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彼はもともと東京大学医学部、否、理三入試以外には興味がなかったのだ。
平成8年に新御三家の巣鴨高校を卒業、理三を目指して2年を浪人に費やすが、惜しくも不合格。
平成10年に併願していた慶應義塾大学理工学部に入学する。
勉学意欲が出ないものの、6年かけて課程を修めることができて平成16年に卒業になる。
卒業しても大学院にも行かず、就職する気も起きなかった。
彼は医学部、否、東大理三への未練を断ちがたかったのである。
圧倒的な入試突破能力を生かして、理三には届かないものの、信州大学医学部、名古屋大学医学部に続々入学。
しかし、本意ではない大学では勉学意欲が出ないまま、無勉のまま試験を受けての不合格を繰り返し、二校とも退学となった。
しかし、だからこそ、彼は理三を目指して進み続けるのである。