世界最強の男at BUDOU
   世界最強の男 - 暇つぶし2ch50:名無しさん@一本勝ち
24/04/04 14:25:09.60 Jdmo86v00.net
幼稚ではあるけどロマンに満ちていて良い文章だよな

51:名無しさん@一本勝ち
24/04/04 19:16:39.11 ZAPFLzpd0.net
初代、北斗神拳、シュケンは、
禅定ができるのである。
ケンシロウは、禅定をしてはいない。
ケンシロウは、禅定をしないのである。
それは、なぜなのかわからない。
ケンシロウは禅定したほうが、さらに北斗神拳が強くなる感じが
するのだが、禅定はしない。
北斗一子相伝者ケンシロウの場合、
雑念が湧いて払いよけようとしなくても、
放置しておけば自然に消えるのだろう。
そして消えた段階でもとへ戻ればよいのだろう。
ケンシロウは、雑念が生じた時間までを加えて
全体を北斗神拳禅定としているのかもしれない。

52:名無しさん@一本勝ち
24/04/06 12:08:57.87 dS6A6d3v0.net
武板でマンガ評論されても困るけどね

53:名無しさん@一本勝ち
24/04/06 21:27:14.07 9o9KmgYk0.net
何者からも拘束を受けることなく、
北斗神拳神のみこころのまゝに秘孔をつくことに他ならない。
そして一子相伝者の心が、
天地自然の呼吸に感応したとき、感謝の気持が昂揚し、
感激はさらに北斗神の啓示として、新しい奥義を授かる。
かくて北斗神拳の神より与えられた北斗神拳の使命に目ざめて、
秘孔を開発し、錬成七日で完成させる。

54:名無しさん@一本勝ち
24/04/11 14:12:10.69 byTMj53e0.net
ケンシロウは、観念の瞑想はしない。
北斗神拳一子相伝者でない人間たちの多くは、
知らず識らずのうちに、観念の瞑想に陥っているので、
思わざるときに、一念の形象拳が溶け出すのである。
それは観念を集中する結果、不測の心理が起こることになるからである。
だから、心も体も絶対に、北斗奥義をくりだすときに使ってはならない。
究極の北斗奥義は、心も体も絶対に使ってはならない。
祈りを念唱することさえも観念を使っていることになる。
集中型の瞑想しか知らない人間にとってはどうしてよいか分からない。
北斗の拳は、ただ空間の絶大なる力によって、気の集中を体外に引き出すのである。
その瞬時も観念や想念を行使してはいけない。ただ北斗の神に全託の心境で
気の集中が空間に出るのを待つのみ。

55:名無しさん@一本勝ち
24/04/17 01:51:46.35 0Czkmr3n0.net
ケンシロウの指力は、気が集中している。
神仙では、
人間の体の中に、三匹の虫が住んでいると考えれている。
上丹田、中丹田、下丹田があって、それぞれに
一匹ずつ虫が住んでいる。
虫は外へ出たいがために人体を食い破る。
それならば身中の虫の気を抜こうと考えた。
三匹の虫を直接攻撃する方法は、
深山幽谷の精にあふれた空気を吸い込むことである。
空気を直接体内深く注入すれば三匹の虫は滅することができる。
仙人は、空気の取り入れ方を模索した。
劉金という仙人は、吸った空気を三日間も出さずに体内に留める
ことができた。
ケンシロウは、北斗式留息法を体得している。

