19/11/27 20:25:36 ZGA/Z+r2.net
部屋に帰ったチョウはいつものようにモミジの葉を紅くする練習を始めたが、心ここにあらずだった。
鉢植えを手に取り、手を当て『気』を込めるが、何も起こらない。
「あー、集中できねー」
「どうしたの?」ユージンが聞く。「ずっと顔の筋肉笑ってるけど……」
「笑ってねーよ」チョウは幸せそうにニコニコしながら言った。「なぁユゥ、椿ちゃんて可愛いよな」
「そう?」ユージンは答えた。「ぼくはなんかうるさそうな子だなって思った」
「あー、お前はチンコついてないからな。女の子の魅力とかわかんねーわな」
「え」ユージンはどこかで同じようなことを言われたような気がした。
椿ちゃん、椿ちゃん、と譫言のように呟きながら、チョウの練習は絶不調を極めた。
「『気』が乱れまくり」ユージンが突っ込んだ。
「いいだろ、こんな日もあるさ」チョウはそう答えるとまた呪文のようにチュンチャン、チュンチャン、と呟き出す。
201:創る名無しに見る名無し
19/11/27 20:31:51 ZGA/Z+r2.net
「あの子に恋しちゃったの?」
チョウはそのユージンの言葉にかぶせて別のことを言い出した。
「あー! なんか椿ちゃんと繋がり出来ねーかなー!」
「繋がりって?」
「たとえば……そうだユゥ! お前、誰かを探してるって言ってたよな?」
「あぁ……うん」
「それ、もしかして椿ちゃんなんじゃないか? お前もあの子も最近出現した新顔だし」
ユージンは黙って考え込んだ。続けてチョウが言う。
「なぁ、お前、記憶なくしてるだけで、椿ちゃんが実はお前が探してる人、たとえば、生き別れのお前の妹とか。ほら、思い出せ」
「それはない」ユージンは即答した。
「なんで言い切れんだよ? 記憶ないくせに」
「だって」ユージンは言った。「あんな赤い髪、ぼく嫌いだもん」
202:創る名無しに見る名無し
19/11/27 20:57:45.11 ZGA/Z+r2.net
毎日椿に会いたいというチョウの願いはしかし、すぐに叶えられた。
チョウが毎朝参加している川での染め物に、次の朝から椿もレギュラーで加わることになったのである。
そんなことは聞かされていなかったチョウは眠そうな顔つきで布を川の流れにさらしていた。
「おはよう、チョウ」
名前を呼ばれて振り向くと、赤いおかっぱの少女の微笑みが朝日より眩しく輝いていた。
思わずチョウは水音を派手に立てて身を起こした。が、顔は笑っていなかった。
「おー、昨日会ったな。えーと……名前何だったっけ」
「椿よ」
「あー、そだそだ」
「今日から染め物に参加するの。教えて?」
「おう、いいぜ。来なよ」
椿は清代風の赤い無地の旗袍(チーパオ、いわゆるチャイナドレス)の上だけに、黒いスカートを穿いていた。
長いスカートを捲り上げると上のほうで結び、川に入って来る。
「そんなチャラチャラした格好じゃ仕事になんないぜ」チョウは目をそむけながらぶっきらぼうに言った。
「どんな格好がよかったのかな」
「え? えーと……いや、別に、それでいいわ」
そう言い終えたチョウの口でユージンが思いきり吹き出した。
203:創る名無しに見る名無し
19/11/27 21:10:57.01 ZGA/Z+r2.net
「何笑ってるの?」椿の表情が険しくなった。「失礼な人ね」
「あ、いや。今の俺じゃない!」チョウは慌てて立ち上がり、弁解した。「ほら、見えない? 俺ん中に金ピカの奴がいるだろ?」
「何言ってるの?」椿はさらに機嫌を悪くした。「そんな変なものいるわけないでしょ」
「あ、見えないのか」チョウはそこでうっかり椿の生足をモロに見てしまい、挙動不審になった。
それで思わず悪口のようなことを言ってしまった。
「『樹の一族』の養女にしちゃ大したことないんだな」
椿はチョウに暫く憎らしそうな目を向けると、背中を向けた。
「も、いい。別の誰かに教えて貰うから」
「待てよ」
向こうへ行きかける椿の腕をチョウは思わず掴んだ。
「何よ」椿はその手を振り払おうとする。
「俺に教わるよう言われたんだろ?」チョウは手を離さなかった。「俺、こう見えて責任感強ぇーんだ。任されたからには意地でも教える」
204:創る名無しに見る名無し
19/11/27 21:31:42.41 ZGA/Z+r2.net
チョウは大きな白い布を綺麗に伸ばして広げ、投げ放つように川にさらして見せた。
まるで魔法のようにそれは川面に広がると、朝陽を浴びて瞬く間に橙色に変わって行く。
その神秘的ともいえる光景を見て、椿の機嫌は一瞬にして直ってしまった。
「どうだ、簡単なもんだろ? やってみて」
「うん」
椿は頷くと、麻の敷物の上に積まれた白い布の一枚を手に取り、構えると、チョウに聞いた。
「ばっと広げるのね?」
「そう。一気に、ばっと」
椿は勢いをつけてばっと布を広げたが、広げたつもりが棒のように一直線になってしまい、川面に落ちた時には皺くちゃだった。
布は橙色に染まりはじめるが、ムラのある失敗作になってしまった。
「笑う?」椿は泣きそうな顔で言った。
「笑わない」チョウは真面目な顔で答えた。「最初はそんなもん」
続けて椿はもう一枚白い布を取ると、さっきよりも勢いをつけて川へ投げ放った。
布は椿の手を離れ、雲のように飛んで行き、しかしそんなに遠くないところに落ちた。
言葉を失ってぽかんと口を開けている椿にチョウは優しく笑いながら言った。
「力、入りすぎ」
205:創る名無しに見る名無し
19/11/27 22:02:23 ZGA/Z+r2.net
朝陽はもう既に高くなっていた。
チョウは根気強く指導し、椿は諦めることなく初歩の染め物を練習していた。
もう30枚もの白い布が無駄になっていた。
「ちゃんと『気』を込めてるか?」チョウが真剣な口調で指導する。「もっと力は抜いて、布全体に『気』を行き渡らせんの」
「込めてるもん」椿は泣きそうな顔で言った。「気力全開でばっと広げてるもん」
「うーんなんでうまく行かねーんだ」チョウは頭をかきむしった。「こんなことぐらい出来るだろ? 『力』のない人間じゃあるまいし」
「『こんなことぐらい』って言ったわね?」椿がむくれる。「バカにしないで」
「ねぇ、チョウ」ユージンが小声で囁いた。「後ろからさ、手取り足取りで教えてあげたら?」
「で、出来るか!」
「出来るわよ!」
椿は怒ったように叫ぶと、仕切り直した。息を整え、心を落ち着ける。
「……おじいちゃん、力を貸して」
そう呟くと、椿は初めて薄紅色の『気』に包まれた。
それを白い布に行き渡らせる。布は生き物のように前のほうへ伸びると、そのまま皺一つなく川面に着いた。
「あ」
「わっ」
「出来たー!」
思わずチョウは椿に抱きつきに行った。
寸前で気づいて手を引っ込めかけたチョウに椿のほうから抱きついた。
「ありがとう、チョウ!」
「あ、あぁ……」
206:創る名無しに見る名無し
19/11/28 12:39:22.69 GoH91J/1.net
「うー」
部屋に帰ったチョウは修行もせずにベッドに伏せ、病気のように唸っていた。
「痛い。胸が痛い」
チョウはそう言うものの、ユージンはちっともチョウの身体の痛みなど感じず、不思議がった。
強いて言えば胸に甘酸っぱい締めつけを感じるが、痛いというよりは何だか気持ちいいぐらいだ。
「そんなに痛いもんなの?」ユージンは思わず聞いた。「恋の病って」
「そんなんじゃねー。そんなんじゃねーよ。うー」
207:創る名無しに見る名無し
19/11/28 12:53:45.96 GoH91J/1.net
次の朝、チョウが川へ行くとまだ誰も来ていなかった。
「いくら何でも早すぎたか」
身体の中でユージンもまだすやすやと寝ている。
暫くそのへんの草で遊んでいると、皆が集まって来た。
そわそわしていると少し遠くから椿がやって来るのが見えたので、慌てて背中を向けて支度を始める。
「おはよう」
後ろから椿に声をかけられ、ようやくチョウは振り向いた。
「お、おう」
今日も椿は赤い無地の旗袍だが、膝上まで丈のあるワンピースのものを着ていた。
チョウはそれを褒めもせず、せかせかと仕事の手を動かしながら、言った。
「悪ィ。名前、何だったっけな」
「椿よ」
「あー、そだそだ。チュン、チュンね」
「覚えた?」
「あぁ、今、覚えた」
208:創る名無しに見る名無し
19/11/28 13:03:29.51 GoH91J/1.net
「出来るか?」
「もう大丈夫よ」
そう言うと椿は白い布を取り、皺一つなく広げると、川面にさらして見せた。
「へぇ。物覚えいいな」チョウは初めて椿のことを褒めた。「努力家なんだな」
「エヘヘ」
「もう一人で……大丈夫……かな」
チョウが少し残念そうに言うと、椿は首を横に振った。
「まだこれ一つ出来るようになっただけよ。もっと沢山教えてね、チョウ」
「そ、そうか」チョウは思わず顔が笑ってしまった。「俺、教えるの好きだし、頑張る娘もす」
チョウは慌てて言葉を切って自分の口を押さえた。
聞いていなかったのか、椿は黙々と染め物を続けていた。
209:創る名無しに見る名無し
19/11/28 13:09:22.08 GoH91J/1.net
昨日染めた布を台に掛けて小屋の中に干してあったものが乾いていた。
皆でそれを取り込み、畳んで牛の背中の籠に乗せると、解散となった。
「じゃ、俺、牛に乗ってくから」
「うん。じゃ、またね。チョウ」
「またな、椿」
椿は背を向け、逆方向へと一人で歩いて行った。
「家、同じ方向だったらよかったのにね」ユージンが言う。
「バーカ」
チョウは明るい笑顔でそう答えながら、何度も後ろを振り返った。
210:創る名無しに見る名無し
19/11/28 19:16:09.12 bLXAmv0H.net
いよいよチョウは修行が手につかなくなってしまった。
帰るとベッドに寝転び、ため息ばかり吐いている。
「チョウ」ユージンが言った。「ヒコーキとかしないの?」
「何だって?」チョウはため息まじりに言った。
「打飛機(飛行機をやる=オナニーの隠語)だよ、知らないの?」
「飛行機って、人間の世界の乗り物だろ? 神の領域を侵すあの、汚いやつ。それを……どうするって?」
「いや、手で、こうやって……」
ユージンはそう言うとチョウの手を動かし、股間に持って行った。
「勝手に俺の身体動かすな!」
「あ……はい」
予想外なほどの剣幕でチョウに怒鳴られ、ユージンは思わず萎縮してしまった。
「なんだよ。手淫のことか? 知ってるよ。知ってるけどやらねー。そんなことしてる暇があったら他にやることあるし……」
「修行、してないくせに……」
「とにかく」チョウはごまかすように言った。「勝手に俺の身体動かすな。あと、椿の前では絶対に喋るなよ?」
「とにかく、椿の下着姿、想像してみようよ」
「ハァ!? お前……」
「あいつ下着、絶対地味だよ。あれは絶対綿とか着けてる。フリフリのついた麻のとか、セクシーな絹のとかはつけないタイプ」
「意味わかんねーけど、お前……」
「よっ!」と言ってそこへ兄のズーローが入って来た。
今まで怒っていたチョウは兄を見ると、たちまち力が抜け、口数が少なくなった。
211:創る名無しに見る名無し
19/11/28 21:03:09.08 w9H0pbOF.net
ズーローは冷やかすように言った。
「聞いたぜ、チョウ。お前、彼女出来たんだって?」
「は?」チョウはテキトーに答えた。「ねーよ」
「なぁユージン、どんな女だ?」
「え」ユージンは答に困った。
「はぐらかせ」とチョウが小声で囁いた。骨を伝ってユージンにはよく聞こえた。
「さ、さぁ……。いないと思う」
「なんだ? つまんねぇ」
ズーローはそう言うとせっかちな動きでさっさと部屋から出て行った。
ズーローが出て行くと、ユージンは済まなさそうに言った。
「ごめん。変な答になっちやった」
「別にいいよ」
暫く二人とも沈黙した。いつもは何時間でも黙っていられるのだが、ユージンはなんだかこの沈黙に耐えられなかった。
「チョウさ、お兄さん来るといつも無口になるっていうか……態度変わるよね?」
「あー……そうかも」
「なんで?」
「あいつ、ゲスだし。何より怠け者だろ? やる気のない奴とは会話したくねーんだ。やる気のなさがうつりそうで」
「え」
ユージンは自分がズーローの1日22時間睡眠を褒めたことに思い当たり、言葉を詰まらせた。
暫くまた二人とも黙った。
ふいにチョウが口を開く。
「ユージン」
「はい」
「お前、きくらげ臭いな」
「は!?」
「いや……何でもない」そう言うとチョウはまたベッドにごろんと寝転んだ。「変なこと言った。悪ィ」
「本当だよ~」
ユージンは意味がわからず、笑うしかなかった。
212:創る名無しに見る名無し
19/11/29 19:55:18 NyNhIBN0.net
スズちゃんとエッチしたい
213:創る名無しに見る名無し
19/11/29 22:42:25 WDLWDOdg.net
次の朝も同じようだった。
朝から川へ出掛け、女達に混じって染め物に従事する。
ユージンは段々と同じ毎日の繰り返しが退屈になって来ていた。
しかしチョウは違うようで、修行そっちのけで染め物に張り切っていた。
「チョウ」椿が話しかけて来た。
「おう」チョウは仕事から目を話さず、ぶっきらぼうに返事をする。
「おこわでおにぎり作って来たんだけど、終わったら一緒に食べない?」
「えっ!」チョウは思わず顔を上げた。
「食べようよ」
そう言いながら穏やかに微笑む椿の顔が朝陽に照らされていた。
「お、おう。腹減るからな」そう言いながらチョウは顔を背けた。
「じゃ、仕事終わらせちゃうね」
そう言って椿が向こうへ行ってもチョウはずっと顔を背けていた。
「誰にも見せられない顔してるもんね」ユージンが言った。
214:創る名無しに見る名無し
19/11/29 22:58:58 WDLWDOdg.net
仕事が終わり、他の女達は帰って行った。
杭に牛を繋いで待たせ、チョウと椿は川辺の岩に並んで腰かけた。
「いっぱい作って来たから。好きなだけどうぞ」
