがほっとした声を出す。「凄ぇな、お前。こんなこと出来んのか」
ユージンはチョウを包みながら、その唇の感触を反芻していた。
チョウの部屋で、ベッドに寝かせた自分に彼は覆い被さり、キスをしたのだ。
チョウはルーシェンの身体から出るのを嫌がった。
?マークを頭に乗せてチョウは唇を離すと、「何やってんだ、早くこっち入れ。急いでんだぞ」と言った。
ユージンは目を瞑ったまま、言った。「やだ」
「あん?」と怪訝そうな顔をするチョウに、ユージンはため息とともに言った。「もっと」
ルーシェンの身体でもっと自由に動きたいものと勘違いしたチョウにさんざん怒鳴られた。
これはルーの身体だ、お前が好きに使っていいもんじゃねぇ、等と言われた。
しかしあの唇の感触に比べれば、すべてはどうでもいいことだった。
チョウはユージンの金色の『気』に暖められながら、振り向いた。
椿が下を向きながら歩いている。自分の身体を抱き、ガチガチと震えている。
「ユゥ。椿も一緒に暖めてやること出来るか?」
「無理。暖めてあげられるのは入ってる身体の持ち主だけ」
「そうなのか……」
何も出来ないままチョウは歩き続け、雪の大聖堂の大扉を開けた。
459:創る名無しに見る名無し
19/12/20 14:03:47.24 c1oNsNsg.net
チョウはそこで息を引き取った。
460:創る名無しに見る名無し
19/12/20 23:30:28.58 FwjqwyIP.net
「あったかい……」
椿はチョウに続いて入ると中を見回した。
中は、外観から想像した通りのだだっ広い半球形の一室だったのだが、その広い空間に暖気が充満していた。
殺風景な石壁の空間なのに暖かいというだけで色鮮やかに見える。
「ねぇ、これ、どうやって暖めてるんだろ」
椿がそう喋った後ろで、ばたりと倒れる音がした。
石の床にチョウがうつ伏せに倒れている。
461:創る名無しに見る名無し
19/12/20 23:40:52.38 FwjqwyIP.net
「チョウ?」
椿は恐る恐る近づいた。
チョウは動かない。
「チョウ……」
椿はしゃがみ込むと、背中に触れて弱々しい力で揺すぶった。
「……」
黙って力なく揺すぶっていると、チョウの口が動いた。
「……椿」ユージンの声だった。
「チョウ!」
「……ユゥだ。くる、しい……。出る……から、呑み込んで早く」
するとチョウの顔がギギギと音を立てるような動きで横を向き、口から金色のうんこのようなものが出て来た。
「……」椿は黙ってそれを眺めた。
呑み込んで! 早く! 死ぬ!
ユージンはそう叫んでいるつもりだったが、口がないのでは椿に聞こえるわけもなかった。
462:創る名無しに見る名無し
19/12/20 23:52:59.27 FwjqwyIP.net
「クォッ!」とランが鳴き、椿はハッと気づいた。
「ユゥ? ユゥなのね?」
床で苦しげにもぞもぞと蠢いているそれに話しかける。
「苦しいの!? 大丈夫!?」
ユージンがもうダメだと諦めかけた時、椿が両手で持ち上げ、芋虫を食べる前のように泣きそうな顔をすると、大きな口を開けて呑み込んだ。
463:創る名無しに見る名無し
19/12/21 00:03:12.15 0w7KTkj3.net
椿の中に入った時、ユージンは意識が朦朧となっていた。
自分が生きているのか死んでしまったのかもわからなかった。
椿の温かい食道を流されて行き、胃に入れられる前に、無意識にいつものように胸にとどまった。
「ユゥ?」椿が呼び掛ける。
遠い世界から響いて来るようなその声をユージンは聞いた。
「ユゥ」
懐かしい感じだった。前世で住んでいた自分の部屋に帰って来たような。
『ユゥ兄ィ!』
ふと、そんな声が聞こえた。
『守って!』
「椿!?」
椿の口から少年の声が出た。
464:創る名無しに見る名無し
19/12/21 00:09:31.23 0w7KTkj3.net
「よかった、ユゥ。生きてるのね」
椿が安心した声を出す。しかし安心しきった声ではない。
「……うん。死ぬかと思ったけど」
ユージンがまだクラクラしている意識でそう言うと、椿が聞いた。
「チョウは?」
ユージンは椿がじっと見ているチョウを見る。
ユージンが横を向かせたチョウの横顔が見えた。瞳孔が開き、明らかに死んでいた。
「どうなったの?」椿が放心した声で聞く。
「わからない」ユージンは震える声で言った。「急に心臓が止まった」
465:創る名無しに見る名無し
19/12/21 00:33:05.44 0w7KTkj3.net
「あらあら、お嬢ちゃん。どうしたの?」
突然後ろからした声に驚き、椿とユージンは振り返った。
黒に金の刺繍を施した帽子を被り、桃色に色とりどりの模様の入ったドレスに身を包んだ女性がいつの間にかそこに立っている。
輝くような美しい顔に意味ありげな微笑みを浮かべ、毒々しい花のような色の『気』を背負っているのがユージンには見えた。
「あなたは……誰?」怯えた声で椿が聞く。
「私は秀珀(ショウポー)」女性は答えた。「悪い子の魂を司る神よ」
466:創る名無しに見る名無し
19/12/21 11:16:50.97 FRMmWmwZ.net
「チョウが……」椿は秀珀に言った。「チョウが……。お願い、助けて!」
「フフフ」と秀珀は笑うと、物欲しそうに身体をくねらせた。「人間ね。素敵だわ」
「もしかして……」ユージンは椿の口を借りて言った。「お前が何かしたのか?」
「だって見るからに悪い子でしょ。悪い子の魂はすべて私のもの」
「お前かーーッ!」
椿の赤い髪が逆立った。目が怒りに燃え、一瞬にして少女は少年に変化した。
「あら、おもしろい」秀珀はくすっと笑う。
「うああーっ!」
めちゃくちゃな拳法の動きで殴りかかって来たユージンの足を秀珀は蹴り飛ばした。
「でも、弱いわね」
ゴロゴロと転がって無様に止まりながら、ユージンは叫んだ。
「チョウを返せ!」
「その子なら、ここよ」
扇子で口元の歪んだ笑いを隠しながら、秀珀は自分の足元を指差した。
汚ならしい小さなネズミが一匹、そこに呆然と立っていた。
467:創る名無しに見る名無し
19/12/21 22:55:09.02 kg3E1aKn.net
「チョウ!?」
「これがチョウ!?」
二人は同じ口で別々に叫んだ。
「ん?」秀珀が唐突に何か考え込む。「……チョウ?」
「あ、でも」椿が言った。「ネズミに入り込んだのなら、生きてるってことだから安心よね?」
「何言ってんだ」ユージンが泣き叫ぶ。「身体が死んでんだ! ルーの場合とは違うよ! 一生ネズミのままだ!」
「チョウって、もしかして」秀珀が口を開いた。「ズーローの弟かい?」
「ズーローの知り合い!?」ユージンが喚く。「ならチョウ殺したらどうなるかぐらいわかるだろ! 戻せ!」
「間に合うかしら」秀珀はばつの悪そうな顔で頭を掻くと、何やら呪文を唱え出した。
足元のネズミの姿が消える。チョウの手がぴくりと動いた。
「チョウ!」
ユージンは駆け寄ると仰向けにさせ、胸に耳を当てた。
「心臓が……動き出した」
「チョウ! チョウ! 起きなさい」椿が身体を揺さぶる。
しかし呼吸は止まったままだ。
「人工呼吸だ!」
ユージンが椿の口を近づけた時、チョウが勢いよく息を吐いた。
468:創る名無しに見る名無し
19/12/21 23:10:37.25 kg3E1aKn.net
「あれ……? 俺……」
寝ぼけた子供のように上体を起こしたチョウにユージンが抱きついた。
「チョウ……。 よかった……」その声は椿だった。
「済まないねぇ」秀珀が平謝りしている。「てっきり悪い子かと思ったら、あんたが噂のズーローの弟のいい子ちゃんかい」
「人を見た目だけで判断するなんて大したことない神様だね!」ユージンは皮肉を言ってやった。「悪い子は椿なのに!」
椿は何も言わなかった。
「お前……」チョウがユージンを見て言った。「誰だ?」
「あっ……。えっと……」ユージンは言われて自分が椿の身体を乗っ取っていることを思い出した。「その……」
「ユゥか」
「……はい」
「テメェ……」チョウの顔がみるみる怒りに染まった。「なんでそこに入ってんだテメェ!」
469:創る名無しに見る名無し
19/12/22 09:22:33.29 7olsUkAW.net
ユージンは慌てて引っ込んだ。
少年が引っ込み、少女の気の緩んだ顔が現れる。
「チョウ」椿は言った。「ユゥを叱らないで」
「っていうかテメェ……」チョウはユージンに言った。「どうやってそっちに入った?」
チョウの頭には椿とのキスシーンが浮かんでいるらしかった。チョウの顔がみるみる赤くなる。
「覚えてねー! 畜生! 何も覚えてねー!」
