08/10/05 20:25:02 dsg7lFmD.net
実は日本語に道徳という言葉しかなかったから道徳がくずれたのかもしれない
もののあり方、家族はどうあるべきかとか、会社はどうあるべきかとかテレビはどうあるべきかということは
「道徳」という言葉の言い方はしない。
けれど、道徳という言い方はしなくても、そのもののあり方としてよくないことをやったら
人間の道徳の方もくずれてしまう
今テレビで柔道やってるけど、柔道選手が畳の上でうおおと吠えたり、ガッツポーズで露骨に喜んでたりして、
柔道的な礼儀が日本人からうしなわれている。
そして案の定そういう若者は道徳的にいぶかしむようなところのある若者になってる。
北京オリンピックの金メダリストの石井は、
日本の柔道なんて終わった、世界のJUDOをするべきだなんて言ってて、
柔道のあり方をどうとも思わない発言してるけど、
案の定、平素の発言からしてこいつ自身は道徳的におかしな人間である。
けど、柔道というもののあり方にどうでもいい態度を取ることを、「道徳」という言葉を使って表現できない。
もののあり方を問うときには道徳という言い方は合わない。
しかし人間社会は常にもののあり方を問うことをしなければならないんだけど、
その度に変なことする奴がいても「道徳」という言葉しかなかったから反証できなかったんじゃないか