56:名無しさん@一本勝ち
24/04/19 03:04:14.95 hvzUAdmV0.net
北斗神拳とは、気配の武技だと考える。
相手の本体を倒すのではなくて、相手の気配に対して、
自分の気配の拳を打つ。
相手の気配を倒しているのである。
敵対する相手は、肉体ではなく、敵対する速度形態の固まりである。
ケンシロウの拳は、速度形態の凝固したものである。
ラオウの拳の速度形態の固と、ケンシロウの拳の速度形態の固の
衝突。
北斗神拳の拳とは、速度形態が拳になっている。
魂が速度を有する。
拳を突き出す肩からの筋力が速度を有するのではない。
それは拳の速度形態ではない。
北斗の拳は、魂より速度が生ずる。
拳の速度形態が、空間に流れ込む。拳の速度形態が空間に流れ込む状態が気配である。
相手の気配に対して、気配の拳を打つ。
相手の肉体に対して、肉体の力による拳を打ってはならない。
ケンシロウの打つ拳は、気配の拳である。相手の気配に対して、魂より生ずる拳を打つとき、
速度差が気であり、北斗の神が動いたと考える。

57:名無しさん@一本勝ち
24/04/20 01:59:32.36 ZvkXXWdV0.net
ggg

58:名無しさん@一本勝ち
24/04/20 18:44:10.32 BYvGKYPJ0.net
ケンシロウがラオウと決着をつけるとき、
特になにも意識していない。
早く打たなければならないとか、あまり対策的な
ことは語っていない。夜空の星の輝きをみて、
北斗が語るメッセージを受け取るだけ。
ラオウと戦うとき、早く打つというレベルでは、
対応できないと考える。
打った後に次の拳が飛んでくる状態なのである。
意識の前に意識を飛ばしていくしかない状態である。
宇宙空間を高速で飛ぶと、われわれのまわりはすべて虹の世界に見えるだろう。
ケンシロウもラオウも、目に映るのは、虹だけなのかもしれない。
もしくは、光の線と光の点の世界。
その世界の中で、お互いの拳をぶつけあっている。
ロケットが星の横、またはそばを通過するときは、星の引力のため、光が曲がりドップラー効果によって
星が細い葉のようにみえる。
ケンシロウもラオウも、極限の戦いの中では、光が細い葉のように見えて、
そこを目がけて、北斗の拳を打っているのかもしれない。

59:名無しさん@一本勝ち
24/04/30 13:28:04.50 4qvwB6PF0.net
ラオウもケンシロウも
北斗の星と会話する術を持っているのである。
北斗神拳の拳を使えても、北斗の輝きで、その言葉を読むことができなければならない。
昔の星を見る人の衣服は、火のなかに投げ入れても、燃えなかったというエピソードがある。
火は星を見る人の衣服を包みこむ。ところが衣服はまったく焼けていなかった。
火に触れたとは思えないほどだった。
火も星を見る人の衣服を燃やすことができない。これこそまぎれもない神話である。
一子相伝、ケンシロウの持つヌンチャクは火に燃えないだろう。

60:名無しさん@一本勝ち
24/04/30 17:55:31.24 4qvwB6PF0.net
体の全体に北斗の化身を溶かす。
意識が空間に出るのを待つ
空間の絶大なる力によって北斗の化身を体外に引き出す。
この場合も観念や想念を行使してはいけない。
ただ北斗の神に全託する心境で、北斗の化身が空間に出るのを待つだけである。
余り神秘的に考えすぎてはいけない。
私たちいにしえの武芸家は睡眠中、知らないうちに北斗の化身は空間に出ている。
眠っているからそのことが、自覚されないだけのことである。

61:名無しさん@一本勝ち
24/05/01 01:47:01.57 rE0HuD8V0.net
陰陽交叉
火は鑚(き)るものであるから、ヒキリ。
水は垂れるものであるからミタリ。

62:名無しさん@一本勝ち
24/05/01 05:55:42.86 rE0HuD8V0.net
湯治は、温泉につかることで治す。
体表が湯に含有する電気を補足する。
ケンシロウは、気流の電気を拳に補足する。

63:名無しさん@一本勝ち
24/05/01 15:18:37.45 rE0HuD8V0.net
降りて来た神さまによって、人間の耳に聴こえてくる
音色が変わると言われている。
ケンシロウが登場してきたときの音色は、
まさしく北斗の神である。