「お取り込みのところ悪いけど」秀珀が声を掛けて来た。「あんたら、人間界へ行きたいんだって?」
「誰?」とチョウがまた聞く。
「兄ちゃんから聞いてないかい? 凄い美人の秀珀さ」
「あぁ」とチョウは興味なさそうに言った。「兄ちゃんが惚れてる女か」
ユージンには信じられなかった。地味な椿にはてんで弱いチョウが、自称するほどのことはある凄い美人を目の前にして、ちっともたじたじしていないのだ。
「人間界に行きたいわけじゃないけどさ」チョウは質問に答えた。「コイツを返してやらなきゃなんねーんだ」
そう言ってランを見た。
470:創る名無しに見る名無し
19/12/22 10:31:20.00 7olsUkAW.net
「可愛らしいお魚さんだこと」
撫でようとして来る秀珀からランはさっと椿の後ろに隠れた。
「このお魚さんが人間界への扉を開いてくれるのねぇ。アンタ達、本当にいい子だわ」
「悪い子じゃないの?」ユージンが聞く。
「私はねぇ、人間界に行きたいのさ。その扉を開いてくれようなんて、いい子に間違いないよ」
「何しに行きたいの?」
秀珀は含み笑いをすると、答えた。
「秘密」
「そんなことはどうでもいい」チョウが言った。「とにかくユゥ、こっち戻れ」
471:創る名無しに見る名無し
19/12/22 10:46:00.74 7olsUkAW.net
「あ……うん」
「またさっきみたいに?」椿がユージンに聞く。
「いや、あれ苦しすぎるから勘弁して。口移しでお願い」
「わかった」
そう言うと椿はチョウの前に立った。
「よし、椿。口を開けろ」
チョウに命じられるがままに椿は目を瞑り、口を大きく開けた。
チョウの前に椿の口の中が晒される。
椿が上体をゆっくり前に出すと、チョウはその肩を掴んだ。
椿の顎がチョウの指でつままれる。うっすら目を開けてみると、血走った目をしたチョウが急接近して来ていた。
「嫌!」椿が後ろに軽く飛び退く。
「なななんだよ!?」
「チョウ、なんだか怖い」
「なんだよどーせ2回目だろ!?」
「2回目?」
「ど、どーでもいーからユゥをこっちに戻せ!」
「待って」ユージンが椿の口を動かした。「ぼく、こっちにいれば椿の身体を暖めてあげられるよ。さっきみたいに」
「駄目だお前は人間だ人間を自由に動けるようにしておけねー」
そう言うとチョウは再び目を血走らせて迫って来た。
472:創る名無しに見る名無し
19/12/22 13:19:18 kiyh01d0.net
気持ちがいいほどの平手打ちの音が聖堂内に響き、チョウは横に吹っ飛んだ。
椿が屹立し、悪者を見るような目でチョウを見下ろしている。
何か言おうとしているのに震えて言葉が出て来ないようなので、ユージンがその口を使って、チョウに言った。
「チョウ、いい加減、ぼくのこと、信用してよ」
チョウはずるずると身体を引きずって起き上がると、ユージンに言った。
「お前のことはとっくに信用してるよ」
「じゃあ……!」
「ただ、人間を信用してねーんだ。人間は、どんだけ正しくしようと気をつけてても、しちゃいけねーことしちまうんだって」
「え。たとえば……?」
「知んねーけど」
「聞きかじりかよ!」
「知んねーけど、そういうもんなんだよ」チョウは立ち上がった。「だから、俺が友達でいられるのは、お前が動けねー状態の時だけだ」
「ホホホホホ」秀珀が笑った。「それなのにタマシイちゃんを育てようとしてる彼女のことは許すのね」
473:創る名無しに見る名無し
19/12/22 13:28:26 kiyh01d0.net
「椿は仲間だ!」チョウは怒鳴るように言った。「人間じゃねぇ!」
秀珀は意味ありげにニヤニヤ笑うばかりで黙っていた。
「ぼくは……」ユージンが寂しそうに言う。「仲間じゃないの?」
チョウは黙った。
「とりあえずユゥを返すわ」椿はそう言うとチョウに歩み寄った。「じっとしてて。動かないで」
「いや、まぁ……」チョウは顔を背けた。「じゃ、もういいよ。ユゥ、椿を暖めてやってくれ」
「言うことのコロコロ変わる子だねぇ」秀珀が馬鹿にするように言った。
474:創る名無しに見る名無し
19/12/22 13:35:24 kiyh01d0.net
「とにかく、行くぞ」
チョウが出口に向かって歩き出す。
「急いでそいつ育てるんだろ?」
「あん、待ってよチョウ~」
ユージンがそう言ったが、身体の動きと合っていなかった。
「行くわよ、ラン」
椿は振り返ると、ランを呼んだ。
「クォッ」
ランは明るい声で一声鳴くと、床から浮き上がり、椿の後をついて行った。
「頑張ってね」
秀珀がニヤニヤと笑いながら見送った。
「応援してるわよ」
475:創る名無しに見る名無し
19/12/23 12:11:48.79 gxVPqcHA.net
湖には一面、氷が張っていた。
湖面を歩いて何の不安もないほどの厚い氷の下に、お目当てのものはあった。
チョウが火の神通力で五分ほどかけて穴を開けると、ランを急速に成長させるという冷たい水が現れた。
「さぁ、ラン。泳ぐのよ」
椿が抱いて水の上に差し出すと、ランは軽く暴れた。
「嫌がってるな」
「めっちゃ冷たそうだもんね」
「さ、行ってらっしゃい」椿は手を放した。
仕方なさそうにランは飛び込み、水飛沫が上がった。
「大丈夫かな」椿の口でユージンが言った。
「大丈夫よ。水はそこまで冷たくないわ」椿が水に手をつける。
「いや、めっちゃ冷たいじゃん」
「そう?」
「椿は守られてるからな」チョウが言った。「感覚が俺らとちが、ちがちがち……」
「大丈夫? チョウ」ユージンが心配そうに声をかける。「チョウが一番寒そう」
「あぁ、すす涼しいのは好きなんだが、さむ、さむさむ寒いのはどうも……」
チョウの橙色の『気』に鎧としての機能はなかった。火を掌に灯して一応暖をとってはいるが、それはあまりにちっぽけだった。
476:創る名無しに見る名無し
19/12/23 12:18:03.20 gxVPqcHA.net
ランが水面から顔を出した。
何か訴えるように椿の顔を見ると、小さくクォンと鳴いた。
既にさっきまでより明らかに大きくなっていた。
「凄い」椿が喜びの声を上げる。「ほら、もっと泳いで。もっともっと大きくなろ?」
クォン、とまた寂しげに鳴くと、ランは水から上がりたがるような動作をした。
「駄目よ」椿はランを叱った。「大きくなって、1日も早く大きくなって人間界に帰るのよ、ラン」
キュウン、と締めつけられるような声を上げ、仕方なさそうにランはまた水の中へ入って行った。
477:創る名無しに見る名無し
19/12/23 12:24:39.13 gxVPqcHA.net
「どどどどれぐらい泳がせとくつもりだ?」チョウがしばしばと身体を動かしながら聞いた。
「少しずつにしようか」椿はチョウを気遣い、言った。「次はチョウ、わたし達だけで来るから、あの大聖堂で待ってて」
「いや結構距離あったろ」チョウは反対した。「お前に何かあったら駆けつけられねぇ。次もついて来るよ」
「本当、結構距離あったよね」ユージンが言った。「チョウの家に帰るほうが近いくらい」
夜空は晴れていた。しかし風が雪を飛ばし、雪が降りしきっているのと変わらない。
ユージンに守られ、椿の周りだけ雪が蒸発していた。
「ととところで」チョウが言った。「ラン、戻って来ねーけど……」
478:創る名無しに見る名無し
19/12/23 12:32:56.74 gxVPqcHA.net
心配した椿が薄紅色の『気』を纏う。
これにも身体を暖めるような機能はない。ただ植物の力を使うためだけのものだ。
椿は指先から白い蔓を出すと、水の中に潜らせ、ランの居場所を探索する。
蔓がランを捕まえた。湖の底のほうで力を失い、ぐったりとしている。
「ラン!」椿は声を上げた。「冷たすぎたんだわ! 気を失ってるみたい」
「おいおい」チョウが歯をガチガチ鳴らしながら言った。「引き上げられるか?」
椿はランを掴んだ蔓を手繰り寄せる。しかし、ランはさらに大きくなっている。
「重い!」椿が必死の形相になる。「無理……。ラン!」
そう言うなり椿は氷の湖に飛び込んだ。
「うぉい!?」チョウが驚いて叫んだ。
479:創る名無しに見る名無し
19/12/23 12:41:51 gxVPqcHA.net
何の相談もなくいきなり湖に飛び込んだ椿をユージンは守った。
自分が冷たくても、椿は冷たくならないよう、全力で暖めた。
椿も全力で泳ぎ、蔓を辿った。
幸い、海で育ち、30mの崖から飛び込んで遊びながら育って来た子である。泳ぎは大の得意だった。
まっすぐランに辿り着くと、ランは目を閉じて湖底の水に揺られていた。
