18/01/11 02:22:48.13 msQs142D.net
モニは、一人称小説とか三人称小説とかをわかってないんじゃないか? 今までの指摘を、一般に言う一人称、三人称と捉えていたらさっぱり意味がわからないだろう。
そんなことあるわけない、と思うだろうが、どうもそんな気がしてならないのだ。
ググれ、と言えば簡単だろうが、ちょっと思うところがあるので述べさせてもらおう。
大体一人称小説というのがわかりにくいのだ。一人称小説にだって三人称の文はある。今回の作品では「長老が笑った。」だ(これだけだったw)。しかし、そんなことを言っても始まらないのであった。
平たく言えば一人称小説とは、登場人物が物語の地の文の語り手である、ということだろう。例え自分のことを名前で呼ぶ人が語り手であっても一人称小説なのだ。
景子は中学二年生だ。自分で言うのもなんだが割と可愛い。
わかりにくいのでやめた方がいいだろう。
一人称小説は登場人物が語るからこその制約がある。
語り手が思ったり、感じたり、知っていたり、見たり聞いたりしたことしか書けないのだ。また、地の文の語彙もその人物設定に合わせなければならないだろう。
ということは、語り手自身の表情や外見を描写することが難しくなるのだ。
顔立ちや服装なら書こうと思えば書けるだろう。顔は鏡で毎日見ているだろうし、服も普通は自分で着たものだろう。しかし、タイミングが難しいのだ。シリアスなものだと特に書きにくい。コミカルなものならいいかな?
今回の件は、「濁った目」が、うつろで、どんよりした、昏い目、を外から見たような表記になっているということだろう。もし、農業が上手くいかなくてしょんぼりしていた主人公が弟子入りして元気になってスキップしながらウチに戻った、ということならよくないだろう。
いろいろ表現を変えたようだが、そもそも「濁った目」というのは上記のようなことなのだろうか? アシタカがユバーバに言われた「曇りなき眼」の反対だろうか? 偏見で村人と付き合わなかったけど改心した、みたいな?
どちらにしろあまりいいとは思えない。内面から捉えるか、もっと工夫すべきだ。しょんぼりは思いつかないので「曇りなき眼」なら、
「ずっと濁っていた私の目は今やすっかり全てを見通せるようになった。彼らは無学な田舎者などではないのだ。私は晴れ晴れとした気持ちでスキップしながら自宅へと向かった。」
あまり上手くはないがこんな感じだろうか? え? スキップはいらない?
あと、「遠く」の風車が「ガタンゴトン」というのはどうか。
思うところというのはよく考えたら一人称小説に限ったことじゃなかった。
登場人物のセリフである。>>3の中の「出頭」と「自首」だけど、セリフは登場人物のものだ。それに正確性を求めるのはおかしいと思うのだ。その人物の知識に基づいて選択していいと思うし、そうすべきだろう。
しかし、作者が間違っているとか、知らないと思われるのはシャクだ。賞に応募してそのことで落とされたりするかもしれない。しないと信じたいけど。
三人称小説ならその辺の解説を入れることもできるだろう。しかし、一人称小説で語り手のセリフならそれも出来ない。後半に刑事から説明させようか。でもそこまで読んでくれるかわからない。
そんな感じ。