そう言って椿が二人の間に竹の葉の包みを置いた。紐を解くと、中から可愛いサイズの茶色いおにぎりが12個、顔を出した。
チョウは無言でひとつ手に取ると、米粒の隅々まで確かめるようにじっと見た。
「へんなもの入ってないわよ」
椿が言うと同時にチョウは楽しくなさそうな顔で勢いよくおにぎりを頬張った。
「うめぇ!」食べた瞬間に声が出た。
「よかった」椿が嬉しそうに笑う。
「これ本当にお前が作ったの? フォンおばさんじゃねーの?」
「それぐらいおいしいってことだね」椿は口に手を当てて笑った。
「この味……知ってる気がする」ユージンが言った。
「え?」
「なんか……懐かしい味」
「そうなの?」椿が首を傾げる。
「喋るな」チョウは横を向いて小声で言った。「追い出すぞ」
215:創る名無しに見る名無し
19/11/29 23:17:18.24 WDLWDOdg.net
「お茶も持って来たの」
椿はそう言うと竹筒の水筒を出した。
チョウはそれを無造作に掴むと、口をつけて飲んだ。
「あっ」椿が慌てたように小声で叫んだ。
「ん?」
「お椀あったのに……」
「何だよ。いいだろ、別に」
暫く二人は黙々とおにぎりを食べた。チョウはおにぎりを食べてはお茶を飲み、椿はおにぎりばかり食べていた。
黄色と白の蝶が並んで目の前を通って行った。
やがて椿が言った。
「お母さんがチョウにお礼言っとけって」
「え。何で?」
「チョウのお陰で椿の才能が開花したって」
「は? 染め物の練習でか?」
「うん。あれから本当にあたし、何かに目覚めて。何もないところに樹を生めるようになったし」
「お。それは凄いな」チョウは目を見開いた。「そんなの俺、出来ねーよ」
「だからこれ、お礼のつもりで作って来たの」
「あ」チョウはおにぎりを見つめた。
「いっぱい食べてね」
「そうなんだ……」チョウは少しうなだれた。
216:創る名無しに見る名無し
19/11/29 23:38:16.44 WDLWDOdg.net
椿が弾むような声で鼻歌を歌いはじめた。チョウは暫くそれを黙って聞いていた。
「いい歌だな。何て歌?」
すると椿はびっくりするような顔をチョウに向け、言った。
「知らない」
「知らない……って……」
「無意識に歌ってた」
「聞いたことない変わった歌だったぜ。お前の故郷の歌?」
「あたし……」
椿が何か言いかけた時、チョウの口が勝手に歌い出した。
先程椿が歌ったのとまったく同じ旋律だった。
「もう覚えたの?」椿が目を丸くする。
「あ、ああ。俺、記憶力いいからな」チョウはしどろもどろになりながら言った。「とりあえずほら、おにぎり食えよ。お前さっきから全然食ってないじゃん」
「喉、乾くから……」
そう言われてチョウはようやく気づいた。
「あ! 悪ィ、俺、口つけちゃったもんな……。川の水でも飲……染め物で汚れちまってるか」
「ま、いっか」
そう言うと椿は竹筒を取り、口をつけて飲んだ。
チョウは声が止まり、心臓も止まり、時間も止まったように、椿の口の動きと喉の動き、赤い髪が風にそよぐのと閉じた瞼の中で瞳が動くのを見ていた。
217:創る名無しに見る名無し
19/11/29 23:52:57.35 WDLWDOdg.net
「じゃ、お疲れ様でした」
椿は徒歩で西へ、チョウは牛を連れて東へ向き、二人は背中を向け合った。
朝陽はもう二人の背よりも高く昇り、それぞれの一日が始まろうとしていた。
「あ、あのさ」チョウが振り向いた。
椿はまだ散歩ほど歩いたところにいて、チョウの声に振り向いた。
「今日、おにぎりありがとな」
「いいわよ。お礼だもの」
「いっつも仕事のあと、おなか空くよなーって思ってたんだよな」
「フフ」
「辛いんだよなー、家に帰るまで、腹ペコでさ」
「毎日作って来よっか?」
「本当!?」
「うん。いいよ」
「あー、助かるー。いや、腹減るからなー」
「じゃ、また明日ね」
「おう。気ィつけて帰れよ」
椿はくるりと背を向けると、荷物を入れた風呂敷を背負って歩き出した。
チョウはなかなか歩き出さなかった。椿が途中で振り向くんじゃないかと思うと目が離せなかった。
椿の姿が遠く見えなくなっても、暫くそこで牛と一緒に突っ立っていた。
ユージンは何も言わなかった。なぜ自分が椿と同じ歌を知っているのか、そのことばかり考えていた。
218:創る名無しに見る名無し
19/11/30 00:14:08.79 Zuxd3b/N.net
ベッドの上で布団を抱いて悶えながらチョウが言った。
「好きだ! 好きだ好きだ好きだ椿!」
ユージンはそれを黙って聞いていた。
「あぁ……」チョウは動きを止め、呟いた。「俺、あいつのためなら死ねるぜ」
「チョウ」ユージンが口を開いた。「あの娘はチョウのことは好きにならない」
「は!?」
「あの娘には……チョウがそう思うように、この人のためなら死んでもいいって思ってる別の人がいる」
「お前……」チョウはむっくりと起き上がった。「あいつの何だってんだよ?」
「ぼくは……椿の……」
「何か思い出したのか?」
「わからないけど……」
「じゃあテメーが何であいつのこと知ってるかのようなこと言うんだ」
「それだけはわかるんだ」
「わかるだと?」
「それに、椿は、本当はチョウが嫌うようなやる気のない子で……」
「何だとテメー! あれだけ頑張ってるあいつのことをそんな風に言うのは許さねー!」
「絶対、結ばれないんだ。チョウと椿は」
「出て行け!」
チョウは勢いよく立ち上がると、台所へ向かってズンズン歩き出した。
「おや、チョウ。どうした?」
台所仕事をしていたおばあちゃんが振り向いた。
チョウはおばあちゃんに思い切り接吻すると、ユージンを吐き出した。
219:創る名無しに見る名無し
19/11/30 00:16:28.11 Zuxd3b/N.net
「この、きくらげ臭い、金ピカのうんこ野郎が」
チョウはおばあちゃんに向かって吐き捨てるようにそう言うと、自分の部屋へ戻って行った。
220:創る名無しに見る名無し
19/11/30 08:26:50 EF/Yg0w2.net
人間関係がかなりギクシャクしたのであからさまには公表できなかったが、
私のピアノリサイタルを行ったのだよ、昨日
221:創る名無しに見る名無し
19/11/30 18:50:51 3a3DHcUh.net
金萬福「かたたくよー!(戦うよー!)」
ジャイアン「ぬう?」
金萬福「かたたくよー!(戦うよー!)」
ジャイアン「やんのか!?」
222:創る名無しに見る名無し
19/11/30 22:18:11.22 uJrRbe1i.net
なぜあんなことを言ってしまったのだろう、ユージンは落ち込んだ。
椿の歌った歌、自分も知っていたその歌のことばかり考えていたら、自然に口から出てしまった。
チョウに嫌われるのは自分でも意外なほどにショックだった。
「身体が重いよ……」ユージンはおばあちゃんの口でそう言った。「ぼく、まだ15歳なのに……」
チョウの身体は特段住み心地がいいとは思っていなかった。むしろいつもそわそわしてしまって落ち着かなかった。
しかしこうやって外に出されてみると、好きな場所だったことがしみじみとわかる。
「何言ってんだえ? あたしゃ……」
おばあちゃんはそう呟くと、やりかけだった大根の皮剥きを再開した。
223:創る名無しに見る名無し
19/11/30 22:29:20.39 uJrRbe1i.net
次の朝、チョウはおばあちゃんに挨拶もせずに、染め物仕事に川へと出掛けて行った。
ユージンは迷った。
おばあちゃんを操作して後をつけて行こうかと思った。
しかしおばあちゃんの身体はあまりにも重く、動きもしんどくて歩くのが大変だった。
「あら、マオマオ。また来たのねぇ」とおばあちゃんがふいに言った。
見ると、扉のない家の玄関から茶色い猫が入り込んで来ている。
おばあちゃんは猫を抱き上げると、笑顔で話しかけた。
「孫に相手にされなくて寂しいばあちゃんのこと、気にしてくれるのはお前だけだねぇ。さ、今日もごはんを食べてお行き」
これだ! ユージンは猫がニャーと口を開けて鳴くタイミングを見計らっておばあちゃんの口から飛び移った。
「出来た! あ、喋れるんだ」
ユージンは猫の口でそう言い、おばあちゃんは小さい悲鳴を上げながら猫を投げつけるように離した。
224:創る名無しに見る名無し
19/11/30 22:39:23.86 uJrRbe1i.net
ユージンは猫の身体で町を駆けた。
身体を勝手に動かすと怒るチョウと違い、自由だった。
行きたいほうへ行き、好きなように町中を探険してみることも出来る。
しかし今は川へ行くことしか考えられなかった。
なぜかチョウと椿から目を離してはいけないという気がして、いつもの染め物現場へと急いだ。
いつもチョウの歩みに任せているので迷った。見覚えのある店や大樹や丘を辿って走っていると、ようやくいつもの川辺の燦めきが見えて来た。
225:創る名無しに見る名無し
19/11/30 22:50:48.38 uJrRbe1i.net
「えー!」
猫の耳は遠くの声もよく拾った。まだ二人の姿が見えていないうちから椿のその声は聞き取れた。
「チョウって年上だったの?」
ユージンが叢を分けて進むと、岩に座って並んでいるチョウと椿が見えて来た。昨日とまったく同じおにぎりを食べているようだ。
「ひでぇな」チョウが言った。「お前14だろ? ってことは俺のこと13歳ぐらいだと思ってたのか?」
「12歳ぐらいかと……」
チョウの心が傷つく音が聞こえたような気がした。
ユージンは安心した。チョウが子供だと思われていたことがなぜか嬉しかった。
「ひでーよ……」チョウは予め椿がお椀に入れていたらしきお茶をぐびっと飲んだ。「対象だとすら思われてなかったのかよ」
「対象って?」椿はきょとんとした顔をした。
226:創る名無しに見る名無し
19/11/30 23:02:57.02 uJrRbe1i.net
実際、外から改めて見るチョウは背が低く、喋り方も甘ったるく、年齢よりも幼く見える。
しかしユージンは、努力家で将来をしっかり見据えているチョウのことを知っている。
それだけで椿に対して優越感を覚えた。
椿が手を伸ばし、チョウの白い髪を触ったのが見えた。
「背もあたしと同じくらいだし」
チョウは何も答えず、すねたようにおにぎりを齧った。
やがて話題が変わる。チョウが椿の故郷のことを聞いたのだ。
「あたし、記憶がないの」と椿が打ち明けた。
自分と同じか、とユージンは少し驚きながら思った。
「慌てんなよ」と、チョウが自分に言ってくれたのと同じことを言い出した。「慌てず待ってれば、そのうち何かの拍子に思い出す、そんなもんさ」
ユージンは胸のあたりが気持ち悪くなった。猫が何か悪いものを食べたせいかとも思った。
しかし同時に猫の爪を最大に伸ばして椿に飛びかかり、その顔を傷だらけにしてやりたいという衝動にも駆られていた。
227:創る名無しに見る名無し
19/11/30 23:19:04.53 uJrRbe1i.net
話題はさらに変わる。
椿が自分は記憶がないせいか、皆が当然知っているようなことでも知らないことがあると言い、
数日前、森でこの世界に迷い込んで来た人間が発見されたという噂話と合わせ、人間の話になっていた。
「人間って、どんなものなの?」椿がチョウに聞く。
「俺、まだ成人してないから、よくは知らない」
「成人の儀で人間の世界を自分の目で見て来る試練があるんだよね?」
「あぁ。だから見たわけじゃないからよくは知らない。けど、聞いた話じゃ俺らと大して違わないなしいぜ」
「何が違うの?」
「うーん。俺らみたいに『足るを知る』みたいなところがないとかかな。だから神通力が使えないんだってさ」
「足るを知る?」
「うん。俺らはさ、自然から恩恵を受けて、それ以上は望まないだろ? その代わり自然から『司る力』を貰ってる」
「うん」
「ところが人間は際限がないんだって。だからむしろ自然からしっぺ返しを食らってるんだって」
「ふーん」
228:創る名無しに見る名無し
19/11/30 23:25:51.34 uJrRbe1i.net
「見た目もあたし達と違わないの?」椿がさらに人間のことを聞いた。
「いや、俺らみたいに角があったり羽根が生えてたり、髪が炎だったりするのはいないらしいよ」
椿は真面目な顔をして耳を傾けた。チョウが続けて喋る。
「ただ、俺や椿は、人間とほぼ同じ見た目みたいだぜ」
「あたし達って人間に似てるのね」
「あぁ」
「じゃあ、あたし達と人間は見分けがつかないのかな」
「いや、簡単につくよ」
「どうやって見分けるの?」
「人間はね」チョウはおにぎりを平らげると、はっきりと言った。「匂いが『きくらげ』に似てるんだ」
229:創る名無しに見る名無し
19/11/30 23:39:30.85 uJrRbe1i.net
「きくらげってどんな匂い?」椿は驚いたように聞いた。「むしろ匂い、ないんじゃない?」
「俺もよく知らなかったんだけどさ」チョウは言った。「最近わかるようになった」
「どんな匂いなの?」
「穴が空いてるんだ、匂いに」
「穴?」
「うん。本来あるはずの自然な匂いが、むしろないんだ」
「ふーん?」
「だから、すぐわかる。不自然なんだ」
「どうして最近になってわかるようになったの?」
「身近にきくらげ臭い奴がいてさ」
「それって……人間?」
「あぁ」
「うそ!」
「本当」
230:創る名無しに見る名無し
19/11/30 23:51:40 uJrRbe1i.net
「退治しないの?」と椿は怯えたような目で言った。
「カタワなんだ」チョウは答えた。「だから何も出来ねーよ」
「森で見つかった人間、退治されたって聞いたよ?」
「人間を退治する必要があるのは、この世界の秩序を崩してめちゃくちゃにしてしまうからなんだって」
「でしょ?」椿は攻めるような目をして言った。「……だから」
「でも、人間がこの世界にいるだけでは、それだけでは何も起こらない」
「そうなの?」
「人間が恐ろしいのは、際限なく自然を変えて行こうとするからなんだ」
「変える?」
