11/04/05 23:34:39.59 sQAI9giU.net
>>275
韓信、彭越、英布は有名なので別にいいよね……?
張耳でもいいけど今回は、知っているつもりだけど意外と知らない韓王信の列伝いきます
間違い・細かい所は省略しているので、質問・ツッコミ推奨
韓王信(~BC196)
韓襄王の孫。身長は八尺五寸(だいたい185cm。項羽より背が高い)
【挙兵】
挙兵は意外に遅く、劉邦の旧韓平定時に張良に見出されたのがきっかけ。
公族だけど、そこまで大した身分ではなかったようである。
劉邦が漢中王に左遷されると韓に帰らず、劉邦に従ってそのまま漢中へ。
【新史記第一巻スタート時】
漢中では劉邦に関中侵攻を献言。同時期、韓王・韓成が項羽に殺されたので、
韓を平定できたら韓王に、という約束で韓の大尉に昇進。
劉邦が彭城に向けて出撃すると、韓王・鄭昌を撃破して韓を平定。約束どおり韓王になる。
劉邦が建てた初の王だった。以後、韓軍を率いることになる。
彭城の戦いで、漢連合56万が惨敗すると、榮陽を死守。
このとき守備軍に韓信に打ち破られたもと西魏王・魏豹も合流するが、
信用できないということで処刑している。
韓王信や周苛(新史記では出てこない)の必死の防衛も虚しく、榮陽は陥落。
韓王信は項羽に捕まる。が、隙をついて脱走。再び韓王に。
【新史記第二巻スタート時】
特に記述なし。劉邦に従って広武山で死闘を繰り広げていたと思われる。
【項羽滅亡後】
劉邦即位後、匈奴への対策から、韓から代に遷される(国名は以前、韓。都は晋陽)。
圧倒的な匈奴に苦戦を強いられ、更には親征してきた劉邦に疑われ、匈奴に降る
(余談ながらこのときの親征で、劉邦は平城で危うく死に掛けることになる)。
以後、匈奴に従って漢を攻めるが、BC195年、柴武【第二巻韓拡張に出てくる韓の将軍】に
参合【代の近く】包囲され、降伏するよう呼びかけられるが謝絶。柴武に斬られ戦死。
子供は文帝の時代に漢に帰順。子孫は断絶、封爵を繰り返しながら王莽の時代まで続いた。
新史記での能力値
計略2、外交2
計略2、外交3(司令官補正)
索敵3、戦術2、謀略3、兵数10,000