ほとんど冬眠状態になっている。やはりいくらなんでも冷たすぎたのだ。
椿は急いでランを抱いたが、後悔するような表情を浮かべた。
もう片方の指先からも蔓を出し、チョウに繋いでおけばよかった。
イルカの成体ほどの大きさになっているランを抱えて水面に上がる力は、椿にはなかった。
480:創る名無しに見る名無し
19/12/23 18:02:59.88 gxVPqcHA.net
今からでも遅くはないとばかりに、椿は水上へ向かって蔓を伸ばす。
しかし氷に開けた穴の場所がわからない。
椿はランを抱いたまま、意識が遠くなって行く。
「任せて!」ユージンが目を開けた。
ユージンはランを抱いたまま、湖底の地面を蹴った。
潜って来た方向は覚えている。
椿も気を取り戻した。二人で力を合わせ、バタ足で順調に上へ向かって泳いで行く。
しかしここにチョウまで飛び込んで来たら終わりだ。
あれだけ既に凍えていたチョウが氷の水に飛び込んで無事でいられるわけがない。
水の上に上がれたとしても、三人ともが力尽きていたら、仲良く凍死だ。
しかしユージンはチョウを信じた。
チョウはきっとぼくを信じてくれる。
そう思って、ひたすらに泳いだ。
481:創る名無しに見る名無し
19/12/23 18:09:57.79 gxVPqcHA.net
しかし、水面が遠い。
そんなに深くはないはずなのに、永遠のように遠かった。
ユージンが力尽きると、椿も気を失った。
顎が上がり、腕は下がり、ランを抱く力も……
「クォォッ!」ランが目を開き、勇ましく鳴いた。
『ラン!』ユージンはランの背びれを掴む。『頼む!』
ランは力を振り絞ると、弾丸のように上へ向かって泳ぎ出した。
482:創る名無しに見る名無し
19/12/25 11:01:50.87 Cwiuk57o.net
湖面に出るとチョウの明るい笑顔があった。
「ユゥ! つかまれ!」
少年の姿の椿の手をチョウが固く掴んだ。
そのまま引っ張り上げると、氷の上に二人と一匹は米袋のようにどさりと倒れた。
「チョウ……よく……我慢したね」
「おう」チョウが泣き出す。「お前を信じるしかなかったぜ、ユゥ。信じて……正解だったぜ」
「ありがと……」
ユージンは力尽き、意識を失った。
あとはこの頼もしい相棒に任せれば大丈夫だと信じて。
483:創る名無しに見る名無し
19/12/25 11:39:13.96 Cwiuk57o.net
「いや待て待て」
一人残されたチョウは呟いた。
「俺一人で一人と一匹背負っての?」
ユージンが気を失うと、椿は少女の姿に戻った。
ランは立派なイルカの成体の大きさになっている。
気を失った椿をまず背負う。
自分の身体が大きければ軽いものだったろう。
しかし女の子とはいえ同じぐらいの体格の人間を背負うのはなかなかきついものがあった。
その上にランを乗せる。
大きくて、重くて、つるつる滑るランを、頑張って背負おうとした。
「無理」
そう言うとランは氷の上にランを残し、歩き出した。
悲しそうに目を閉じたランの上に雪が降り積もった。
484:創る名無しに見る名無し
19/12/30 15:45:35.34 2DoFR2RW.net
「いや、駄目だろ」
そう呟くとチョウは踵を返した。
五日間放置されていたランは雪に埋もれて死にかかっていた。
まずランを背負い、腰紐で自分にくくりつけた。その上に椿を背負う。
相当重たい筈だったが、チョウは何も言わずに歩き出した。
485:創る名無しに見る名無し
19/12/30 16:16:12.53 2DoFR2RW.net
ユージンは目を覚ました。
すぐ目の前にランの赤いつるつるした頭があって、揺れていた。
その向こうに荒い息を立てて歩いている小さな少年の気配があった。
「チョウ!」
「お……ユゥ、目ェ覚ましたか」ランの向こうから真っ赤な笑顔が振り向いた。「よかっ……た」
そう言うとチョウは力尽き、膝をつくと、ゆっくりとその場に倒れた。
椿の手を握り締めていた手がほどけ、力なく地面についた。
「チョウ!」
ユージンは椿の身体を乗っ取ると、駆け寄った。
チョウの額に手を当ててみる。
「すごい熱だ」
辺りを見回すと、火の森を抜けるところだ。チョウの家まで近い筈だ。
「……ユゥ?」椿の口が動いた。
「椿! 気がついた?」
「あ……ラン。よかった」椿は気を失っているランの姿を見つけ、安心した声を出す。
「椿、チョウがすごい熱なんだ。チョウの部屋まで力を合わせて運ぼう」
「でも……ランは?」
「え?」
「おばあちゃんに見つかったら通報されちゃう」
「大丈夫だよ。木陰に隠しとけば」
「駄目」椿は頑なな口調で言った。「ランをほっとけない」
486:創る名無しに見る名無し
19/12/30 16:23:31.11 2DoFR2RW.net
「チョウとランと、どっちが大事なんだよ!?」ユージンは声を荒らげた。
それには答えず、椿は言い張った。
「ランをほっとくことなんて出来ない」
「ちょっとだろ! ここからチョウの家までたぶん、近い!」
「一時でも駄目」
「じゃあ……!」ユージンは口をバタバタさせた。「どうすれば安心するの!?」
「水……」椿は言った。「水の中を泳がせておけば……」
「わかったよ!」
ユージンは叫ぶように言うと、ランを繋いでいる腰紐をほどき、チョウに結んだ。
そしてランを抱いて立ち上がると、呟いた。
「確か……このへんに沼があったはず」
487:創る名無しに見る名無し
19/12/30 16:36:06.98 2DoFR2RW.net
幸い沼はすぐに見つかった。
森の中にひっそりと隠れるようにある沼にランを浸す。
「いいわ」椿が安心したように言う。「ここなら誰にも見つからない」
水に浸すなりランは目を開けた。クォン!と嬉しそうな声を上げる。
「静かにしなさいね」椿は優しい笑顔で叱った。「ふふ。よかった」
「さ、行くぞ」ユージンは立ち上がろうとしたが、身体が言うことを聞かない。
「ごめんね、ラン」ユージンに乗っ取られている筈の椿が身体を支配に逆らっていた。「冷たすぎたね。今度はちょうどいいところに行こうね」
「椿! チョウが……」
「いい子ね、ラン」
「死んじゃうよ!」
椿は黙ると、仕方なさそうに立ち上がった。
「ラン、すぐ戻るから、ここで待っててね」
歩き出すと、すぐにまた振り向いた。
「動いては駄目よ? ちゃんと待っててね」
488:創る名無しに見る名無し
19/12/30 16:41:41.01 2DoFR2RW.net
ユージンは椿と力を合わせ、チョウを背負った。
「お……重い!」
たまらず膝をつく。
「さすが男の子だ。小さいくせに重い……」
「ラン……大丈夫かな」椿が呟く。
「そうだ、椿」ユージンが言った。「このままチョウの部屋へ行ってルーシェンを連れて来よう」
489:創る名無しに見る名無し
19/12/30 16:45:06.36 2DoFR2RW.net
「こんにちはー」と言いながら見知らぬ男の子が家に入り込んで来たので、おばあちゃんはぽかんとした。
「誰だい?」というおばあちゃんの問いには答えず、ユージンはまっすぐチョウの部屋へ行く。
ベッドに寝ているルーシェンの口を開かせると、椿の口から飛び移った。
490:創る名無しに見る名無し
19/12/31 10:04:33 +Q5Zjw3X.net
ルーシェンが背負って来たチョウの様子を見ておばあちゃんは慌てふためいた。
「チョウ! あぁ……クスノキのお爺さんを……早く」
「おじいちゃんは死んじゃったでしょ」ユージンはそう言うと、チョウをベッドに寝かせた。
真っ赤な顔できつく目を閉じ、苦しそうに息を荒くしている。
「お爺さんに貰った薬、なかったかしら」おばあちゃんがバタバタと向こうの部屋で探し物を始めた。
「わたし」椿が言った。「おじいちゃんから術をひとつ授かってるわ」
「治療できるの?」ユージンがすがるように聞く。
491:創る名無しに見る名無し
19/12/31 10:14:26.16 +Q5Zjw3X.net
「おじいちゃんほどじゃないけど……。やってみる」
「お願い!」
「うん」
こくんと頷くと、椿はお辞儀をするように身を屈め、躊躇うことなくチョウの唇に唇を重ねた。
「あっ?」ルーシェンのアホ面でユージンはとぼけた声を出した。「あぁっ? あっ!?」
椿はぴったりと隙間なく閉じた口を通じて何かをチョウの中へ入れているようだった。
椿の接吻を受けながら、チョウは苦しそうに目をきつく閉じ、少しのけ反った。
ゆっくりと唇を離すと、椿は額についたチョウの汗を拭いながら言った。
「自己修復の実をチョウの奥に埋め込んだわ。あとはチョウ次第」
「あ……治るの?」