「うん。自分の欲望のままに、自然をねじ曲げてしまう。それが怖いんだって」
椿は黙り込んだ。
「だから」チョウは言った。「カタワだったら何も出来ない。自由じゃない人間は、無害」
231:創る名無しに見る名無し
19/12/01 00:04:03.70 hGBwrxaO.net
「もしピンピン動ける人間を見つけたら、俺が退治してやるよ」
「退治するって、どうやるの?」
「殺すんだ」チョウは穏やかな笑顔で言った。「この世界で死んだ人間はその場で赤い魚になって、人間の世界に帰って行く。可哀想じゃない話だろ?」
「じゃあ、もし……」椿は言った。「あたしが人間だったら、どうする?」
「は!?」チョウは思わず大きな声を出した。
「あたし、記憶がないもの」椿は少し怯えたような顔をして、言った。「本当ほこの世界に迷い込んだ人間かもしれないよ?」
「そんなだったらとっくに匂いでわかっとるわ!」チョウは笑い飛ばすつもりで言い、すぐに考え込んだ。
身近にいるきくらげ臭い奴が最近、邪魔をしていたことに考えが及ぶ。
もし他にきくらげ臭い奴がいても、そいつの匂いが邪魔をして、気づかなかったということはあるかもしれない。
それに、これは椿の匂いを至近距離で嗅いでもいい機会でもあった。
「どれどれ」チョウは椿に顔を近づけた。「確かめてやんよ」
椿は嫌がる素振り一つなく、目を閉じるとチョウが近づくに任せた。
チョウは椿の赤い髪に鼻をつける勢いでその香りを嗅いだ。
ユージンは遠くから見ていた、チョウの表情が急変するその様を。
232:創る名無しに見る名無し
19/12/01 00:24:58.44 hGBwrxaO.net
ユージンは走った。
走って、走って、走り続けた。
家に帰り、扉のない玄関を潜ると、おばあちゃんはベッドで昼寝をしていた。
ちょうど大口を開けて寝ていたので、そこへ飛び込んだ。
猫は自由になると、逃げるように外へ出て行った。
暫くするとチョウが帰って来た。
233:創る名無しに見る名無し
19/12/01 08:46:29.66 hGBwrxaO.net
チョウは何も言わずに台所の前を素通りすると、自分の部屋へ行き、ベッドに倒れ込んだ。
絹さやの筋取りをしているおばあちゃんの足が勝手に歩き出し、チョウの部屋の入り口で止まった。
「チョウ」
ユージンがおばあちゃんの口を動かし声をかけると、チョウは魂が抜けきったような顔を上げた。
「昨日はごめん」ユージンは言った。「なんであんなこと言ったか、自分でもわからない」
チョウがにかっと笑った。
「こっち来るか? ユゥ」
ユージンはそう言われ、飛び上がるぐらい嬉しかった。
234:創る名無しに見る名無し
19/12/01 08:58:01.14 hGBwrxaO.net
チョウが近くに寄って来て、おばあちゃんを食べる勢いで大口を開けた。
ユージンが飛び移っても、おばあちゃんは呆然として入口に立っていた。そしてややあって言った。
「なんなの?」
「なんでもないよ」チョウが背中を向ける。
「きくらげ臭いけど」
「あっち行ってよ。邪魔だよ、ばあちゃん」
ぶつぶつと呟きながらおばあちゃんが台所へ帰って行くと、チョウの口からユージンの声が出た。
「チョウ。おばあちゃんのこと、もっと構ってあげなよ。孫に相手にされないって寂しがってるよ」
「え。そうなのか?」チョウは驚いた声を出した。「……そっか。考えたら飯の時ぐらいしか会話してないもんな。わかった、後で肩でも揉んでやるよ」
「ところで」ユージンが言った。「ぼくって、人間なの?」
235:創る名無しに見る名無し
19/12/01 09:14:37.29 hGBwrxaO.net
「ごめん」ユージンは素直に白状した。「今朝、猫に入ってチョウと椿の会話、盗み聞きしてたんだ」
「そうなのかよ!」チョウは怒ろうとして、すぐに穏やかな声で言った。「ま、考えたらいつも盗み聞きされてるようなもんか」
「ごめん。チョウのプライバシー、ないようなもんだよね」
「いいって。『お前は俺の一部』って考えるようにしてるから」
そう言われてユージンは嬉しくなった。しかしすぐに落ち込んだ声を出す。
「で、ぼく、人間なの?」
「そうだろ。きくらげ臭いもん。ヒコーキとか人間臭ぇことよく言うし」
「カタワだからって同情してるの?」
「そんなんじゃねーよ」チョウは何も隠さない口調で言った。「お前のこと嫌いじゃねーだけだ」
「本当!?」
「あぁ」
「嫌いじゃないってことは、好きなの?」
「はぁ?」
「好きなんだよね?」
「何だよ気持ち悪ィーな。あぁ、好きだよ」
「それは愛なの?」
「は、はぁ? 普通に好きだよ。愛じゃねーよ」
「ごめん。ぼく、うざい?」
「暇潰しにはなるわな」
「ところで」ユージンは聞いた。「椿はどんな匂いしたの?」
236:創る名無しに見る名無し
19/12/01 09:23:31 hGBwrxaO.net
チョウは何か暫く考えるような顔をした。眉間に皺を寄せ、深い懊悩を漂わせる。
突然、枕を強く抱き締め、苦しみはじめた。
「ど、どうしたの?」ユージンがオロオロする。
「ああああ」チョウの口から震える声が漏れる。
「チョウ?」
チョウの身体から急に力が抜け、枕に顎を乗せてベッドに体重を預けきった。その顔は鼻の下が伸び、だらしなく笑っていた。
「びっくりしたよ。女の子があんなにいい匂いするなんて、思ってもなかった」
237:創る名無しに見る名無し
19/12/01 09:33:54.47 hGBwrxaO.net
チョウは町へ出た。
町はいつも通り適度な活気に満ちあふれていた。
角のあるものやヒレのあるもの、動物の顔をしたものなどが買い物をしたり、ぶらぶら歩きをしたりしている。
「チョウ、ばあちゃんは元気かい?」
「チョウ、この間は屋根の修理ありがとな。また困ったことあったら頼む」
道行く人によく声をかけられた。チョウは結構人気者のようだ。
「ぼく、大丈夫かな」とユージンが言った。
「何が?」とチョウが聞いた。
「きくらげ臭いんでしょ? 匂いでバレないかな」
「俺の中にいりゃ大丈夫。俺の橙色の『気』がお前を隠してるよ」
238:創る名無しに見る名無し
19/12/01 09:42:54.66 hGBwrxaO.net
数日前、森で発見された人間を仙人が退治した話が一昨日あたりからようやく民衆の間に伝わり、町はその噂で持ちきりだった。
「赤松子(チーソンズ)の所の弟子の水竜(シュイロン)が退治したらしいよ」
「おぉ、怖い」
「仙人さまさまだな」
「発見が遅れてたら、世界に異変が起きてたかもしれないよ」
「もし俺達が人間を見つけたらどうしよう?」
「仙人の所へ差し出すしかないよ」
「俺達じゃ何も出来ん」
「そもそも人間だってわかるのかね、見つけても? 俺達ごときに?」
「きくらげ臭いらしいよ」
「きくらげってどんな匂いだ?」
239:創る名無しに見る名無し
19/12/01 09:57:57.17 hGBwrxaO.net
「大騒ぎだね」
「あぁ」
「ぼくも、バレたら……?」
「大丈夫だって」
「チョウは」ユージンは聞いた。「仙人なの?」
「たまご」
「おい、チョウ」
後ろから誰かに呼び止められ、チョウは身体を固くした。
振り返ると、いかにも強そうな戦士といった感じの男が手招きをしている。その髪の毛は赤と青の混じった燃え盛る炎で出来ていた。
「祝融(ズーロン)師匠」チョウは畏まりながらその男のほうへ歩んだ。「久しぶり」
「お前、最近修行をサボっているな?」祝融はチョウに厳しい目を向けた。
ユージンはチョウの橙色の『気』が急激に強くなるのを感じた。自分を隠そうとしているのだ。
「『気』を強くして見せたって駄目だ。俺にはお前の怠けぶりが透けて見えるぞ」
祝融はそう言ったが、中にいるユージンは透けて見えていないようだった。
「ごめんなさい」チョウは素直に認めた。「秋を司るものになれるよう、頑張ります」
「あぁ、頑張れ。お前には期待しているんだ」
なんて強そうな仙人だ、とユージンはチョウの背中のほうに隠れながらまじまじと見た。
そしてこんな強そうなのを見たらあの人が大喜びするぞ、とふいに思ったが、次にはあの人って誰だっけと忘れてしまった。
240:創る名無しに見る名無し
19/12/01 10:18:40.91 hGBwrxaO.net
「兄ちゃんは火を司るものを継げますか?」チョウは祝融に聞いた。
祝融はため息を吐き、答えた。
「ズーロー(祝熱)には期待していない。私の後を継げるとしたら、正直今のところお前しかおらん」
「え! でも、俺は、秋を司る……」
「秋も五行においては火に属するのだ。火を司れば、同時に秋を司ることも可能。お前、私の後を継がんか」
「はい!」チョウは大喜びで即答した。「俺、頑張ります!」
「うむ。期待しているぞ」
祝融は逞しい手でチョウの白い髪を撫でた。
「うん?」
そして何かに気づいたように笑顔をしまうと、辺りを見回す。
「何か……きくらげ臭いな。私は町の警備に戻る」
そう言うと勇ましい背中を残して去って行った。
「俺、頑張らなきゃ……」チョウが喜びに震えながら言った。「帰って修行だ!」
ユージンも喜ばしかった。町へ出れば椿に会えるかもと期待して出て来たチョウのことを、正直面白く思っていなかった。
椿に魂を抜かれたチョウよりも、頑張って修行をするチョウのほうがユージンは好きだった。
241:創る名無しに見る名無し
19/12/01 10:25:42.25 hGBwrxaO.net
しかし次の朝、チョウはいつも通り、修行以上に張り切って川での染め物に出掛けた。
「修行のほうを頑張るんじゃなかったの?」ユージンは不満そうに言った。
「わかってねーな。修行頑張るためにも椿には会わなきゃいけねーだろ」
しかしその朝、椿は来なかった。
その朝だけではなかった。
それから椿は朝の染め物に来なくなってしまった。
他の女達に聞いても誰も知らなかった。
チョウの前から椿は消えてしまった。
242:創る名無しに見る名無し
19/12/01 10:48:26 hGBwrxaO.net
【主な登場人物まとめ】
人間
・ユージン(李 玉金)……15歳。身体を持たない『気』だけの存在として生まれる。金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。
明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
人間界にいた頃は妹の椿の身体の中に住んでおり、椿と身体の支配権を交代することが出来た。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は海底世界で知り合ったチョウの中に住んでいる。
・椿(リー・チュン)……14歳の中学生。普通の子だが、自分はダメ人間であると決めつけており、人間界にいた時は登校拒否に陥っていた。
帰りを心待ちにしていた義兄ランが日本から帰って来、うかれていたが、義兄が渦潮に呑まれたのを助けようと海に飛び込み、自分も呑まれる。
海底世界へ落ち、クスノキの老人に助けられ、人間の記憶をすべて消される。
今では自分を海底世界の住人だと思っており、『樹の一族』の一員として薄紅色の『気』が使え、黒かったおかっぱの髪も赤くなっている。
・ラン(? 狼牙)……19歳。日本で格闘家デビューし、連戦連勝を重ね、そのアイドル性からスターとなる。
細身で格闘家とは思えないほど穏やかで優しく、謙虚。透明の『気』の使い手。
リウ・パイロンとメイファンが殺した? 美鈴の子。四歳の時にハオが引き取った。
赤いイルカを助けた後、渦潮に呑まれて絶命する。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ララの妹。ユージン達の叔母。
ひとつの身体に姉のララと一緒に住んでいる。元凄腕の殺し屋。ユージンを調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる。
ランの母親を15年前に殺した。現在、ララに命じられ、ボディーガードとしてチェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……メイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
メイファンに身体を潜水艦に変えられ、喜んでいる。
海底世界の住人
・チョウ……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。秋を司る能力を持っている。橙色の『気』を使う。
言葉遣いが粗野で、歳より幼く見えるが、根は意外なほどに真面目。それゆえ不真面目な兄のことが許せない。
椿に恋してしまい、修行が手につかなくなっていたが、師匠の祝融に励まされ、再び修行を開始する。
ユージンを人間だと知りつつ自分の身体の中に住むことを許している。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
・おばあちゃん……両親を失くした幼いチョウを引き取り育てた。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
243:創る名無しに見る名無し
19/12/02 08:37:20.96 tQq4hViU.net
「ねぇ……チョウ」
「……んー?」
「修行、しようよ」
「どー……でも……いいよ」
チョウはベッドに身を埋めた。
「頑張るって言ったじゃん、祝融先生に」
「頑張る意味がわからねー……」
ユージンは暫く黙った。言うことはあったが、言いたくなかった。しかし仕方なく言った。
「椿に会いたいんなら、椿の家は知ってるんでしょ?」
「あー……フォンおばさんには昔、世話になったからなー……」
「じゃあ、会いに行けば?」
「いやー、『何しに来たの?』って不思議がられらぁ……」
「偶然装って……」
「全然反対方向なのに偶然行く理由もねー……」
