12/11/13 20:15:37.76 K5CzpPX7.net
>>494
既に解決済みと思いますが、乗務員区としてではなく機関車在籍区としては昭和38年度が最後のようです
(翌年昭和39年、1964年4月1日付けの動力車配置表上記載なし)。
昭和38年4月1日現在の同区配置車は、
C5924△ 25△ (いずれも同年11月5日付け廃車)
C1110 29 36 49 95 125 131 365
(10は翌年4月1日現在 竜華区、残りは全て門司区に年度内に移動 時期不明)
乗務員は門司区のSL・DL・EL乗務を継続したものと思われます。
(高島貨物線の横浜区の乗務員が新鶴見区のD51や品川区のDD13に乗務したのと同様)
当時は合理化運動の草創期で、文句のでない機械を集約管理することが本格化した時期でした。
労組がうるさくない地域では××線管理所とか運転区といった組織集約化自体も始まった時代です。