「だからチョウ次第」そう言うと椿は立ち上がった。「わたし、行くね」
492:創る名無しに見る名無し
19/12/31 10:28:17.11 +Q5Zjw3X.net
「なかったわ!」と言いながらおばあちゃんが駆け込んで来た。
「椿が処置してくれた」ユージンは落ち着かせるように言った。「あとはチョウ次第だって」
「ルーシェン、あんた、ずっと眠ってたかと思ったら急に起き出すんだね」
「とりあえずチョウを暖めないと」
そう言うとユージンはチョウの着物をすべて脱がし始める。
「脱がしたら余計寒いじゃないか」
「濡れてるんだよ。新しいの持って来て」
おばあちゃんがバタバタと向こうの部屋へ行っている間に、ユージンはチョウを下着まですべて脱がせた。
そして暖めるために抱き締めると、顔を寄せる。
「知ってた? ルーシェンって、実は女の子なんだ」ユージンはそう言うと、唇を近づけた。「だから……こうするの、おかしくないよ」
熱いその唇に強く接吻をする。頭が痺れた。
「持って来たよ!」
「……早いね」
ユージンは不満そうにおばあちゃんから新しい着物を受け取った。
493:創る名無しに見る名無し
19/12/31 10:36:30.95 +Q5Zjw3X.net
「ところで椿ちゃんは?」おばあちゃんが聞く。
「帰ったよ」
「帰るわけないだろ。あの子、お尋ね者だよ」
「そうなの?」
「皆があの子を探してる。あの子が連れてる人間の魂を殺せって」
「通報する?」
「まぁ……椿ちゃんはいい子だからねぇ。何か事情があるんだろうけど」
「通報しようよ」
「え?」
「皆で捕まえて、ひどい目に逢わせてやろう」
「ルーシェン……あんた、ちょっと、きくらげ臭いけど……」
「気のせいだよ」
ユージンはチョウに着物を着せ終わると、横に寝転び、またチョウを抱き締めた。
「ぼくが暖める。おばあちゃんはもう寝ていいよ」
494:創る名無しに見る名無し
19/12/31 13:27:22.52 wrrct0BI.net
「待った?」
火炎樹のたもとでメイファンに声を掛けられ、ズーローはにっこりと微笑み返した。
「ううん、今起きたとこ」
495:創る名無しに見る名無し
19/12/31 13:37:38.30 wrrct0BI.net
「ところでそんな大きな猫いないよ、メイファン。アハハハ」
「うん、私もそう思ったー。ウフフフ」
メイファンはなるべくこの世界の住人に見つからないよう、大きな猫に姿を変えていた。
「大きすぎるってぇー。まるでイノシシー」
「やだーズーローったらぁ。キャハハハ」
「しかも近く寄るととんでもなくきくらげ臭いしー」
「それレディに言う言葉じゃないー。モホホホ」
「じゃ、今日も……」
「うん、ズーロー。しよ?」
「しなーい」
「おい」メイファンの口調が変わる。「この私が稽古つけてやるって言ってんだ。大人しくヤらせろ」
「お?」ズーローが何かに気づき、声を上げた。
「ム?」メイファンも同時に気づき、そちらを向く。
下半身を鹿に変えたルーシェンが、森の中を蹄の音とともにやって来た。
496:創る名無しに見る名無し
19/12/31 13:53:34.52 wrrct0BI.net
【主な登場人物まとめ】
・ユージン(李 玉金)……17歳の人間の少年。生まれつき身体を持たない、金色に光る『気』だけの存在。
口さえ開いていれば誰の身体にでも自由に入れる。入る身体がなければすぐに死んでしまう。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は植物鹿人間となったルーシェンの身体に入っている。チョウのことが大好き。
・チョウ(湫)……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。
椿に恋しているが、気持ちを伝えようとは決してしない。特別に仲良くはなったものの、年下の椿から弟扱いされてしまっている。
ユージンを人間だと知りつつ信頼し、海底世界に住むことを許している。
・椿(チュン)……16歳の赤いおかっぱの少女。元ユージンの妹で人間。今は海底世界の住人。
クスノキの老人に助けられ、名門『樹の一族』の養女となる。薄紅色の『気』が使える。人間の記憶はすべて消されている。
真面目で頑張り屋。ユージン曰く顔はそこそこ可愛いが、小うるさくて地味な女の子。
自分を助けたがために死んでしまった人間の青年を生き返らせようと、霊婆の元から青年の魂を貰って来た。
赤い魚の姿をした魂にランと名前をつけ、溺愛し、いつも連れて歩いている。
人間の魂を育てることは自然の掟を犯す犯罪であり、指名手配されている。
・ラン(鄧 狼牙)……19歳。ユージンと椿の義兄。赤いイルカに姿を変えた椿を助け、渦潮に呑まれて絶命した。
今は赤い魚の姿をした魂となって、椿に飼われている。
何も食べないが、誰かの愛を受ければ受けるほど急成長する。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたるが、頑なにおばさんと呼ぶのを禁止している。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。ランの母親を15年前に殺した。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとして四歳児チェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
現在、メイファンが身体の中に入っている。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
木の上から落ちて頭を打ち、意識を失ってから植物鹿人間になってしまった。
身体を動かし、食事をしなければ生命維持が出来ないため、ユージンが中に入って世話をしている。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
秀珀の外見に惚れているが、中身はメイファンのほうが好みらしく、秀珀にメイファンが入ってくれることを望んでいる。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
見かけによらずアイドルオタク。
寿命をまっとうし、椿に看取られながら逝去した。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
・霊婆(リンポー)……死者の魂を司る仙人。一つ目を描いた布で顔を隠している。名前は女性だが性別不明の老人。
『気』の海に浮かぶ島に猫とともに一人で住んでいる。
・秀珀(ショウポー)……雪の国に住む美女。悪い子の魂を司る。
秘密の目的があって人間界に行きたがっている。
497:創る名無しに見る名無し
19/12/31 13:59:27.27 wrrct0BI.net
「おい」
「おい」
「ユージンじゃないか」メイファンとズーローが口を揃えた。
「あっ、メイファン。ズーロー」
呼ばれて初めて二人に気づき、ユージンはカッポカッポと音を立てやって来た。
498:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:04:34.26 wrrct0BI.net
「椿、見なかった?」
「いや、見てないぜ」
「あ、メイファンは椿のこと知ってたかな」
「は?」メイファンは意味がわからなかった。「知らないわけねーだろ」
「そうなの?」ユージンは不思議そうな顔をすると、また歩き出そうとした。「椿を探してるんだ。じゃ」
「おい、待て」メイファンが呼び止めた。「私のことは思い出したけど妹のことは憶えてないのかよ?」
ユージンの足が止まる。
振り返ると、言った。
「妹?」
「あぁ」
「何言ってんの?」
「はぁ?」
「あんな嫌な子がぼくの妹なわけないじゃない」
499:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:14:37.98 3M4jb9vv.net
そっぽを向いて歩き出そうとしたユージンをメイファンはまた呼び止める。
「おい、お前、おかしいぞ」
「何が」ユージンは無表情に振り向いた。
「あの赤い魚が誰なのかもわかってねーのか?」
「なんのこと」
「いや……あんだけ慕ってた義兄のこと。姿形が変わってたってお前がわかんねーわけねーだろ」
「意味がわからない」
そう言うとまた歩き出そうとしたユージンをメイファンが呼び止める。
「しつこい」ユージンは苛立った顔つきで振り向いた。