この世界には学校もなかった。子供達は皆、それぞれの親や師匠に物を教わって育つ。
「じゃあ」ユージンははっきり言った。「偶然がない限り、椿には一生会わないんだね?」
チョウは何も言わず、ただ洟をすすった。
244:創る名無しに見る名無し
19/12/02 08:43:18.16 tQq4hViU.net
「慌てたって仕方ないんだもんね?」
「……」
「待ってれば、あっちからやって来てくれる。そんなもんなんだもんね?」
「ちくしょォーー!!」
チョウはいきなり叫ぶと、飛ぶように起き上がった。そして泣き声でまくし立てた。
「なんで何も言わずにいなくなんのよ!? 悲しいじゃんかよ? 何があったか知んねーけど、俺って椿にとってその程度の存在だったのかよ!?」
ユージンは何も言わなかった。ただ心の底で『そうなんじゃない?』と思っていた。
245:創る名無しに見る名無し
19/12/02 12:13:11.25 dcOEOuAW.net
いてもたってもいられず、チョウは町へ出た。
用事なんて別になかった。
「町に出てどうするの?」ユージンが聞いた。
「ばったり会うしかねーだろ」
「ばったり会ってどうすんの?」
「今何してるかぐらい聞けるだろうがよ」
「町ってここしかないの?」
チョウは少し黙ってから、言った。
「『樹』の屋敷からは……反対側にもっと近い町がある。俺がそこ歩いてたら不自然なくらいの遠くに……」
「じゃあ」ユージンは呆れた声を出した。「ほぼ無理じゃん」
「黙れ! 誰かに聞いたら椿が今何してるか聞けるかもしんねーだろ」
そう言いながら、チョウはただひたすら歩いた、誰にも話しかけず。
たまに誰かから話しかけられても椿の話を持ち出さなかった。
「なんで聞かないの?」ユージンがとうとう聞いた。
「ふ、不自然だろ」チョウは口を尖らせて言った。「ま、まるで俺が椿のこと好きみたいでさ」
246:創る名無しに見る名無し
19/12/02 12:22:13.10 dcOEOuAW.net
いつの間にかチョウは町を抜け、森を抜け、隣の町まで来てしまっていた。
「ここって……」
「あぁ」
「チョウがここ歩いてたら不自然なくらいの遠くのほうの町?」
「来ちまった」
道行く知らない顔のもの達が「あれ、どこの子だっけ」という風にチョウのことを横目で見ているような気がした。
別に恥ずかしいことではないのにチョウは早足になった。
誰にも話しかけず、ただひたすらに歩いて行くと、山のように大きな建造物がやがて見えて来た。
長い木の回廊に囲まれ、遠く真ん中のほうに大木が聳え、太い枝が点々と木造の建物を乗せている。
「あれって……」
「あぁ」チョウは恥ずかしそうに言った。「『樹の一族』の……椿の家だよ」
247:創る名無しに見る名無し
19/12/02 12:38:58.09 dcOEOuAW.net
チョウは一段ずつ、木の長い回廊を上った。
「何これめんどくさい」ユージンが言った。「いちいち出入りするたびにここ通るの?」
「そうさ、何も不自然じゃない」チョウはユージンの聞いたこととはまったく別のことを答えた。「突然何も言わずに染め物に来なくなったんだ。どうしたのかと思って来てもおかしくねぇだろ」
「これだけの距離じゃなければ、ね」
「うるせー。俺は決めた。椿に会う」
前方の扉が突然開いた。チョウは飛び上がると泥棒のようにこっそり隠れた。
太ったおばさんが姿を現し、藁袋を手に回廊を降りて来る。
チョウは脇の茂みに身を隠し、おばさんが通り過ぎて行くとほっと息を吐いて立ち上がった。
「聞けよ」ユージンが突っ込んだ。
「るせー」チョウは顔を赤くした。
「まるで不審者じゃん」
「るせー」
「ぼく、代わろうか?」
「は?」
「身体の支配権を交代しよう。チョウに任せてたら日が暮れる。ぼくが聞いてあげるよ」
「ダメだ!」チョウは厳しく言った。「人間であるお前を自由に動けるようにはさせられねー」
248:創る名無しに見る名無し
19/12/02 12:42:22.86 dcOEOuAW.net
そう言うとチョウは走り出した。物凄い勢いで回廊を、降りて行く。
「どうしたの?」ユージンは呆れて聞いた。
「帰る!」
チョウは町を抜け、森を抜け、また町を抜けると自分の家へ帰って行った。
249:創る名無しに見る名無し
19/12/02 12:44:51.81 dcOEOuAW.net
ため息を吐きながらチョウが扉のない玄関を潜ろうとすると、隣の家から赤い髪の女の子が出て来た。
「あら?」椿はチョウに気がつき、声を出した。「チョウ?」
チョウはのけ反って飛び退くと、声も出せずに椿の顔を見た。
250:創る名無しに見る名無し
19/12/02 18:16:00.89 dcOEOuAW.net
「なななんで……」としかチョウは言えずに固まってしまった。
「引っ越して来たの」椿は涼しい目をして微笑んだ。「隣がチョウの家だったなんて、偶然ね」
「偶然にも程がある!」ユージンが叫んだ。
「そ、そうね」チョウの口から怒ったような声が出たので椿は少し引いた。
「なんで……」チョウが言った。「なんで黙っていなくなるんだよ!」
椿は意味がわからなかったようで暫くぽかんとしていたが、やがて気がついたように言った。
「あ。ごめん。友達だもんね」
251:創る名無しに見る名無し
19/12/02 18:40:20.31 dcOEOuAW.net
「どうしたね?」と年配の男性の声がし、椿の後から出て来た。
「お父さん」椿はその男性に言った。「お隣、友達の家だったの」
「おお、チョウじゃないか?」
「樹(シュウ)さん、久しぶり」チョウはぺこりと頭を下げた。
「久しぶりだな。前に会った時はまだこれぐらいの小さな子供だったが……」
そう言って、樹氏は言葉に詰まった。
『今でも充分ちっちゃいよね』ユージンは心の中で突っ込んだ。
「なんで?」チョウは椿と樹氏に聞いた。「あんな大きな屋敷があるのに、引っ越し?」
「東西二つともの森に病気が発生しててね」樹氏は言った。「暫く両方の森に近いここに住居を構え、樹木の容態を診ることになったんだ」
「おじいちゃんのクスノキも危ないの」椿が言った。「おじいちゃんは医者だけど、樹木の病気はわからないから」
「単身ここに住むつもりだったんだが」樹氏が照れ臭そうに言った。「娘の椿もついて来てくれると言ってね」
「どれぐらい滞在すんの?」とチョウが聞く。
「そうだね。短くても1年。長くかかれば2年はここで生活するかもしれない」
チョウの顔がびっくり笑いを浮かべるのをユージンは感じた。
「よろしく樹さん! ばあちゃんのご飯でよければ差し入れするよ! なんならウチに食べに来たらいいぜ」
チョウは樹氏の手を握り、ぶんぶんと振り回した。
「あぁ、こちらもよろしくな、チョウ」樹氏は優しそうな笑顔でその手を握り返す。
「あたしも、よろしくね」
そう言って笑顔で差し出した椿の手に怯むようにチョウは引いたが、ぼりぼりと頭を掻きながらぶっきらぼうに手を差し出した。
「お、おう。よろしくな」
椿の掌は少し冷たく、柔らかかった。
252:創る名無しに見る名無し
19/12/02 19:06:07.93 dcOEOuAW.net
「急にお父さんの仕事が決まって、染め物は暇をいただいたの」
椿はチョウの部屋で紅葉を指で弄びながら話した。
「明日から機織りの仕事に入る予定よ」
「機織りかぁ」チョウはベッドを背もたれにして胡座をかき、言った。「女仕事だなぁ。男は入れねぇ……」
「染め物みたいに牛の背中に乗せる力仕事もないもんね。何? チョウも機織りやりたいの?」
チョウは頭を横に何度も振った。
「べっ、別にそんなつもりで言ったんじゃねぇよ!」
「頑張ってるんだね」椿は部屋に狭しと置かれたたくさんの鉢植えを見ながら言った。「秋風を司る仙人になるんだよね?」
「それどころじゃねぇぜ」チョウは自慢げに胸を張った。「俺、火を司る仙人になるんだ」
「それって最上位じゃない!」椿は目を見張った。「凄い。頑張って」
そう言われてチョウの脳に麻薬物質が昇って来るのを感じ、ユージンまで気持ちよくなった。
「椿はハナカイドウだったよな?」
「うん」椿はお茶を飲み干し、無邪気な笑顔を見せた。「ハナカイドウを司るものを目指してる」
「チュンって漢字、木へんに春だろ? お前もハナカイドウだけにとどまらず、名前の通り春を司るもの目指せばいいのに」
「お母さんは『才能ある』って期待してくれてるけど」椿は顔を赤くして下を向いた。「ムリだよ」
「似合うと思うぜ」チョウは俯いた椿の顔を覗き込むように言った。
「あ、そうだ」椿が顔を上げた。
「な、なんだよ」チョウが思わずのけ反る。
「チョウって、どんな漢字?」
「あぁ、さんずいに秋だ」
「いい字だね」椿は微笑んだ。「『湫』か」
253:創る名無しに見る名無し
19/12/02 19:24:34.05 dcOEOuAW.net
まるで兄妹のように仲良く二人は育った。
やがて一年が過ぎ、二年が過ぎた。
チョウは17歳に、椿は16歳になった。
254:創る名無しに見る名無し
19/12/02 19:31:43.86 dcOEOuAW.net
悪魔は森に舞い降りた。
この世界に落ちる時に大きなショックがあった。
並みの者なら記憶ぐらい失っていたかもしれない。
しかし四歳の小さな身体を黒い『気』の鎧で守り、柔らかい腐葉土の上にクッションを効かせて着地すると、すぐに顔を上げた。
身体の主チェンナは予め眠らせてある。
「フン」メイファンは辺りを見回し、感想を漏らした。「何だこのインチキ臭い世界は」
255:創る名無しに見る名無し
19/12/03 08:03:41.49 u/7tsAkt.net
四歳の顔に猛獣の眼が光った。何かが近づいて来る。
わざと気づかぬふりをしていると、それは向こうから声を投げて来た。
「なんだ、子供じゃないか」
振り向いてメイファンは少し驚いた。
水龍の頭を持つ白い衣服の仙人らしきものがそこに立っていた。そいつは言った。
「なぜ人間の子供がここにいる?」
メイファンは同情を誘う泣きべそ顔を作ると「何もわからない」という風に首を横に振った。
「そうか。可哀想だが、人間がここに来ちゃいけないんだよ」
「ここはどこ?」
「知らなくていいんだ」
「おじちゃんは誰?」
「それも知らなくていい。おじさんが人間の世界へ帰してあげよう」
そう言うなり水龍の口が大きく開き、蛇のように凄まじいスピードで噛みついて来た。
予め両手を刃物に変えていたメイファンは身体を回転させるとカウンターで水龍を斬り裂いた。
水龍の頭が飛び、口から下を残した身体が青い血の噴水を上げて突っ立っている。
夜の森の木々の上で鳥達がざわめいた。
「なかなか面白い世界のようだな」メイファンは笑った。「私の腕も錆びついてはいないようだ」
「わー! 怪獣」目を覚ましたチェンナが叫んだ。「退治だ! いぇーい!」
256:創る名無しに見る名無し
19/12/03 08:13:10.58 u/7tsAkt.net
暫く歩くと町があった。深夜の町は眠っていた。
メイファンは建物を見て歩く。どれもこれも時代劇のセットのように古風な建物だ。
「なんだ、ここは。何百年前だ」
高い塀で囲まれた豪邸の前で立ち止まると、身体をドローンに変える。ゆっくり音もなく塀を飛び越えると、草木の生えるままにしてある大きな庭があった。
「庭の手入れぐらいせんのか」
そう呟きながら、中央にある大きな家の前で着地する。扉はなく、玄関にはただ大きな藍色の布が掛けてあるのみだった。
「無用心だな。強盗が入るぞ」
そう言いながらメイファンは家の中へ入って行った。
257:創る名無しに見る名無し
19/12/03 08:52:05.71 u/7tsAkt.net
いびきをかいて真っ黒な住人達が寝ていた。
全員炭のように真っ黒で、目を瞑っているのでどこが顔なのかすらわからない。
身体つきと大きさで夫婦と3人の小さな子供だと見てとることが出来た。
「起きろ」
メイファンは主人らしきのの頭を蹴っ飛ばした。
「ひっ!?」
悲鳴を漏らして主人は起き上がったが、チェンナの身体を認めると安心したような声を出した。
「なんだ? 子供じゃないか。どこから入って来た?」
妻らしきのも目を覚まし、子供達も身を起こす。
「迷子だ」メイファンは言った。「ここはどこだ? 何という所だ?」
「ここは『火』の町だよ?」主人は優しい声で説明した。「お嬢ちゃん、どっから来た?」
「ちょっと。この子、きくらげ臭いよ」と妻が鼻をつまんだ。
「何?」主人はそう言われてチェンナの身体を匂う。「驚いたな。お嬢ちゃん、人間なのかい?」
「人間だったらどうなんだ?」
258:創る名無しに見る名無し
19/12/03 10:11:38.95 6l7dhUJF.net
だからこそ今、
配達不要の書き方まで
マスターしないといけないのか 、それが今わかったところ
259:創る名無しに見る名無し
19/12/03 10:38:55.29 u/7tsAkt.net
夫婦は顔を見合わせた。
ややあって主人のほうが言った。
「人間はこの世界に来たら仙人さまに会わなければならないんだよ」
「仙人に会わせてどうする気だ?」
「さぁ。後は仙人さまにお任せなんだ」
メイファンは糞可笑しそうに鼻で笑った。
「まぁ、今夜は遅い。泊まって行きなさい。これ、布団を出しておあげ」
「今夜だけ?」メイファンは可愛い声を作った。「子供だよ? 可哀想だと思わないの? ずっといさせてよ」
「悪いなぁ。決まりなんだ。明日の朝、仙人さまの所へ一緒に行こうね」
「ハン」メイファンは諦めた。
「ころそう」チェンナが言った。
メイファンはチェンナの手をナイフにすると、主人の喉元に突きつけた。
妻が震え上がり、3人の子供を守って抱き寄せた。
「な、なんだお前は!」主人が緊張した声を上げる。
「ひとつ聞く」メイファンはナイフを突きつけたまま、言った。「19歳の癖っ毛の男と14歳の黒いおかっぱの少女が最近この世界に迷い込んだはずだ。知っていることがあれば教えろ」
「ししし知らない!」
「もしかしたら髪型は変わっているかもしれない」
メイファンは恐怖でハゲたランと髪の白くなった椿を思い浮かべながら、言った。
「とにかく19歳ぐらいの細マッチョの男と14歳ぐらいの大人しそうな娘だ」
「知らない! 本当だ! 最近この辺りに新しく入って来た顔はいない!」
「……そうか」
「どうか妻と子供達だけは……」主人は懇願した。
「では」メイファンは言い渡した。「お前が言い触らして回れ。人間界から小さな黒悪魔がやって来たと」
そう言うとメイファンは再びチェンナの身体をドローンに変え、満月の夜空へと舞い上がった。
260:創る名無しに見る名無し
19/12/03 10:43:15.02 u/7tsAkt.net
「ころさないの?」
そのチェンナの質問には答えず、メイファンは呟いた。
「あいつら、やっぱ死んでるかもしれねーな。まぁ、それはそれでいいとして、あの大魚とだけは闘りてぇ」
261:創る名無しに見る名無し
19/12/03 10:56:25.36 u/7tsAkt.net
椿は16歳になり、娘らしさを増していた。
つぼみのようだった胸も少し膨らみ、直線で描いたような身体のラインも艶やかな曲線に変わっていた。
髪は赤いおかっぱのまま少し伸び、そこだけ露出させた首の後ろから芳しい香りを立ち昇らせている。
チョウは17歳になったが、雰囲気はそのままだった。
歳よりも幼く見え、背もなかなか椿を追い越せない。
しかし祝融師匠の元に足繁く通い、若い者の中では神通力がずば抜けていると評判になっていた。
チョウと椿の関係は何も変わらないように見えた。
ただ、2年前よりそれは深まり、椿にとってもチョウは特別な相手のようになっていた。
262:創る名無しに見る名無し
19/12/03 11:01:41.88 KDDIKrty.net
チョウは椿の巨大乳輪を見ると快楽殺人犯に変身する特技があった
263:創る名無しに見る名無し
19/12/03 11:02:49.99 u/7tsAkt.net
ユージンは相変わらずチョウの中にいた。
17歳になってもほとんど精神的な成長はないと言えた。
チョウのすることをチョウの中から見るだけで、何もしていなかった。
どうせユージンがもし何かしようとしてもチョウが許さなかっただろうが、元々何もする気はなかった。
ただ『気』の使えるようになった椿にもユージンが見えるようになり、チョウと椿はユージンも交え、3人で兄妹のように仲良く育った。
264:創る名無しに見る名無し
19/12/03 11:15:16.15 u/7tsAkt.net
ユージンの記憶喪失もそのままだった。
記憶を消された椿と違い、ユージンは努力して記憶を取り戻すことも出来ただろう。
しかし「幸せだからこのままでいいや」と、何の努力もせずに、椿が自分の実の妹だということも思い出さず、のほほんとした毎日を送っていた。
265:創る名無しに見る名無し
19/12/03 11:21:59.87 u/7tsAkt.net
「こら、チョウ」椿が厳しい顔をして言った。「いじめは許さない」
「だって>>262が……」チョウは怒りを抑えきれない顔で振り返った。「椿を傷つける奴は許さねー!」
「わたしは大丈夫だから」椿は少し微笑みを浮かべる。「だから、>>262のこと許してあげて? ね」
>>262は「バーカ、チービ」と罵声を残して逃げて行った。
「大体、椿が巨大乳輪なわけないじゃん。そもそもの土台がちっちゃいのに」
「今の、ユゥ?」椿がチョウを睨む。
チョウは鶏のように何度も頷いた。
266:創る名無しに見る名無し
19/12/03 13:21:09.41 u/7tsAkt.net
「いつものことだけど、お前、姉ちゃんみたいに上から物言うのやめろよな」
町で買い物をした帰り、並んで歩きながらチョウが椿に言う。
「忘れてっかもしんねーけど俺のが年上なんだぜ?」
「チョウはわたしの弟でしょ」
「ハァ!? てめー……!」
「可愛い可愛い弟くん」
椿がバカにした笑顔でチョウの白い髪をなでなでする。
「ハァ!? ハァ!? てめー、今に見てろよ!」
267:創る名無しに見る名無し
19/12/03 13:30:16.50 u/7tsAkt.net
そんなチョウを感じながらユージンは思う。
こいつ、死ぬまで一生告白しないんだろうな。
慌てず、待ってれば、椿のほうから告白して来る、そんなもんさとか思っているんだろう。
確かに2年前、消えた椿は向こうのほうから戻って来たが、あんなのは滅多にない偶然だ。
何よりぼくは探している誰かにまだ出会えてないじゃないか。
そう思いながら、ユージンはチョウに何を言うつもりもなかった。
今のまま、このままの3人の関係ならいつまでも続いてもいいなと思っていた。
チョウは椿が側にいれば幸せで、椿はチョウを笑わせてくれる。
自分がいつも中にいてもチョウはちっとも邪魔がらず、いさせてくれる。
自分はいつもチョウの中にいて、チョウの暖かさを感じていられる。
椿のことはやはりうるさいし、しばしば猫になって引っ掻いてやりたい衝動には駆られるが、なぜか嫌いになれなかった。
268:創る名無しに見る名無し
19/12/03 13:38:53.03 u/7tsAkt.net
ただひとつ欲を言うなら、チョウに自分を見てほしいという不満はあった。
チョウはいつでも椿を見ていて、自分のことは可哀想なカタワの人間、あるいは不憫な捨て猫ぐらいにしか見ていない。
それが悔しかった。
それである時、チョウにこう言い出した。
「ぼく、椿に入りたい」
チョウはとんでもないほど取り乱し、怒り出した。
何てこと言い出すんだこの変態とさえ言われた。
しかし椿に入ればチョウは自分を見てくれると思った。
それが単に物理的な意味での「見る」であってもよかった。
チョウの中にいるのは相変わらず、好きではあるけど落ち着かなかった。
いつもソワソワしてしまい、どっと疲れることもあった。
何よりおばあちゃんの中に入った時、思ったことがあったのだった。
「ぼく、チンコがないほうがしっくりくる」
269:創る名無しに見る名無し
19/12/03 13:48:58.93 u/7tsAkt.net
「5月、か……」チョウが緑から青に変わり行く木の葉を眺めながら言った。「もうすぐだな。椿の成人の儀」
「うん」椿が少し不安そうに頷く。「チョウより一足先に大人になっちゃうね。年下なのに」
「ったくよー。なんで女のほうが成長が早いんだよ。神様も不平等だよな」
「それで……言うの遅くなっちゃったけど、成人の儀がある6月までには『樹』の家に帰るの」
チョウが買い物の紙袋を落とした。
「は? 隣からいなくなっちまうのか?」
「うん。お父さんの仕事もちょうど終わりそうだし」
「なんで黙ってたんだよ!?」
「え?」
「ひでーよ! ある日突然いなくなっちまうつもりだったのかよ!?」
「あ、ごめん」椿はチョウが何を怒っているのかわからないという風に言った。「別に遠くなるだけで、会えなくなるわけじゃないじゃない」
270:創る名無しに見る名無し
19/12/03 14:11:13 u/7tsAkt.net
「皆もう知っていると思うが、昨夜『水の森』で赤松子道士の一番弟子だった水龍が何者かに殺害された」
祝融は屋敷にすべての弟子を集め、それを前にして言った。
「そして同じく昨夜、この町で殺されそうになった者がいる。犯人は小さな子供の姿をしており、人間界から来た黒い悪魔と名乗ったそうだ」
その話は誰もが初耳だったらしく、弟子達はざわめいた。
「祝融先生、ではその悪魔とやらが水龍道士を殺した犯人なんですか?」
「確定ではない。しかしその確率が高い。この世界に人間界から落ちて来るものは決まって『水の森』に着地する。水龍道士はそれを見張る役を務めていたからな」
「では皆でその悪魔を探しましょう」
「ウム。しかし」祝融は皆に言い聞かせた。「見つけても、争うな。必ず私に報告せよ。赤松子や他の道士でもよい」
「了解しました」
「いいな? 手は出すな。相手は私達道士がする」
271:創る名無しに見る名無し
19/12/03 14:19:07.84 u/7tsAkt.net
「黒い悪魔だって。怖いね」ユージンが言った。
しかしチョウは祝融の話を聞いてはいたが、元気がなかった。
そんなチョウのところへ祝融がやって来て、声をかけた。
「どうした、チョウ? お前のことだから真っ先に『俺が退治してみせます』などと言い出すものと思っていたぞ」
「先生、俺……」チョウは顔を上げると、言った。「何が何でも守るよ」
祝融は意味がわからなそうな顔をしたが、頼もしそうにチョウを見つめて笑うと、頭をぽんと撫でた。
「あぁ、頼むぞ。手を出すな。自分を守れ」
皆が騒然となっている中で、たった一人、昼寝をしていて話を聞いていなかったものがいた。
チョウの義兄、ズーローであった。
272:創る名無しに見る名無し
19/12/03 14:59:26.91 u/7tsAkt.net
散会してチョウが屋敷を出ると、表に赤松子道士がいた。
深い蒼の長髪に青い着物、いつも通り名とは全く違った青ずくめの姿だ。
細面の美しい顔を涙で歪め、祝融に助けを求めるように抱きついていた。
「祝融~。惨いよ~。水龍が……水龍が……」
「赤松子、しっかりしろ。我等で仇を討つのだ」
「あのひと、あんなんでめっちゃ強いなんて、信じられない」ユージンが言った。
「ウチの先生と互角だって噂だぜ」
「あの二人、出来てるの?」
「は? 男同士だぜ?」
「ありえない話じゃないじゃん」
273:創る名無しに見る名無し
19/12/03 20:56:13.82 8CtqExzM.net
しかし『黒い悪魔』は見つからなかった。
見慣れない四歳の子供が歩いていたらすぐに目立つというのに。
町にも森にも目撃者は現れなかった。
鼻の利く竜の馬が駆り出されたが、『マイナスの匂い』を放つ人間の探索には意味をなさなかった。
一体、悪魔はどこにいるのか。
そもそも本当にそんなものが存在するのか。
やがて祝融と赤松子を除き、人々は黒い悪魔のことを忘れて行った。
274:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:00:20.89 DtCsDxbN.net
チョウは手綱をふるう。
「ちくしょーっ! 待てーっ!」
「アハハ! チョウ、早く!」
椿は笑いながら先を駆けて行く。
赤い馬に乗り、チョウは椿の緑の馬を追いかけた。
草原があっという間に後ろに流れて行く。
時間は緩やかに、穏やかに二人だけの世界を包み込んでいた。
275:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:08:55.73 DtCsDxbN.net
川のほとりがゴールだった。椿が一足先に到達し、馬の足を緩める。
遅れて来たチョウも手綱を緩め、汗を拭き、息を整えると馬を降り、そのまま草に臥れた。
「ちくしょー……とうとう椿に勝てなかったぜ」
「フフ、22連勝。前はチョウのほうが速かったのにね」
そう言うと椿はチョウのすぐ隣に寝転んだ。
暫く草に寝転び、目に見えない風を二人で見つめた。
風は汗をかいた肌をくすぐり、二人の髪を弄び、遠くの川面をキラキラと揺らした。
「いい風」椿が言った。
チョウはずっと何かを考えながら黙っていたが、意を決したように口を開いた。
「椿」
「ん?」
「俺さ……」
「うん」
276:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:26:41 DtCsDxbN.net
「えっとな。俺な、その……」
「何よ」椿はクスッと笑った。「へんなチョウ」
「お前のこと……」
椿は黙り、覚悟をするような真面目な顔になる。
「お前のこと……、尊敬してる」
椿の真顔が崩れた。すぐにまたクスッと笑い、身を起こす。
「何よ、それ。ありがとう」
チョウは真っ赤な顔をそむけると、慌てたように言った。
「な、なんだ俺! へんなこと言い出したな!」
「わたしもチョウのこと、尊敬してるよ」
「ほ、本当か?」チョウは向こうを向いたまま言った。
「ねぇチョウ、舟に乗らない?」
「あぁ、いいな」
椿は薄紅色の『気』を集めると、足元の草に込めた。すると地中から音を立てて、太短いが巨大な竹が顔を出す。
竹がみるみる差し出した笹の葉をチョウが火の力で焼き落とす。二人で端を折ると、瞬く間に二人の乗れる笹舟が完成した。
277:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:38:42 DtCsDxbN.net
川に浮かべた大きな笹舟をチョウは竹の棒で漕いだ。
椿は船の先に楽しそうに膝を畳んで座り、何も言わずに景色を見ている。
右手には真っ赤な『火』の森があり、左手には青々とした『樹』の森があった。
チョウの住む『火』の町と椿の帰る『樹』の町はそう遠く離れているわけではないが、この森によって互いに遮られている。
「またこっちまで競争しに来るね」と椿が言った。「毎日は出来なくなるけど」
チョウは船を漕ぎながら小さな声で「あぁ」とだけ言った。
ずっと椿の後ろ姿を見つめていた。手を伸ばせば抱き締められる距離にあった。
もうすぐ6月がやって来る。
ユージンはずっと黙っていた。穏やかな時間と川面の涼しさに言葉を忘れていた。
278:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:51:37.64 DtCsDxbN.net
「なんとも風雅だな」
部屋の調度品を眺めながら、メイファンは馬鹿にするように言った。
「毛沢東の文化大革命はこの世界には起こらなかったんだな」
そして床に根を張る白い髭を足でコツコツと蹴った。
「……それで、なぜ私を匿う?」
問いかけられた老人は淹れた茶を持ち、振り返った。
「儂は医者だ。人を助けるのが務めだからな」
フンと鼻で笑うと、メイファンは聞いた。
「ここに来た人間を他に知らないか? 細マッチョな男とおかっぱの娘だ」