「なんか」メイファンは少しニヤニヤしながら言った。「お前の記憶喪失、都合がよすぎるみてーだな」
「そうなのかな。じゃ、行くよ。急ぐから」
「なぁ、お前、あの小僧の中にはもういねーのか?」
「チョウのこと?」
「あー、そいつだ」
「いないよ」
「そうか」メイファンはこの上なく嬉しそうな顔をした。
500:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:20:55.39 gG9bT+hW.net
500
501:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:21:31.42 3M4jb9vv.net
「いいなぁ」ズーローが言った。「俺も誰かの身体に入って乗っ取ってみてー」
「あっ! 私、用事思い出しちゃった」メイファンはユージンの姿が見えなくなるのを待って言った。
「え~? 一緒に昼寝デートするって約束じゃんよ~」
「ごめんねっ。この埋め合わせは必ずするから。じゃっ!」
そう言うとメイファンはスキップするように飛び去った。
502:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:27:02.65 3M4jb9vv.net
木の枝を伝って飛び、身体をムササビに変えて森から町へ飛び移った。
チョウの住む集合住宅の下に立つと、メイファンは身体をイモリに変え、速いスピードで壁をよじ登った。
5階の目的の窓に到達すると、物音を潜めて中を窺う。
チョウはベッドに伏しており、その傍らに付き添っている椿の後ろ姿が見えた。
『バカユージン……。ここにいるじゃねーか』メイファンは音を立てずに舌打ちした。
503:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:36:04.27 3M4jb9vv.net
「ねぇ、チョウ。起きて」
椿は付き添っているというよりチョウを起こそうと揺すぶっているようだった。
「ランがいなくなっちゃったの」
『ランが……?』
メイファンは事態の重さを計り、心の中で呟いた。
『……どうでもいいな』
「お願い。一緒に探して」
椿はチョウの胸に顔を埋めた。
「わたしの埋めた実、効かなかったの? でもあれ、二度やると逆に身体に悪いの……」
メイファンは部屋に入った。
「おい、椿」
「あれ……。メイファンちゃん」
504:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:45:28.41 3M4jb9vv.net
「椿、お前、指名手配されてるらしいな」
椿は弱ったような顔をすると、小さな声で言った。
「皆、私のこと、怒ってるかな」
「あの魚がいなくなったのか」
メイファンがそう言うと、椿は勢いよく顔を上げた。
「うん。ランが、どこにもいないの。メイファンちゃん、赤い大きなお魚、見なかった?」
「大きな?」メイファンは普通に負なぐらいの大きさだった魚を思い出しながら首をひねった。「大きかったっけ?」
「うん。今、人が乗れるぐらいの大きさなの。見なかった?」
505:創る名無しに見る名無し
19/12/31 14:51:44.88 3M4jb9vv.net
「まー……見かけたら教えてやるよ」
「お願い」椿は手を合わせると、上を向いた。「あぁ、わたし、心配で心配で、胸が張り裂けそうなの」
「ま、考えたら」メイファンはつまらなさそうに窓のほうへ歩き出した。「3人まとめて連れて帰ったほうがララにも怒られねーしな」
「ちょっ……! メイファンちゃん!?」
「椿がいたんじゃ用事も出来ねーし」
そう言い残しながらメイファンは窓から外へ落ちて行った。
悲鳴を上げて椿が窓辺に駆け寄り、見下ろしたがメイファンの姿はもうなかった。
506:創る名無しに見る名無し
19/12/31 15:00:29.69 3M4jb9vv.net
「暇だぁー!」
メイファンは身体を黒いポニーに変え、川辺を駆け回った。
「暇なんだぁぁぁあ!」
507:創る名無しに見る名無し
20/01/04 22:02:04.49 78UOcvS/.net
そしていつの間にか2020年になっていた。
508:創る名無しに見る名無し
20/01/06 01:16:08.57 cs1zEjdU.net
そして世界は滅びた
509:創る名無しに見る名無し
20/01/06 18:14:53.30 SjwKwqwJ.net
「ほんま、滅びろこんな暇な世界」
メイファンがそう呟きながらポニーになって川岸を駆けていると、ふと背筋に寒気を感じた。
恐る恐る右へ頭を向けてみる。
全速力で駆けているメイファンの隣を、いつの間にかニコニコ微笑みながらついて飛んでいる老人の姿があった。
「どわぁっ!?」
メイファンが急停止すると、老人もついて止まった。
ずっとこちらをまっすぐ向いたまま、余裕の笑みを浮かべている。
「なっ、何だこのジジイ、いつからいやがった!?」
「こら人間」老人は微笑んだまま、厳しい声で言った。「そなた、水龍道士を殺害した犯人じゃな?」
510:創る名無しに見る名無し
20/01/06 18:27:09.04 SjwKwqwJ.net
やたら金色の多い派手な着物に赤い帽子を被った健康そうな老人だった。
にこやかな表情は顔に貼り付いた仮面のようにしか見えず、その裏にある鬼のような顔をむしろ強く想像させた。
「だっ、誰だよ、お前?」
「ワシの名前は辱収(ルゥショウ)」
「ルッ……辱収だと!?」メイファンがその名を知らないわけがなかった。「句芒、祝融、玄冥と並んで四神と呼ばれる……あの!?」
老人は黙ってコクコクと頷いた。
祝融と闘っていなければコイツも神の名を騙る生意気なバカだとしか思わなかったことだろう。
しかしメイファンは既に祝融を本物の火の神だと認めていた。ということはコイツも……。
『気が……ねぇ』メイファンの額から大量の油汗が髪の毛や頬をつたって落ちた。『コイツも祝融レベルだってことかよ』
511:創る名無しに見る名無し
20/01/06 18:37:22.13 SjwKwqwJ.net
メイファンは相手の『気』を読むことで闘う。
『気』の動きがあるからこそ相手の攻撃を避け、隙を見つけて攻撃を叩き込める。
『気』が存在しない相手の攻撃は避けようがなく、隙のありかもわからない。
今、目の前にいる老人は、人間の形はしているものの、まるでいつどこから襲いかかって来るか読みようのない、まるで自動照射式のレーザー砲みたいなものだった。
「チェンナ……」メイファンは小声でチェンナに話しかけた。
「んー?」
目の前の老人が優しそうなおじいちゃんにしか見えないらしく、チェンナの声は呑気なものだった。
「すまん。死ぬかもしれん」
「え~? 死ぬのはいやだよ」
「いやだよな……」
逃げるか、闘うか。逃げる時にはどうしても隙が生じる。しかし自分はどうでもいいとして、チェンナを殺されたくはなかった。
512:創る名無しに見る名無し
20/01/06 18:51:27.64 SjwKwqwJ.net
『通じるわけないか……』
半ば諦めながら、メイファンはいつもの手を試してみることにした。
「おじいちゃん……」
四歳チェンナの声で弱々しくそう言いながら、うるうると瞳を潤ませる。
「チェンナね、迷子なの」
辱収はただニコニコと笑っている。
「帰り道がぁ……わかんないのぉ」
メイファンは渾身の演技をした。
「助けてよぉ……おじいちゃぁん……」
老人の笑顔が崩れた。
明らかに本物の憐れみの表情に替わり、ゆっくりと近づいて来た。
「おぉ……おぉ……それは可哀想にの」
近づいて来る辱収の首にメイファンの高速の鎌が食い込み、そのままはねた。
513:創る名無しに見る名無し
20/01/06 18:53:50.03 SjwKwqwJ.net
「子供の姿に惑わされるとは……」
メイファンは安堵の息を漏らしながら、草に倒れた辱収の首のなくなった身体に吐き捨てるように言った。
「それでもプロか」
514:創る名無しに見る名無し
20/01/07 06:25:11.56 qwQbyaH4.net
ユージンはチョウの容態が気になり、椿を探すのを一旦諦め帰って来た。
部屋に入るとチョウは落ち着いて眠っていた。
「……だいぶんよくなったみたい」
ホッとして側に腰を下ろす。
傍らに冷たい水を張った盥が置いてあり、チョウの額には濡れた手拭いが置かれてあった。
「おばあちゃんが付き添っててくれたんだな」
そう思ったところへおばあちゃんが帰って来た。
「あらルーシェン。チョウにそんなことしてくれたのかい? ありがとうね」