「椿のことか」
「それだ」
「知っているぞ」
「どうした? 殺したか」
「助けた」
「務めだからか」
「いいや」老人は首を横に振った。「かわゆいからだ」
279:創る名無しに見る名無し
19/12/04 07:57:44.37 DtCsDxbN.net
老人は立派な桐の引き出しを開けると、中から大量のブロマイドを取り出した。
「儂はこう見えてアイドルオタクなのだ」
「ほう?」メイファンは身を乗り出した。
「この世界にはアイドルなどというものはない。ゆえに人間世界からこういうものを取り寄せているのだ」
「なかなか話の合いそうなジジイだな」芸能人オタクのメイファンは目を輝かせた。
「飛鳥さんとよだっちょなど、見ていてたまらんものがある」
「小動物より可愛いよな」
「あぁ……かわゆい。椿にもそんなかわゆさを感じてしまったのだ」
「なるほどな」メイファンは深く納得した。「お前、変わり者だってよく言われるだろ?」
280:創る名無しに見る名無し
19/12/04 08:08:37 DtCsDxbN.net
老人は髭に包まれた顔を笑わせた。
「医術というものは自然に反するものだ。死ぬ運命のものを引き戻すのだからな」
「誰でも死にたくはねーだろ」
「無論。それゆえ皆、儂に助けを求める。が、儂は自然に反する変わり者、嫌われ者だ」
「ふーん」
「それゆえここには誰もやっては来ん。患者の元には儂のほうから出向く。だからお前はここにいれば安全だ」
「そいつはどうも」
「あぁ、ただ一人、訪ねて来てくれる者がいる。それが椿だ。かわゆいのぅ」
「来るのか、ここに?」
「あぁ」老人は言った。「ただし、儂が人間の記憶を消した。お前のことは覚えていない」
「そうなのか」
「あぁ、悪いことをしたかな」
「構わん。勝手にしろ。それよりジジイ、お前、若い頃は相当強かったろ?」
メイファンは老人の身体から薄く漂っている薄紅色の『気』を見ながら、言った。
281:創る名無しに見る名無し
19/12/04 08:33:11 DtCsDxbN.net
「おじいちゃん!」
そう言いながら笑顔で椿が飛び込んで来た。
「どうした、椿。また困ったことが起こったのかね?」
椿は首を横に振ると、クスノキの老人の胸に手を添えた。
「わたし、もうすぐ成人するのよ」
「あぁ、知っている」クスノキは優しく笑った。「おめでとう」
「それでね、でも不安だから。おじいちゃんに色々お話聞きたいの。……あら? 誰か来てたの?」
椿は卓の上の冷めた茶を見て言った。
「栗鼠だよ」老人は答えた。「さ、椿にも茶を淹れてあげよう」
282:創る名無しに見る名無し
19/12/04 08:41:06 DtCsDxbN.net
椿が帰ると、調度品に姿を変えていたメイファンは『気』を解いた。
「探していたんじゃなかったのかね? あの子を」
老人が聞くと、メイファンは欠伸をしながら答えた。
「どうせ私のことは覚えていない。覚えていない以上、椿にとって私は通報すべきお尋ね者だ」
そして自分で新たに毒の有無を確認しながら茶を淹れた。
「まぁ無事な顔を見れてよかった。しかし……」茶を口に運ぶ。「中にもう一人いなかったな。あっちは死んだか」
茶を卓に置くと、付け加えた。
「もったいない」
283:創る名無しに見る名無し
19/12/04 08:50:55 DtCsDxbN.net
クスノキの老人が激しく咳き込んだ。
「病気か?」メイファンは茶を飲みながら聞く。「椿もお前の身体を心配していた」
「なに」老人は笑いながら答えた。「三千年年も生きていれば、病気にもなかなか勝てなくなるものだ」
284:創る名無しに見る名無し
19/12/04 09:55:34.00 5oJ1rDdy.net
「李さんの、ばかばかばか眉毛が痒いよ目玉がかゆいよズボン脱いで寒いんだけど、 今てんとう虫のサンバ歌ってるんだよ!!」
285:創る名無しに見る名無し
19/12/04 10:14:06 DtCsDxbN.net
「そんなことより、だ」メイファンはウズウズしながら老人に尋ねた。「ここにとんでもなくどでかい赤い魚のバケモノがいるだろう? 強そうな」
「赤き……巨大魚だと?」クスノキの老人は答えた。「知らんな。そのような神獣もここにはおらん」
「そうなの?」メイファンはがっかりしたが、気を取り直してさらに聞いた。「他になんか強い奴いるだろ? ここなら……」
「祝融と赤松子は強いぞ」
「ほう!」メイファンはメモした。「生意気そうだな。神様の名前なんかつけやがって」
「あの二人には決して見つかるでないぞ」
「は?」
「闘おうなどと思ってはならん。お前ごときは一瞬で粉粉にされる」
「ハアァ~?」メイファンのこめかみで青筋がビキビキと音を立てた。
「はらへった!」チェンナが騒ぎ出した。
286:創る名無しに見る名無し
19/12/04 14:17:15.35 sTxGCKIv.net
URLリンク(yakuyoke.info)
287:創る名無しに見る名無し
19/12/04 15:53:05 gcvY6MWO.net
メイファンはクスノキの老人を信用することにした。
やたら薬臭い具だくさんのスープを振る舞われ、有り難くチェンナの身体に栄養と満腹感を与えた。
ベッドを貸すと言われたが、老人の寝床を取るわけにも行かず、クスノキの洞の中に『気』で寝袋を作り、寝た。
288:創る名無しに見る名無し
19/12/04 15:58:00 gcvY6MWO.net
月を見上げながらメイファンは聞いた。
「チェンナ、寂しくはないか?」
「ちっとも」
「ママに会いたくはないのか?」
「んーん。だぁじょぶだよ」
メイの奴、娘に愛されてねーんだな、と思った時、チェンナが言った。
「だってメイファン、ママとおんなじにおいだもん」
「あぁ、そうか」メイファンはそれで合点がいった。「私はお前のママの出来損ないバージョンだったな」
289:創る名無しに見る名無し
19/12/04 16:17:11 gcvY6MWO.net
チョウはベッドに寝転び、ずっと親指の爪を囓っていた。
隣の家からは気配も物音も消えていた。
「……なぁ」
「ん?」ユージンが返事をする。
「昼間……あの時、俺が気持ちを伝えてたら……何か変わってたのかな」
「変わってただろうね」ユージンは答えた。「どっちにかはわかんないけど」
ユージンの言葉で悪いほうの想像をしてしまい、チョウはヒィッと小さく悲鳴を上げ、頭を押さえた。そしてそれきりまた黙り込んでしまった。
ユージンはどうしてあげたらいいのかわからなかった。
そもそも椿のどこがそんなにいいのかがわからなかった。
ユージンにとって椿は相変わらず、そこそこ顔は可愛いけれど小うるさくて地味なだけの女の子だった。
地味なくせに花々しい赤い髪が嫌いだった。
「椿のどこがいいの?」かける言葉が見つからず、思わず聞いてしまった。
別に知りたくはなかった。答えてくれなくてよかった。
チョウは何も答えなかった。ただ、何かを考えながら速いテンポで指を折りはじめたので、ユージンは言葉を待った。
やがて無言のまま二人とも眠ってしまった。
290:創る名無しに見る名無し
19/12/04 16:49:18 gcvY6MWO.net
6月がやって来た。
椿の成人の儀は始められた。
その第一段階は人間界へ赴き、人間の生活を見て来ることだった。
『樹の一族』が集まり、樹氏や鳳婦人の親しい者も集まり、宴が催された。
椿も仕事仲間の女友達を呼んだ。もちろんのようにチョウとユージンも招待されていた。
宴が終盤にさしかかると、皆は酒や料理を置き、外の広場へと移動した。
円形の広場の中心に丸く掘られた大きな穴があり、中には海水が満ちていた。
椿は皆が取り囲んで見守る中、穴を前に立つと、祈るように両手を前で合わせた。
身体に密着した赤い無地の旗袍に黒い長スカートを穿いている。
やがて顔を上げると、泳ぎ出すように椿の身体が空へと浮かび上がった。
薄紅色の『気』に包まれ、ゆっくりと回転しながら、見えない力に身を任せるように椿は赤いイルカに姿を変えて行く。
「綺麗……」ユージンが呟いた。「椿のくせに……綺麗」
チョウはただ口を開けて見つめていた。
赤いイルカに変わりきった椿は穴へ飛び込んだ。
水飛沫を上げ、飛び込んだ向こう側は人間界だ。
291:創る名無しに見る名無し
19/12/04 17:07:19 gcvY6MWO.net
【主な登場人物まとめ】
人間
・ユージン(李 玉金)……17歳の少年。身体を持たない『気』だけの存在として生まれる。身体がないのでチンコもないが、性同一性障害。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
人間界にいた頃は妹の椿の身体の中に住んでおり、椿と身体の支配権を交代することが出来た。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は海底世界で知り合ったチョウの中に住んでいる。
・椿(リー・チュン)……16歳の少女。人間界にいた時は登校拒否を患っていた。ユージン曰く地味だがそこそこ可愛い顔をしている。
帰りを心待ちにしていた義兄ランが日本から帰って来、うかれていたが、義兄が渦潮に呑まれたのを助けようと海に飛び込み、自分も呑まれる。
海底世界へ落ち、クスノキの老人に助けられ、人間の記憶をすべて消される。
今では自分を海底世界の住人だと思っており、『樹の一族』の一員として薄紅色の『気』が使え、黒かったおかっぱの髪も赤くなっている。
・ラン(? 狼牙)……19歳。日本で格闘家デビューし、連戦連勝を重ね、そのアイドル性からスターとなる。
細身で格闘家とは思えないほど穏やかで優しく、謙虚。透明の『気』の使い手。
リウ・パイロンとメイファンが殺した? 美鈴の子。四歳の時にハオが引き取った。
赤いイルカを助けた後、渦潮に呑まれて絶命する。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたるが、頑なにおばさんと呼ぶのを禁止している。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。ランの母親を15年前に殺した。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとしてチェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
メイファンに身体を潜水艦に変えられ、喜んでいる。
海底世界の住人
・チョウ……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。秋を司る能力を持っている。橙色の『気』を使う。
言葉遣いが粗野で、歳より幼く見えるが、根は意外なほどに真面目。それゆえ不真面目な兄のことが許せない。
椿に恋してしまい、修行が手につかなくなっていたが、師匠の祝融に励まされ、再び修行を開始する。
ユージンを人間だと知りつつ自分の身体の中に住むことを許している。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
見かけによらずアイドルオタク。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
292:創る名無しに見る名無し
19/12/05 06:46:01.26 twuXFjIQ.net
「行っちゃったね、椿」
チョウと並んで見ていたルーシェン(鹿神)が言った。
「あぁ……」チョウは放心したように答えた。
「ところでチョウ」ルーシェンは高いところから見下ろしながら、言った。「椿とはもうヤッたの?」
「バーカ」チョウは軽く流した。
「椿、寂しがってたよ」
「へぇ? そっか」
「せっかく待ってたのにチョウが抱いてくれなかったって」
「へぇ~」
「いつ処女を奪ってくれるのかなぁって、ボクに相談しに来てた」
「もう黙れ。殴るぞ」少しだけ気持ちよさそうに聞いていたチョウはさすがに態度を変えた。
293:創る名無しに見る名無し
19/12/05 06:47:17.71 twuXFjIQ.net
ルーシェンはチョウと椿共通の友達だが、他のものからは嫌われていた。
明るい性格なのだが、嘘ばかりつくので相手にされていなかった。
『ルーシェンの言うことは10個のうち9個が嘘」というのが評判だった。
それさえなければ、スラリと伸びた長身、中性的な顔だち、魅力的な頭の二本の短い角、気さくな性格と、少なくとも女の子にモテない要素はない。
きっかけがあって仲良くなったが、それがなければチョウも相手にしていないところだった。
294:創る名無しに見る名無し
19/12/05 06:55:18.71 twuXFjIQ.net
「本当なのに~」ルーシェンはなおも言った。「とりあえずチョウ、椿が帰って来たら告白しなよ」
チョウはすべて信じずに聞いていたのに、なんだかいつの間にかルーシェンの嘘に乗せられていた。
「うん」チョウは頷いた。「告白する」
ルーシェンは嬉しそうに笑うと上半身を折り、チョウの顔を覗き込んだ。
「言ったね?」
「あぁ」
「告白しなよ?」
「しつこいな」
「椿が帰って来るのは一年後の春かぁ」
「明日の朝だ、バカ」
皆は椿を見送ると席に戻り、宴を続けた。
チョウとルーシェンも席に戻ると、バカ話をしながら肉を食い、烏龍茶を飲んだ。
295:創る名無しに見る名無し
19/12/05 08:20:04.66 Pmn1YG93.net
生ゴミに注意!
296:創る名無しに見る名無し
19/12/05 09:34:46.95 X5WZi0NY.net
ルーシェンのいうことは10に9は嘘だ
つまり1は本当のことをいうのだ
チョウは信じたかったのだ
椿が自分のことを好きだという話が1のほうなのだと
297:創る名無しに見る名無し
19/12/05 15:33:46 Pmn1YG93.net
先には大穴!
警告
298:創る名無しに見る名無し
19/12/05 19:51:20 D9bwzt11.net
ZOZO創業者の前澤友作氏(44)が、11月29日にネット動画のYouTubeチャンネルを立ち上げた。
その第1弾が「1000億円を通帳に記帳してみた」である。
案の定、“下品の極み”なんて言う声が相次いで……。
(中略)
精神科医の片田珠美氏は
「なぜ、こんなことをするのか。前澤氏のレゾンデートル、つまり自分の存在価値、生きる理由は、金儲けをすることだけなんでしょうね。
その背景には、コンプレックスがあるのではないでしょうか。
ミュージシャンになろうとして失敗し、ZOZOで金を儲けることができても、事業が行き詰って、Yahoo!に売却せざるを得なくなった。
本人もかなりショックだったと思います。
そういうのを払拭するために、1000億円入金されたっていうことを見せびらかせたかったわけです。
本物の金持ちは、こんなこと絶対しませんよ」
「世間から何と思われるか、想像力が欠如しているのかもしれません。
前澤さんといえば、先日、剛力彩芽さんと破局していたことが明らかになりました。
清純なイメージの彼女といきなり別れれば、彼女の女優としての商品価値がどれだけ落ちるかということを考えていない。
想像力が働かないのです。
相手が傷ついても、その痛みがわからない人なのでしょう。
そういう意味で彼は、他人の苦しみに鈍感で哀れみも感じない、情性欠如者の可能性も考えられます」と分析した。
299:創る名無しに見る名無し
19/12/05 21:53:06.38 dmaF0Xpb.net
赤いイルカに姿を変えた椿は暗い海を泳ぎ、上へ上へと向かった。
たまにキラキラと銀の鱗を光らせて魚群が通るのを立ち止まって見とれながら、人間界らしい景色を見るために泳いだ。
たまに上下がわからなくなった時は、力を抜いた。沈む感覚と浮き上がる感覚で、進むべき方向がわかった。
やがて匂いが変わりはじめた。
嗅いだこともない胸の悪くなる匂いとともに、美しかった海が黒くなりはじめた。
黒い海の向こうが明るくなったかと思うと、椿は海の上に顔を出した。
荒波が赤いイルカの姿を揺らす。他には何もなかった。空はどんよりと曇っている。
遠くから苦しむ声が聞こえて来た。椿はすぐにその方向へ、海の上を泳ぎはじめた。
300:創る名無しに見る名無し
19/12/05 22:00:05.90 dmaF0Xpb.net
巨大な鉄の船が何か黒いものを海に撒いていた。
椿は遠くからそれを見つけ、近づこうとした。
しかしまだまだ遠いのに、それ以上は近づくことが出来ない。本能が死の危険を報せていた。
鉄の船が撒く黒いものに包まれて、夥しいほどの海の生命が死んで行くのを感じた。
苦しみの声が怨霊のように椿もそこへ引きずり込もうとする。
思わず顔を背ける。彼らを見捨てて逃げるしかなかった。
301:創る名無しに見る名無し
19/12/05 22:18:20.25 dmaF0Xpb.net
遠くの陸地には神を脅かすように高く聳える建造物が見えた。
馬よりも速く走る車と竜よりも速く飛ぶ飛行機を見た。
しかし人間は小さすぎてどこにも姿を見つけることが出来なかった。
ようやく小さな舟に乗った3人の人間に遭遇した。自分やチョウと違うのは髪の色が真っ黒なことぐらいで、他は何も変わらないように見える若者達だった。
椿は海から顔を出し、微笑んで3人に手を振る動作をした。
「おい、変な色のイルカがいるぜ」
「誰が仕留めるか勝負しよう」
「おい、動画録れよ?」
椿の身体を掠めるように、ざらついた銀色の銛が打たれ、海面に穴を空けた。
「チッ! 惜しい」
さらに続けて2本、自動連続射出式の銛が椿めがけて飛んで来た。
連続で次々と飛んで来る冷たい凶器から椿は逃げた。海へ潜っても3人は暫く潜って追いかけて来た。
302:創る名無しに見る名無し
19/12/05 22:51:29.66 7ZdN0qZP.net
身も心も早くも憔悴しきっていた。
夜を待たずに帰ろうかとも思った。
しかしまだ陽は水平線にかかってすらいない。
とぼとぼと泳いでいると、突如押し寄せた大きな波に後ろから押された。
押された先に罠があった。
ちょうどそこに仕掛けられていた魚漁りの網は、椿の身体を受け止めると絡みついた。
「……!」
そこで初めて、この身体では声が出せないことを知った。
「……! ……!」
椿は出ない叫び声を上げようとしながら、網から抜け出そうともがいた。
もがけばもがくほど、網はきつく身体を縛り上げる。
303:創る名無しに見る名無し
19/12/05 22:54:46.13 7ZdN0qZP.net
人間界の月が出た。
夜のうちには海底世界へ帰らなければならなかった。
椿は網にかかったまま、力を使い果たしてぐったりとしていた。
小魚達が身体を突っつきながら、自分が死ぬのを待っていた。
304:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:07:36 7ZdN0qZP.net
ふと気がつくと誰かの声が遠くに聞こえた。辺りはすっかり明るくなってしまっていた。
気を失っていたせいか、少しは体力も戻っていた。
誰かの声は、そこから少し離れた崖の上から聞こえて来ていた。
「ミーミー!」とどこか聞き覚えのある少女の声が聞こえた。
暫くすると男の人間らしき影が現れ、すぐにそれは高い崖の上からこちらへ向かって飛んだ。
椿は怖がり、身をすくめ、どうかこっちへ来ませんようにとでも言うように顔をそむけた。
「あれ?」と男の声がした。
目を合わさないようにしていると、その男は声を掛けて来た。
「まぬけだなぁ、お前」
そしてクスッと笑った。
305:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:14:54 7ZdN0qZP.net
「待ってろよ」と言うなり、人間の男は近づいて来る。
椿は恐怖にもがき、逃げようとする。しかし動けば動くほどに網が身体を強く絞めつけた。椿は苦痛に顔を歪める。
「じっとしてろ」
そう言うと男はおぞましいことに椿の身体に触れて来た。あまつさえ、どこにしまっていたのかナイフを取り出すと、椿に突きつけた。
しかしそのナイフで切りつけはじめたのは椿の身体ではなく、椿が絡まっている網だった。
306:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:24:59.45 /UH5v2Ee.net
網は固く、なかなか切ることが出来ず、しかし男は真剣な顔で椿を助けようとしていた。
椿はもうもがくことはせずに、黙ってじっとその人間の男の顔を見ていた。
睫毛が長く、綺麗な顔をしていた。濡れてうねった髪の毛が柔らかそうで、触れてみたかった。
真剣な眼差しには優しさが漂っていた。紫色のくちびるが美しくて、椿は思わず見とれていた。
男はまるで励ますように椿に話しかけた。
「これでも切れなかったらメイファンちゃんを呼ぶよ」
そう言った途端、それまでびくともしなかった網が、まるで紙のように簡単に切れた。
307:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:33:20 PfKdlfTG.net
「さ、行けよ」と人間の男は言い、にかっと笑った。
網の束縛から自由になったのを確かめると、椿は礼も言わずに逃げ出した。
「もうまぬけな捕まり方するんじゃないぞぉー!」
そんな言葉に見送られながら海へ潜ろうとした時、崖の上から必死で叫んでいる声に気づき、振り向いた。
「……ン兄ィ!」
「ラン兄ィ!」
遠く崖の上で少女らしき影が何やら2種類の声で、声を限りに叫んでいた。
308:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:48:02.94 k9H+fr7V.net
さっきの人間の男が急いで泳ぎ出したのが見えた。
その後をまるで追うように、大きな渦潮がやって来ていた。
椿は迷った。どうすればいいのかわからず、動けなかった。
次の瞬間には身体が勝手に動いていた。男を助けに最高速で向かう。
しかし椿の目の前で、男は遂に渦潮に足を捕まれると、そのまま引きずり込まれた。
椿は海に潜り、その行方を追いかけた。
男の身体は海中で、渦に振り回されながらも抵抗していた。
まるで鎧でも着ているかのようにその身を守っていたが、やがて鎧は激しい竜巻に剥ぎ取られた。
身体のあらゆる部位が有り得ないほうへ曲がり、骨は砕かれ、内蔵は圧し潰され、風に踊る紙切れのようにされるがままに、
男は海の底へと引きずり込まれて行った。
309:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:56:25.97 ll1eiuAH.net
海の底の岩盤の上に、その人間の男は目を閉じ、仰向けになって息絶えていた。
椿はその回りを何度も何度も泳ぎ回り、顔を覗き込んだ。
「……! ……!」
呼び掛けても声が出せなかった。
やがて深く目を閉じ、勢いよく開けると、その目には強い決意が浮かんでいた。
椿は人間の男に背を向け、もう一度だけ振り返ると、海底の家へと帰りはじめた。
310:創る名無しに見る名無し
19/12/05 23:59:56.53 cF3l/i9b.net
明治大学校歌・応援歌
1. 白雲なびく駿河台 2.権利自由の揺籃の
眉秀でたる若人が 歴史は古く今もなお
撞くや時代の暁の鐘 強き光に輝けり
文化の潮みちびきて 独立自治の旗翳し
遂げし維新の栄になふ 高き理想の道を行く
明治その名ぞ我等が母校 我等が健児の意気をば知るや
明治その名ぞ我等が母校 我等が健児の意気をば知るや
3. 霊峰不二を仰ぎつつ
刻古研鑚他念なき
我等に燃ゆる希望あり
いでや東亜の一角に
時代の夢を破るべく
正義の鐘打ちて鳴らさむ
正義の鐘打ちて鳴らさむ
311:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:01:47.20 9TDc1BgQ.net
赤いイルカが帰って来た。海水から顔を出した瞬間、椿の姿に戻った。
口で呼吸を整えていると、母の鳳(フォン)が見つけて飛んで来た。
「椿! 遅かったから心配したよ! お父さんも……」
「わたし……」
そう言うなり椿はその場に倒れ、気を失った。
312:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:12:23 25Tumgh3.net
椿は目を開けた。
見慣れた自分のベッドの上だった。
窓からは緑色の陽射しが差し込んでいる。
扉を開けて入って来た母が、いつも通りの優しい微笑みを浮かべ、言った。
「お帰り、椿。人間の世界はどうだった?」
そしてベッドの脇のテーブルに果実を乗せた皿を置く。
果実は青や紫や緑の色をぷるぷると震わせた。
「聞いていた通りだった」椿はそう言うと、目をこすった。「汚くて、恐ろしくて、そして哀しい世界……」
「これであなたも大人の仲間入りね」母は嬉しそうに言う。「明日には成人式を開いてくださるそうよ」
「でも……」椿は自分の話を続けた。「罠にかかった私を助けてくれた、優しい人間にも出会ったわ」
「そんな人間もいるだろうね」母は落ち着いた声で言った。「その人間はお前を助けてからどうしたんだい?」
「死んだわ。渦潮に飲まれて」椿は赤いおかっぱの髪に手を埋めて、俯いた。「海底で看取ったの」
313:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:17:51 +r2q14o3.net
「そうかい。それは残念なことをしたね」母は少しだけ悲しそうな顔をした。「でもそれが自然の掟だよ」
「わたし……あの人間を助けたい」
「椿?」
「あの人の笑顔、優しかったもの」
「気持ちはわかるが、無理を言うんじゃないよ」
「生き返らせる方法は、ないの? だってわたし達は人間の生をも司る……」
「椿!」母は厳しい声で叱った。「自然の流れに逆らってはいけない。そんなことをしては必ず世界に歪みが生じるよ」
椿は素直に頷いた。
「さ、悲しいことは忘れて、今日はゆっくりしなさい。あなたはハナカイドウを任される神になるのよ」
そう言うと母は部屋を出て行った。
「神じゃない。わたし達は……」椿は一人、呟いた。「でも……あるんだ。自然の流れに逆らう、方法が……」
314:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:31:59.74 9yskSPNW.net
チョウは朝の染め物仕事に出ていた。
遅れてルーシェンもやって来た。
「チョウ、おはよ」
「オス、ルー……。なぁ、椿、帰って来たのかなぁ」チョウは真っ赤な目をして言った。
「うん。昨日の夜遅くに帰って来たらしいよ」ルーシェンはにっこりと笑って言った。
「お前……」チョウが怖い顔になる。「そんな嘘はつかねぇよな? まさか……」
「本当だって」
ルーシェンは綺麗な緑色の目に優しさを浮かべてチョウを見つめた。
チョウもルーシェンの目をじっと見つめた。
「そっか! よかった……!」チョウは顔を崩すと、大きく息をついた。「よーし元気出た! 早く仕事終わらせて会いに行こうぜ!」
「つまり」ルーシェンがにんまりと笑う。「告白の時だね?」
315:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:36:02.87 ljfAMkOB.net
糞みたいな書き込み止めろや!
316:創る名無しに見る名無し
19/12/06 00:36:57.79 ljfAMkOB.net
きもいわぁ
317:創る名無しに見る名無し
19/12/06 07:28:58 iYx3+1Y6.net
「チョウ、おはよ」www
じゃねーよくそおやじ
318:創る名無しに見る名無し
19/12/06 07:50:01 /OEInF1U.net
「なんだとこのヤロー」
ルーシェンはそう言うと下半身を鹿に変えた
ドカドカと走り寄るとあっという間に>>315と>>317を踏み潰した
319:創る名無しに見る名無し
19/12/06 10:20:39.87 AnKBC6a4.net
回廊の袂で待っていると、椿が帰って来るのが見えた。
「あ、チョウ。ルー」
その声にチョウとルーシェンは揃って立ち上がる。
「てめー、帰って来てたんなら顔ぐらい見せに来いよ」
「ごめん」椿はそう言いながら微笑んだ。「おじいちゃんのところへ行ってたの」
「何か相談事か?」
椿は首を横に振った。
「新しい黒い調度品を入れてあったのに、褒め忘れてたから」
「人間界はどうだった?」
「平気よ」椿は涼しい顔で言った。「いい経験になったわ。楽しくて少し居すぎちゃったけど……。こっちは変わった事とかあった?」
「うん。『水』の町が大水害でね。死者がたくさん……」
「ルー……」チョウが遮った。「不謹慎」
椿はクスクスと笑う。
「それに『火』の町が火事になるぐらいあり得んわ。赤松子がいるのに」
「椿」ルーシェンが聞いた。「その手に持ってる地図みたいなの、何?」
「とりあえず部屋に上がったら?」椿はそう言いながら手に持った地図を隠した。
320:創る名無しに見る名無し
19/12/06 10:34:43.83 AnKBC6a4.net
「いや、帰るわ」とチョウが言った。
「そう?」椿は先を行きかけて、振り向いた。「お茶ぐらい飲んで行けばいいのに」
「うん。そうだよチョウ、話があるだろう」ルーシェンがにっこり笑う。「椿、チョウが椿に話があるんだって」
「そうなの?」椿がチョウを見つめる。「何?」
「ないないないない!」チョウは手を振った。「顔、見に来ただけだ」
「なんならボク先に帰るけど?」ルーシェンが盗み聞きする気満々の顔で言う。
「何言ってんだバカ」チョウがルーシェンをどつく。「乗せて帰れ、バカ」
「ねぇ、チョウ」
椿に呼び止められ、心臓が止まる勢いで立ち止まると、チョウはゆっくり振り向いた。
「もう一回『お帰り』って言って」
「え?」
「別の声で」
「……あぁ」そう言うとチョウは黙った。その口を動かしてユージンが言った。「お帰り、椿」
「うん」椿はにっこりと笑った。「ただいま」
321:創る名無しに見る名無し
19/12/06 10:44:09.24 AnKBC6a4.net
ルーシェンに乗ってカッポカッポと森を歩きながら、チョウは暫く何も言わなかった。
「嘘つき」とルーシェンが詰る。「告白するって言ったくせに」
「あぁ」チョウは答えた。「駄目だな、俺」
木漏れ日がそろそろと身体を射す暑さになりはじめていた。
「ところで最後の何なの?」ルーシェンが聞く。「チョウ、たまに別人みたいな声出すよね」