ユージンはおばあちゃんの言葉に首をひねり、聞いた。
「これ、おばあちゃんがしたんじゃないの?」
「またまた……。私、そういうの気づかずにね、チョウをほっといて薬を貰いに行っちまってね」
「じゃあ……これは……」
ユージンの脳裏に赤いおかっぱの女が浮かび、ユージンを小馬鹿にするように薄笑いをした。
515:創る名無しに見る名無し
20/01/07 06:41:23.08 qwQbyaH4.net
おばあちゃんが向こうへ行き、暫くするとチョウが目を開けた。
「……ユゥ?」
「チョウ!」ずっと顔を見つめていたユージンが喜びの声を上げる。「よかった。気分はどう?」
「ん……」チョウはまだ夢の中にいるように言った。「なんか……俺……凄く甘いものに食べられてた……」
「は?」
「ごま餡というより白餡……というより……」
「まだ夢見てんの!?」
「俺が食べるはずの甘くて美味しいものが……俺を……あっ!」
チョウは跳ね起きた。
「そうだ! そうじゃん!」チョウの顔がみるみる赤くなり、目が垂れ下がった。「お前を、椿が、俺から吸い出して! つまり……」
「接吻」ユージンはムキになったように言った。「してないよ」
「え……。でも……!」
「ほくがチョウに初めて入った時、覚えてる?」
「ああ……」チョウは記憶を辿るまでもなく、言った。「ズーローの口から、お前が床に、うんこみてーに、ぼとっと……。それを俺が拾って……」
「そう」ユージンは勝ち誇ったような顔をした。「あんな感じ」
「ま」チョウは残念さを隠しきれないまま落ち着いた声で言った。「まじかぁ……」
516:創る名無しに見る名無し
20/01/07 06:56:04.43 qwQbyaH4.net
平静を装うチョウを見ながら、ユージンの脳裏に先程の光景が浮かんでいた。
椿が自己修復の種を埋めるために、そのいやらしい唇で、チョウの口を塞いだ光景が。
「チョウ」ユージンは無表情に聞いた。「お腹減ってない?」
「いや。大丈夫だ。それより椿は? ランは? どこ行ったんだ?」
「チョウ!」ユージンは叱るように言った。「椿は自分達が逃げるためにチョウを利用してるんだよ?」
「おぉ?」チョウはびっくりしたような顔で答えた。「べつに利用してくれりゃいいじゃん」
「もう関わらないで!」
「なんだそりゃ」
「チョウがあんなに必死になることないじゃない! チョウには関係ないことだよ!」
「関係なくねーよ!」チョウが大声を上げる。「俺は大切な奴が困ってたら絶対に助ける、大いに関係ありだ!」
「でも……」ユージンははっきりと言ってやった。「椿はランに恋してる! チョウにじゃなくて!」
「あぁ!?」チョウはおかしなことを言う奴だな、と顔で言った。「ランは……魚だぞ?」
「でも、元々は人間だよ」
「だけど……!」
「カッコいいお兄さんだって聞いた」
「は? でも……!」
「優しくて、カッコよくて、でも椿のために死んだ」
「それが何だよ!?」
声を聞いておばあちゃんが部屋に入って来たので二人は黙った。
517:創る名無しに見る名無し
20/01/07 07:04:53.37 qwQbyaH4.net
おばあちゃんが薬をチョウに飲ませ、出て行っても二人は暫く黙っていた。
「そっち……」ユージンが重い口を開く。「戻ろっか?」
「え?」
「ぼくを自由にさせとけないでしょ? 人間だから」
「いや」チョウは向こうを向いて寝転んだ。「ルーの身体、動かしてやってくれ」
「いいの……? ずっと?」
「もちろんルーが戻って来るまでだよ」
「自由にして……いいの?」
「そりゃルーの身体だからな、あんまり自由にすんのはルーに失礼だぞ。大切に扱ってやってくれ」
「ぼくを」ユージンは嬉しさに声を震わせた。「信頼してくれるんだね」
「お前だからだぞ」チョウは向こうを向いたまま言った。「人間は信用してねーけど、お前は特別だ」
「ありがとう!」ユージンはチョウの首に後ろから抱きついた。
「うわっ!」チョウが慌てて飛び起きる。「気持ち悪ィな! やめろ!」
518:創る名無しに見る名無し
20/01/07 09:48:40.57 qwQbyaH4.net
ユージンは下半身を鹿に変え、背中にチョウを乗せて川岸を駆けた。
「アハハ、チョウ!」
「こら遊んでんじゃねぇぞ? 椿を探すんだ」
「ウフフ、チョウ! チョウ!」
「うっせー頭イカれたか? 水のあるところにいるはずなんだ」
ユージンはルーシェンの身体にひとつだけ不満があった。
背はすらりと高いし、容姿端麗で、カッコいい角もある。
ユージンの望んでいたほうの出っ張っていない性器もついている。
『でもルー……なんでこんなに胸がぺったんこなんだ』
チョウがせっかく背中に跨がり、胸に手を回して掴まってくれているというよに。
チョウが掴まるカッコいい胸が欲しかった。
519:創る名無しに見る名無し
20/01/07 09:48:52.87 qwQbyaH4.net
しばらく駆けていると、前方に何やらグロいものが見えてきた。
近づくにつれ、それが何なのか、はっきりとわかりはじめた。
金ピカの着物を着た老人の、首なし死体。
「どわぁぁぁあ!?」
「ひゃあぁぁぁっ!?」
二人は同時に悲鳴を上げ、ユージンは脚を止めた。
520:創る名無しに見る名無し
20/01/07 10:23:43.01 qwQbyaH4.net
「こっ……これ」チョウが目を背けながら言った。「黒い悪魔の……お前の叔母さんの仕業じゃねぇのか!?」
「いや……違う」ユージンは否定した。「……と思う。プロなら後始末はする。こんな所に放置したりしない……と思う」
「何がプロだ!」チョウは怒りはじめた。「人間め……! やっぱり人間ってヤツは……」
ユージンは黙るしかなかった。
521:創る名無しに見る名無し
20/01/07 10:28:52.53 qwQbyaH4.net
「祝融に報告するぞ?」
「待ってよ! 証拠がない!」
「お前、今、言ったばっかりじゃねーか」チョウは怒りで白い髪が逆立っていた。「アイツはそういうことする奴だって」
「でも……」
「証拠がなくても第一に疑うべきはアイツだ。通報する」
「……仕方ないね」
ユージンは項垂れるしかなかった。
「よし、走れ」チョウが命令した。「祝融師匠んとこ、行くぞ」
522:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:03:40.85 HO5T2/aa.net
次の日の昼、メイファンはいつものように大きな猫に姿を変え、待ち合わせ場所に行った。
ズーローはいつもと変わらず樹に凭れ、平和そうに惰眠を貪っていた。
それでもメイファンは少し期待しながら声をかけてみた。
「おい、ズーロー」
呼び掛けるとすぐにズーローは目を開けた。心なしかいつもよりも怖い顔で。
「メイファン……」ズーローは目を覚ますなり、言った。「お前……辱収……殺した?」
「殺した!」メイファンは胸を張って言い、ズーローの反応をわくわくしながら待った。
523:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:11:51.05 HO5T2/aa.net
「すげーな」ズーローはそう言うと、笑った。「あのじーさん、祝融と同等の力あんだぜ?」
「は?」メイファンは拍子抜けしてしまった。「私のこと、怒らんの?」
「なんで?」
「だって……またお前の仲間、殺したんだぜ?」
「仲間ってほどじゃねーし」
「それに」メイファンはニヤリと笑った。「今回はあっちが私を殺そうとしたからじゃなく、一方的に殺したんだ」
「どーせ辱収もメイファンを殺して魚にして人間界に送り返すつもりだったに違いねーよ」
「おいコラ私は殺人鬼だぞ?」
「ううん。こわいっていうより可愛いよ」
524:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:25:12.69 HO5T2/aa.net
「つまんねー!」メイファンは叫び出した。「わざと死体残してまでお前の耳に入りやすくしてやったのに!」
「ハァ?」ズーローは首を傾げた。「何がしたかったの? メイファン、お前?」
「なんでもねーよ。ただ、才能あるお前に殺る気になってほしいなーとは思う」
「ヤる気なら結構あるんだぜ。メイファンが秀珀の身体に入ってくれたらもっとビンビン……」
「お前、怒らせたら結構面白そうなんだけどな」
「怒らせてみろー。やーい、やーい」ズーローは舌を出しておどけた。
「……暇だ」メイファンはため息を吐く。
525:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:35:07.71 HO5T2/aa.net
「しかし……」ズーローは急に真顔になった。「祝融が本気になったぞ」
「まじ?」メイファンが怯えた声を出す。「じーさん殺したから激おこ?」
「俺、たぶん祝融に、お前を匿ってると疑われてる」
「まぁ……その通りだもんな」
「俺、祝融に拷問されて、お前の居場所吐かされるかも」
「拷問か……。楽しそうだな」
「一緒に逃げようぜ。駆け落ちしよう」
「っていうか、私が祝融なら……」メイファンは背筋がぞくりとした。「気配を消してお前を見張り、私と接触するのを待つ……」
526:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:41:04.41 HO5T2/aa.net
『……しまった!』
メイファンは急いで辺りの気配を窺った。
森の中など樹木の陰だらけで隠れる場所など探せばきりがない。
しかも相手は『気』を持たない。
樹の陰からいきなり攻撃されては避けられるはずもない。
しかし『気』の鎧を最大にして攻撃を待っても、祝融の攻撃が襲いかかって来ることはなかった。
527:創る名無しに見る名無し
20/01/09 00:45:18.35 HO5T2/aa.net
「おかしいな……」メイファンはなおも警戒しながら、呟いた。「お前を見張っているものだと思ったが……」
「ん?」ズーローが言った。「何の音だ?」
言われてメイファンも耳を澄ます。
遠くから地鳴りと、海の水が暴れるような音が聞こえて来た。
528:創る名無しに見る名無し
20/01/09 22:22:35.40 NMw9aKRS.net
異変を聞きつけた祝融の弟子達は師匠の家に駆けつけた。
ズーローを除く全員が集まった。
もちろんチョウも、話を聞きたがるユージンを中に入れてやって来た。
祝融は弟子達が勢揃いしても、暫くの間険しい顔をして黙り、考え込んでいた。
しかし「何事ですか」と弟子達が急かすので、仕方なさそうに口を開いた。
「ありえぬことだ。ウル川が突然氾濫し、水の町を襲った。大水害だ」
弟子達はざわめき、口々に驚きの声を上げた。
「水の町を?」
「そんな、まさか!」
「ありえない! だって水の町は……」
「そうだ」
祝融は苦しみを顔に表し、言った。
「水を司る赤松子のいるあの町が大水害などとは……俺のいるこの町が大火災に見舞われるに等しい」
529:創る名無しに見る名無し
20/01/09 22:30:09.19 NMw9aKRS.net
「自然が怒り狂ってるんだ」
チョウは小声でユージンに言った。
「人間が一度にたくさん、この世界にやって来たから」
「そんな……!」
ユージンは危うく上げかけた大声を殺して言った。
「ぼくのせいなの!?」
「いや、お前は身体がないし、きくらげ臭さも隠せる程度だ。大したことない。それよりも……」
チョウは確信したように言った。
「メイファン。あれは人間の中に人間が入ってる。二重だからきくらげ臭さが半端ない! アイツのせいに間違いない」
530:創る名無しに見る名無し
20/01/09 22:36:09.24 NMw9aKRS.net
「原因は『黒い悪魔』だ」
チョウは大声で祝融に告げた。
「アイツがこの世界にやって来たせいで自然がおかしくなっちまったんだ」
「いや。それはない」
祝融は断言した。
「人間がこの世界に存在するのは確かに不自然なことだ。しかし、それだけでは、こんなことにはならない」
「じゃあ! ……何が原因だ?」チョウは少しムキになった。
「わからぬ」祝融はそう答えるしかなかった。「わからぬが、必ず突き止める。このままでは赤松子の面目が丸潰れだ」
531:創る名無しに見る名無し
20/01/09 22:49:28.19 NMw9aKRS.net
「『黒い悪魔』のことも重要な案件だ」
祝融は弟子達に言った。
「信じられぬことだが辱収を殺害したのは恐らく奴だ。放ってはおけん」
「しかし、水の町の支援と水害の原因究明は更に急を要する」
「今、土の町が地母神后土の統率の元、早速支援にあたっているそうだ」
「我らも急ぐぞ。よいな?」
弟子達は声を揃えて立ち上がった。
532:創る名無しに見る名無し
20/01/10 06:05:51.04 j1AN+948.net
「祝融」
赤松子はやって来た祝融を見ると、泣きそうな顔をした。
町は濁流に呑まれ、住人達は皆高台に避難していた。
破壊された家屋の残骸がごうごうと流されて行き、時々犠牲者らしき影もその中に見えた。
「赤松子。なんということだ。お前がいながら」
悲しみに顔の歪む祝融の胸に赤松子は飛び込み、顔を埋めた。
「私の神通力が……効かないんだ」
向こうのほうではいつもは穏やかな母のような地母神后土が、崩れる土砂を宥めようとしていたが、こちらも神通力が届いていないようだ。
激流に圧され土砂は、地母神の言うことなどまったく聞かずに、怒り狂うように暴れていた。
533:創る名無しに見る名無し
20/01/10 06:08:41.00 j1AN+948.net
「原因は」赤松子は悔しそうに言った。「察しがついている」
「何だと?」祝融は赤松子の顔を上げさせ、聞いた。「その原因とは何だ」
「魚だよ」
「魚?」
「『樹の一族』の養女だ。あの娘が育てている赤い魚だ」
534:創る名無しに見る名無し
20/01/10 09:26:48.27 j1AN+948.net
話を聞き、祝融は赤松子を責めた。
「お前、なぜそんなことを黙っていた?」
「だってあの娘、いい子だし、可愛いし……」
赤松子の頬を祝融の平手が打った。
「それでも水の長か! しっかりしろ」
「……ごめん」赤松子は祝融の胸で泣き出してしまった。「ごめんねぇ~!」
535:創る名無しに見る名無し
20/01/10 09:39:11.79 j1AN+948.net
「チョウ」
祝融がチョウのほうを振り向いた。
「お前、樹の娘と親しかったな」
「え……」チョウはいきなり言われ、言葉に詰まった。
「あの娘はどこにいる?」
「あ……し、知らない」
「探せ」
「は……はい」
「死んだ人間の魂を霊婆の島から持ち出し、育てるなど許してはならん。前代未聞だ」
チョウは返す言葉を見つけられず、黙ってしまった。
「間違いない。前代未聞の自然に逆らうその娘の行いに、自然が歪んでいるのだ」
「……」
「ここの救援は私達でやる。お前は樹の娘を探して見つけ出し、私の元へ連れて来い」
「……」
「お前は大切な者を守ろうとする、心優しい子だ。そういう子は私は好きだ」
「……」
「だからズーローを差し出せとも言わなかった。しかし、今回は事が重大だ」
「……」
「この世界と、その娘と、どちらが大事なのか、考えるまでもなかろう。一刻も早く世界を不安に陥れている元凶を、その娘を、探し出すのだ」
「……」
「よいな?」
「わかった」
そう言うと、チョウは振り返り、駆け出した。
536:創る名無しに見る名無し
20/01/10 11:50:04.64 j1AN+948.net
『やった!』
ユージンは心の中で喜びの声を上げた。
チョウは何も言わずに走っていた。
方角からしてどうやらチョウの家に向かっているらしかった。
「ルーにぼくを戻すの?」
ユージンが聞くと、言葉が届いているのかどうかよくわからない、上の空な調子で返事が返ってきた。
「うん」
537:創る名無しに見る名無し
20/01/10 11:53:14.27 j1AN+948.net
「椿を差し出すっていっても、死刑にされるわけじゃないんだからね」
「うん」
「あの魚が滅せられるだけだよ。椿のこと思いやる必要ない」
「うん」
「大体、悪いことしてるわけだからさ。友達が悪いことしてたら、ちゃんと正してやるのが本当の友達ってもんだよ」
「うん」
「聞いてる?」
「うん」
538:創る名無しに見る名無し
20/01/10 11:56:48.66 j1AN+948.net
「ねぇ、椿、あそこじゃないかな」
「うん」
「ほら、雪の国の、大聖堂」
「うん」
「なんだか椿を応援してる女の人もいたし」
「うん」
「ランもあそこだと早く大きくなるって言ってたし」
「うん」
「うんばっか言ってんじゃねーよ」
「うん」
「バカにしてんのか?」
「とにかく」チョウは顔を上げると、穏やかな口調で言った。「早く椿を見つけねーと」
539:創る名無しに見る名無し
20/01/11 08:39:11.29 RHtJi0r4.net
「こんにちは」
雪の国の大聖堂の大扉を開けて、メイファンは言った。
「だれかいませんか」