「あぁ」チョウは言った。「俺の中にさ、ユージンって名の人間が住んでるんだ」
「人間?」
「あぁ」
「チョウの中にいるの?」
「あぁ」
ルーシェンはカッカッカッカと声を上げて笑った。
「ボクみたいな嘘つくようになったね、チョウ」
322:創る名無しに見る名無し
19/12/06 11:25:17.90 AnKBC6a4.net
ユージンはずっと黙っていた。チョウのふりをして発言することも控えていた。
人間は見つかったら即殺され、知性のない赤い魚に変えられ、人間界へ戻される。
ルーシェンは嘘つきだがいい奴だ。しかし、それでも人間を『世界を歪めるもの』として危険視するのがこの世界に住むものの『当たり前』なのだ。
お喋りなユージンだが、黙っているのは苦ではなかった。
自分で喋るのと同じぐらい、好きな人が喋るのを聞くのも好きだった。
身体の中にいるだけで充分気持ちが満たされ、チョウとは何時間も話をしないでいられる。
ルーシェンのことも、嘘つきだけど好きだった。
323:創る名無しに見る名無し
19/12/06 11:35:28.02 AnKBC6a4.net
ユージンは思い出す。
ある朝、川での染め物仕事に新しい顔がやって来た。
4年ぐらい前から『火』の町にやって来て一人で住みはじめていた年齢不詳の若者だが、誰も親しいものはいなかった。
スラリと背が高く、長い2本の脚が美しく、中性的な顔立ちがミステリアスで、頭に魅力的な2本の短い角を持っていた。
女だらけの職場はすぐにピンク色のうっとりした笑顔で充満した。
同年代の女の子3人組がいそいそと声を掛けた。
「よろしくね。この仕事は初めて?」
するとルーシェンはにっこり笑うと、女の子の一人に言ったのだった。
「あっ。顔にうんこついてる。取ってあげるよ」
そしておもむろに女の子のほっぺたをつまむと、「取れないや」と大声を上げて笑った。
324:創る名無しに見る名無し
19/12/06 12:02:14.10 AnKBC6a4.net
それだけなら「変わったひと」で済んだかもしれなかった。
しかしルーシェンは一朝だけで全員から嫌われた。
「あそこの茂みに何かいる」
と皆を緊張させ、動けなくしておいて、自分だけ鼻唄を唄いながら不器用な手つきで仕事をし、誰にも要領を聞かないので次々と不良染め物を生産した。
「おい、てめぇ」チョウが言いに行った。「仕事の邪魔しかしねーんなら帰れ」
するとルーシェンは悲しそうな顔を上げ、チョウに言った。
「ごめんね。ボク、ふざけてるつもりはないんだけど……」
その切実そうな美しい顔にチョウはどきりとして声を失った。ルーシェンは続けて言った。
「ボクの中に『ふざけ神』がいて、ふざけたことをさせるんだ。どうにもならないんだよ」
「てめぇ!」
チョウが怒声を上げかけた時、川の少し離れたところで大きな水音がした。
見るとパンダの子供が川に落ち、溺れている。
泳ぎに入ろうとしたチョウよりも先にルーシェンが動いた。足を4本の鹿の脚に変え、その長い脚で川の中を駆け出した。
その顔は真剣で、ひたむきな者のもつ美しさに満ちていた。
325:創る名無しに見る名無し
19/12/06 12:10:03.84 AnKBC6a4.net
パンダの子供を抱いて帰って来たルーシェンに、チョウは言った。
「とりあえずお前、仕事覚えろ。俺が要領教える」
ルーシェンはパンダの子を野に放つと、にっこり笑って言った。
「よろしく~」
あれからチョウはルーシェンのこと、だんだんと見る目を変えて、遂にはこんなに仲良くなっちゃったなぁ。
ユージンはそう思いながら、チョウの身体の中でルーシェンの背中に揺られていた。
「次は告白しなよ?」ルーシェンが振り返る。「せっかく譲ってやってんだからさ。実を言うと……ボクも椿のこと……好きなのに」
「ほ、本当に?」チョウが焦ったような声を出す。
「嘘だよ。今の顔~!」
「あっ……! くっ……!」
ユージンも会話に加わりたかった。
チョウの橙色の『気』がユージンの金色の光も、人間の匂いも頑なに隠していた。
326:創る名無しに見る名無し
19/12/06 12:22:31.90 AnKBC6a4.net
「なぜあんなことを教えた?」
メイファンは茶を飲みながら、クスノキの老人に言った。
「自然に反することをしようとしている椿は危険なんだろう?」
「あの子のしたいようにさせてやりたいのだ」老人は答えた。「儂にとって、あの子こそが正義だ」
よくわからん、と思いながらメイファンは黙った。
そして窓から見える『火』の町を眺める。
椿がしたのもよくわからない話だった。黒い調度品に姿を変えて聞いていたが、誰を生き返らせたいのかもわからなかった。
「さて」メイファンは茶を置いた。「そろそろ動くか」
「ならん。人間界に帰れる機会が来るまでここにいるのだ」
メイファンは老人の言葉を無視し、屋根の上に登った。
窓枠の額縁の取れた町はすべてが見渡せた。しかし祝融とやらの『気』は見当たらなかった。
「近くまで行くか。……しかし」メイファンは呟いた。「あれだけ目立つ金ピカの『気』がどこにも感じられねぇ。やはり死んだか」
327:創る名無しに見る名無し
19/12/06 14:42:47.48 AnKBC6a4.net
月が昇り、町は寝静まった。
夜が更けてもチョウは眠れず、蝋燭の明かりもつけずに、大きな窓の縁に座っていた。
窓枠に置いた鉢植えのモミジの葉に手を当てると、葉っぱが紅くなったり緑色に戻ったりを繰り返した。
「ぼく、先に寝ちゃうよ?」ユージンが言った。
「あぁ……」と言って顔を上げたチョウは動きを止める。
眼下の石畳の道を、音を殺して駆けて来る赤い髪が見えた。遠くてもチョウにはそれが誰なのか、すぐにわかった。
裸足のようだった。足音は聞こえないが、明らかに急いでいた。
赤い髪が真下を素通りしようとした時、チョウは大きな声を掛けた。
「おい椿、こんな夜中にどこ行くんだ?」
その声に身を震わせて椿は立ち止まった。
こちらを見上げて来る。その表情は遠い上に暗くてよく見えなかった。
何も言わなかった。暫く二人は遠い距離を置いて見つめ合っていた。
そしてすぐに椿は前を向くと、また音もなく深夜の石畳の道を急ぐように走り出した。
328:創る名無しに見る名無し
19/12/06 14:50:39.62 AnKBC6a4.net
「椿が……」チョウは呟いた。「俺に助けを求めてる」
そう言うなり、5階の窓から外へ飛び降りた。
「うわぁ!?」ユージンが悲鳴を上げた。
石畳に激突する直前で火をぶつけて衝撃を殺し、チョウは着地する。
「ななななに? こんなこと出来たの?」
騒ぐユージンに答える間もなくチョウは駆け出す。駆けながら答えた。「火事場のバカ力」
「む、無茶するな! 心臓止まるかと思ったろ」
赤い髪が遠くなっていた。見失わないよう、チョウはそれを追いかけた。
329:創る名無しに見る名無し
19/12/06 20:37:51.62 r661XIJf.net
椿は森へ入って行った。
真っ暗な森の中を駆けて行く。チョウに追えないスピードではなかったが、その暗さに何度か姿を見失った。
しかしまた赤い髪を遠くに見つけると、後を追いかけた。
「名前叫んだらいいのに」
ユージンがそう提案しても、チョウは無言で距離をとって追いかけ続けた。
そのうち本当に見失ってしまった。
チョウが途方に暮れながら歩いていると、森を抜けたところに丘があった。
そこに立って見渡すと、下ったところに港があり、ぼんやりとした明かりが見える。
「あそこか?」
330:創る名無しに見る名無し
19/12/07 05:52:57.12 Jk9WuIG3.net
近づくと、明かりは白い行灯だったとわかった。
港の先には様々な色を浮かべた『気』の海が広がっており、怪しげな船頭が小舟を着けて椿を待っている。
椿はたどたどしいジャンプをし、舟に飛び移ったところだった。
「待っ……!」
チョウは大声で呼び止めようとしたが、ちょうどその時『気』の海から神獣の麒麟が飛び出した。
麒麟の静かだが空気の震える滑空に、チョウの声はかき消され、椿を乗せた小舟は靄の中に見えなくなった。
「なんなんだろうね」ユージンが言った。
「これ……」チョウが言った。「霊婆(リンポー)の島に行く舟だ」
「霊婆? ……って?」
「死者の魂を司る仙人だ」
「魂?」
「何しに行ったんだろう」
331:創る名無しに見る名無し
19/12/07 10:03:09.46 +jYMDhuE.net
>>171-173
332:創る名無しに見る名無し
19/12/07 22:21:33.76 9RRIb4/d.net
月の位置からすると八刻(約二時間)以上は待った。
チョウが茂みに身を埋めて椿を待っていると、『気』の海を越えて舟が帰って来た。
椿はたどたどしいジャンプで舟から岸へ降りると、きょろきょろと辺りを見回し、人気を探った。
チョウを探しているのでないことは、その警戒するような仕草で明らかだった。
「何か……」チョウは身を隠したまま、ユージンに言った。「持って帰って来た」
ガラス瓶なのはわかった。中身が何なのかは想像もつかなかった。大事そうに胸に抱え、帰り道を歩き出す。
「食べ物かな」ユージンが言った。
チョウは答えずに、駆け出すと、来た道とは違う険しい森の中へ入って行く。
333:創る名無しに見る名無し
19/12/07 22:29:13.35 9RRIb4/d.net
近道を走り、チョウは自分の部屋へ戻る。
窓に腰掛けて待っていると、やがて椿が戻って来た。
チョウが窓から見つめる真下を素通りして行く。
チョウは声をかけなかった。
「なんか椿の秘密を知っちゃった気分だね」ユージンが小声で楽しそうに言う。
チョウは何も答えず、椿を見送った。
すぐにその後ろ姿は深夜の闇に包まれ、赤い髪もすぐに見えなくなったが、暫くの間、怒ったような顔をして見送っていた。
334:創る名無しに見る名無し
19/12/07 22:46:10.83 9RRIb4/d.net
「チョウ、おはよ」
珍しくルーシェンのほうが早く仕事に来ていた。理由はもちろんチョウが遅れたからだ。
「オス、ルー……」
チョウは何も言わずに仕事を始めた。昨夜の椿のことは何も言わなかった。
ユージンとも話し合い、誰にも言わないことに決めていた。
様子から察するに、椿は人に見られてはいけないことをしていたのだ。
しかしそれはチョウの知っている椿ではなかった。
良い子で、真面目で責任感があり、何でも相談に乗ってくれ、何でも打ち明けてくれる、それが椿だった。
深夜の町を泥棒のようにヒタヒタと走るなんておよそ椿のイメージとは程遠かった。
「ルー」
「何? チョウ」
「俺、仕事終わったら、一人で椿んとこ行って来る」
ルーシェンは飛び上がる勢いで喜び、言った。
「わかった。ボク、決して覗いたりしないからね。頑張れ!」
335:創る名無しに見る名無し
19/12/07 23:15:10 9RRIb4/d.net
【主な登場人物まとめ】
人間
・ユージン(李 玉金)……17歳の少年。性同一性障害。身体を持たない金色に光る『気』だけの存在。
口さえ開いていれば誰の身体にでも自由に入れる。また、入る身体がなければすぐに死んでしまう。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は海底世界で知り合ったチョウの中に住んでいる。
・椿(リー・チュン)……16歳の赤いおかっぱの少女。ユージンの妹だが、記憶を失くしている。
穏やかで真面目な性格だが、ユージンからは小うるさい奴と思われている。
大好きな義兄のランが日本から帰って来、うかれていたが、ランが渦潮に呑まれたのを助けようと海に飛び込み、自分も呑まれる。
海底世界へ落ち、クスノキの老人に助けられ、人間の記憶をすべて消される。
今では自分を海底世界の住人だと思っており、名門『樹の一族』の一員として薄紅色の『気』が使える。
・ラン(? 狼牙)……19歳。ユージンと椿の義兄。日本で格闘家デビューし、連戦連勝を重ね、そのアイドル性からスターとなる。
細身で格闘家とは思えないほど穏やかで優しく、謙虚。透明の『気』の使い手。
海で罠にかかっていた赤いイルカを助けた直後、渦潮に呑まれて絶命する。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたるが、頑なにおばさんと呼ぶのを禁止している。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。ランの母親を15年前に殺した。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとしてチェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
現在、メイファンが身体の中に入っている。
海底世界の住人
・チョウ……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。それゆえ不真面目な兄のことが許せない。
椿に恋してしまい、修行が手につかなくなっていたが、師匠の祝融に励まされ、再び修行を開始する。
ユージンを人間だと知りつつ自分の身体の中に住むことを許している。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
下半身を鹿に変えて、悪者を踏み潰したり人を背中に乗せて走ったり出来る。
スラリと背が高く、中性的な顔立ちに魅力的な2本の短い角を持ち、嘘さえつかなければ女の子にモテない要素はない。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中だが、やる気はない。
・クスノキの老人……森をさまよっていた椿が出会った白い長い髭の老人。医術と薬草を司る。
海底世界に迷い込んだ人間は殺され、赤い魚に転生させられることから椿をかばい、海底世界の住人に仕立てた。
見かけによらずアイドルオタク。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
336:創る名無しに見る名無し
19/12/07 23:42:26.45 9RRIb4/d.net
チョウは『樹の一族』の家にやって来た。家というより由緒ある建造物である。
中心に聳え立つ大樹を取り巻いて長い長い回廊が渡され、等間隔で設えられた階段で少しずつ上へ上がって行く作りになっている。
太い枝の彼方此方に建物があり、一族の者が住んでいる。
大樹の根元には巨大な洞があり、先日椿の成人の儀式はその中にある広間で執り行われた。
椿の家は一番高い所にある最も立派な赤い建物である。
チョウが回廊の始まりに立って見上げていると、後ろから椿の声がした。
「チョウ!」
振り向くと赤い旗袍を着た椿が手を振っている。
チョウは笑顔を浮かべると、ぶすっと頬を膨らせ、また少し笑うと、怒ったように椿を睨んだ。
337:創る名無しに見る名無し
19/12/07 23:49:29.88 9RRIb4/d.net
「何、その顔」椿は可笑しそうに言った。「新しい遊び? おもしろい」
「あのさ」チョウは結局怒ったような顔に固まり、言った。「話があって来た」
椿の笑顔がすっと消えた。
「何?」
「とりあえずお前の部屋で茶でも飲ませろ」
椿はじっとチョウの顔を見る。そして言った。
「駄目」
「は? 昨日は上がってけって言ったくせに……」
「散らかってるの」
「じゃ、ここでいいよ。あのな……」
椿はチョウの顔をじっと見たまま言葉を待った。
338:創る名無しに見る名無し
19/12/08 00:13:11 gF/KaFVk.net
「昨日、夜、どこ行ってたんだ?」
チョウが聞くと、椿はなんだか悲しそうな顔をし、目をそらした。
「なんか……」チョウはまっすぐ椿の顔を見ながら言った。「霊婆のとこ、行ってたよな?」
すると椿は勢いよく顔を上げて、詰るように言った。
「尾けてたの!?」
「心配だったからさ」
椿はすぐに顔を伏せた。
「椿」チョウは言った。「なんか一人で抱え込んでるんじゃないか?」
椿は顔を上げない。チョウは続けて言った。
「霊婆のとこに行くなんて、ただ事じゃないぜ。しかもあんなに人目を気にして……」
椿は黙っている。
「出来れば……出来ればさ、俺も巻き込んでくれ。俺のこと弟だって言ってくれたろ? 俺のほうが年上だけど……」
椿は顔を上げた。いつもの凛々しい目が弱々しくなっていた。
「チョウ」
「うん?」
「なんでもないの」
「……そうか」
チョウはくるりと背中を向けた。失望したような顔をしていた。
「わかった」とだけ言って歩き出したその背中に、椿が声を掛けた。
「チョウ!」
「なんだよ」
「やっぱり部屋に……お茶、飲んで行って」