するとすぐに赤黒い『気』が糸のように上からゆっくりと降りて来、つららが落ちるようにメイファンめがけて襲いかかって来た。
避けるまでもなく盾にした右手で払うと、メイファンは言った。
「だれかいませんかぁ」
「おりません」と奥のほうから女の声がした。
「じゃ、勝手に奥へ入りますよ」
そう言うとメイファンは短い足をちょこちょこと動かして奥へと進んだ。
540:創る名無しに見る名無し
20/01/11 08:48:19.89 RHtJi0r4.net
少し進むと足元に赤黒い『気』の糸が横に張られ、足を引っかけようと待ち構えていた。
「うーん」メイファンは少し考えてから、それに足を引っかけて転んでみた。「わぁ、罠だぁ」
赤黒い『気』が無数の手となり、チェンナの魂を掴むのがわかった。
ぐいぐいと引っ張り、身体から引き出してネズミの形に変えようとする。
「あっ、だめですよー」
そう言いながらメイファンは身に纏った真っ黒な『気』を無数の足に変え、ドカドカと相手の手を踏み潰す。
「失礼な子だね!」
たまらず激怒の表情で秀珀が奥から姿を現した。
「失礼を通り越して無礼!」
541:創る名無しに見る名無し
20/01/11 08:56:10.62 RHtJi0r4.net
「無礼はどっちだ、このドブス」
メイファンの言葉に秀珀の美しい顔が歪んだ。
「ドブスじゃないわよ、この悪たれが」
「私はお客さんだ。さっさと歓迎しろ、このドブスババァ」
「ドブスにとどまらずババァ呼ばわりかい。覚悟おし。アンタは生きて帰さないよ」
「ズーローから紹介されて来たメイファンとチェンナだ。大人一人と子供一人でチェックイン頼む」
「聞いてないよ。大体ズーローなんてただの酒場での飲み友達。アンタの面倒見る義理などないわ」
「やるか?」
「ネズミにしてくれる、この人間の悪ガキが」
542:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:07:44.42 RHtJi0r4.net
秀珀の顔が強風に煽られるようにざわめき、目が赤くつり上がった。
「わぁ、本当にドブス」
無邪気に笑うメイファンの前から秀珀は飛び上がり、大聖堂の高い天井で止まる。
「ネズミどもに食い殺されるがいい」
四方八方から食欲を剥き出しにしたネズミが無数に出現し、メイファンめがけて押し寄せて来た。
「あぁ。なんか殺すのかわいそう」
そう言うなりメイファンは飛び上がり、頭に『気』で作ったプロペラをくっつけて空を飛んだ。
「なんだい、お前は?」秀珀は驚いて大きな口を開けた。「人間が飛べるわけが……」
チェンナの口から波動砲のように黒い光がカッと発射される。
黒い光は避けようのないスピードで秀珀の開けた大きな口へ飛び込んだ。
543:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:14:16.63 RHtJi0r4.net
残しておいた微量の『気』でチェンナはまだ飛んでいる。
メイファンは秀珀の身体を乗っ取ると、その口を動かして言った。
「ここに赤いおかっぱの娘が来てるだろう。出せ」
「きっ……来てないよ!」
「え~? ここじゃねーのか。まぁ、いいや。私達も追われてる。ここに泊まらせろ」
とりあえず秀珀の神通力を奪って床のネズミ達を引っ込ませると、メイファンはチェンナを着地させた。
「とりあえず、酒、ある?」
544:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:23:27.30 RHtJi0r4.net
ルーシェンの背に乗りチョウは雪の国の大聖堂にやって来た。
大扉を開けるとチェンナの身体に戻ったメイファンと秀珀が酒を酌み交わし談笑していた。
「あら、チョウくん。また来たの」秀珀が色っぽい顔色で言った。
「よう、少年。ユージンも一緒か」メイファンが明るい笑顔で言った。
「あ……てめーーっ!」チョウが大声を上げる。
「メイファン!」ユージンがルーシェンの口で言った。「また人殺しちゃったの?」
545:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:34:13 RHtJi0r4.net
「まぁ、ガキどももここ来て座れ」メイファンが手招きをする。「酒、飲むか?」
「あら、ダメよぉ」秀珀が笑いながら手をひらひらと動かす。「それじゃ悪い子になっちゃう」
チョウはメイファンに飛びかかり、捕まえるような動作をしたが、途中で足がすくんだ。
首をはねられかけた記憶が強烈に身に染みついていた。
「椿は……ここに来てないか?」飛びかかる代わりにチョウはメイファンに聞いた。
「うん。私もここかと思ったんだが、来てないらしい」
「メイファン」ユージンが言った。「早くあの子捕まえないと、この世界が滅茶苦茶になっちゃうんだ!」
「あら。捕まえられちゃ困るわ」秀珀が言った。「あのお魚さんに、人間界への扉を開けて貰うんだから」
546:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:43:12 RHtJi0r4.net
「そうなんだ、ユージン」メイファンは諭すように言った。「椿の邪魔しちゃダメだぞ」
「椿ちゃんは人間界への扉を開けてくれるのよ」秀珀はうっとりするように言った。「それを通ってメイファンとユージンくんは人間界に帰り、私も……」
秀珀はビクビクンと2回痙攣すると、白目を剥いた。あまりに甘美な想像に逝ってしまったようだった。
「お前」メイファンが秀珀に聞く。「人間界行って何すんの?」
「秘密」
「教えろ」
「しょうがないわね。親友のメイファンだから教えてあげるわ」
秀珀は頬を染めてメイファンに耳打ちした。
「なんだそんなことか」メイファンは呆れたように言った。「くだらねー」
547:創る名無しに見る名無し
20/01/11 09:54:54.45 RHtJi0r4.net
「とりあえず私と秀珀は、二人とも人間界に行きたい。利害関係が一致して親友になった」
「薄っぺらい親友だね」ユージンは呆れて言った。
「まぁ、人間界への扉が開けば、お前も帰れる。椿の邪魔しちゃダメだぞ」
「ぼくは帰らないよ」
「いや、連れて帰る。ララに怒られるの嫌だからな」
「帰らない。ここに残る」
「お前な……」
「おい!」チョウが口を挟んだ。「勝手なこと言ってんなよ」
「勝手なこと?」メイファンが首を傾げる。
「お前にはどうでもいいかもしんねーが、この世界が滅茶苦茶になるんだぞ?」
「椿はランを人間界に還そうとしてるんだ」メイファンは同情を求めるように言った。「ランが人間界に戻れば、この世界も平和になる。それまでの辛抱だ」
548:創る名無しに見る名無し
20/01/11 10:04:45.75 RHtJi0r4.net
「ふざけんな!」チョウは怒鳴った。「もう既に水の町が滅茶苦茶だ」
「だから皆に迷惑がかからないよう、急いでランを育ててるんだよ、椿は」メイファンは姪っ子の行いに感心するように言った。
「ちょっとでも駄目だろ! そんなの……」
「考えてもみろ」メイファンは諭す口調でチョウに言った。「椿はランを帰したい、秀珀は山崎賢人に会いに人間界へ行きたい」
「いっ……!」秀珀が声を上げ、顔を赤らめた。「言っちゃ駄目だよぅ~!」
「私とユージンも人間界に帰りたい」
「ぼくは……」ユージンは突っ込もうとしたが面倒臭くなってやめた。
「これだけの人数が助かるんだぞ? 町の壊滅など安いものだ」
「バカか!?」チョウは呆れて吐き捨てた。
549:創る名無しに見る名無し
20/01/11 10:19:24.35 RHtJi0r4.net
しかしチョウはそれ以上何も言えなかった。
「あのお魚さん」秀珀が言った。「今、急速に大きくなってるわよ」
「わかるのか?」メイファンが酒を呷りながら聞いた。
「ネズミちゃんが知らせてくれるの。ぐんぐん目に見えて膨らんでるって」
「おい!?」チョウが口を挟む。「それ、椿も一緒か!?」
「いいえ。椿ちゃんはまだお魚さんを探してる。どこにいるかは知らないけど」
「でもなんでそんな急速に?」
メイファンの問いに秀珀は答えた。
「たぶんだけど、椿ちゃんが心配してるからね。離ればなれになって、より強い想いをお魚さんに向けてるから……」
「あぁ」ユージンが言った。「ランは椿の愛を栄養として育つんだもんね」
「しかも成長を促す冷たい水の中に閉じ込めてあるから、本当、素晴らしい勢いで大きくなってくれてるわ」
「は?」チョウが突っ込んだ。「もしかしてアンタ、ランをさらって監禁してる?」