64:名無しさん@一本勝ち
24/05/06 11:28:15.61 Dd1HzkXm0.net
北斗神拳とは元来、何の計らいもなく、
念すらも用いず、
何の野心もない心がけで攻守するものである。
北斗の技とは、北斗七星から来たる根源の世界からの力である。
北斗七星との交流における武技である。
北斗七星の力は、人間の強引な念で引き出せるものではない。
ラオウのパワーは、
隆々と榮て絶頂にまで達していたと思われる事態が、一挙に崩れる。
ラオウの力は、故意に北斗神拳を無理に発動させるところが見られたりする。
ケンシロウの北斗神拳の誘起は、自然発動である。

65:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 01:54:28.94 ZdCurl3y0.net
何でそんなマンガの世界を騙れるのか分からん
マンガのキャラを離れて語られれば
それなりに気を魅かれる内容もあるのに

66:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 05:11:19.35 8Tr4qTUC0.net
スレッドのタイトルが、世界最強の男だから、
北斗神拳について書いている。
ゴールデン・チャイルドという映画だったかな。
小さい子供が、鳥かごの中に入れられて、
葉っぱだけをかじって、生きている。
神に近い人間は、なにも食べないでも生きていける。
ケンシロウも、水を一口しめらせただけで、力がわいてくる。
神人といえる人間が存在する。
特別の使命を帯びて人間界に現われた神人は、その使命を全うする。
神人とは、素直さ、屈託のなさ、無私の心、大の男をまかしてしまうほどの大力の持主であること。

67:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 09:04:14.25 i0YQrEQz0.net
だからと言ってフィクションの人間について書いても仕方ないのでは?

68:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 15:52:36.87 8Tr4qTUC0.net
ジークンドーとMMAを語るスレ
スレリンク(budou板)
この続きで書いている。

69:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 20:40:35.85 kakbYtbo0.net
でもせめて現実の人間と
現実にある武術なりの技で言及しないと
君以外の人にとっては
何の意味もなくね?
どうしても君のフィクションの趣味に走りたい
と言うのであれば仕方ないから止めないけど

70:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 21:40:08.48 8Tr4qTUC0.net
>現実にある武術なりの技で言及しないと
これは大事だと思う。
いろいろと武術の動画を見ているけど、
自分の知っている武術は、まったく同じ動きは出てこない。
この動きを教えている武道家の先生は、動画では見たことがない。
大山倍達はあらゆる格闘技を求めて世界を旅をしていた。
大山の人生で、一度だけ負けたことがあるらしい。
大山は、柔道を習いに行ったら、一日で道場の先生になってしまうくらい強かったと言っている。
とにかく全ての格闘家と戦い、常に大山カラテで勝ってきた。
昭和の武蔵になる、カラテの武蔵になると言っていた。
しかし昭和の武蔵になれなかった。唯一、負けたのである。
相手と向きあって、いくら拳をついても、スッといなくなる。

71:名無しさん@一本勝ち
24/05/07 21:44:18.01 8Tr4qTUC0.net
それもあわてて移動するのではなくて、円を描くようにスルスルと移動しながらかわす。
こっちは、一拳の思いで突くのに、当たらない。時間だけがすぎていく。
そして、大山は負けましたと言い、お互いの手を握り合ったらしい。
それから大山は、円を描いて点を突く大山カラテを編み出したと言っていた。
ただ逃げるのではなく、円を描くようにかわす。あの大山のツキを何度もかわすことができるその動き。
これがよくわからない。これを考えると、この部屋のどこに金庫を隠しているのだと言うと、
たいていは、金庫のない方向を一瞬目をやる。つまり、目の方向にないところに金庫があるということである。
達人は、多分、その逆で、大山の目で、どこに拳をついてくるかそれを察知する力があったのだと
思われる。大山のビール瓶の口を一瞬できる拳を、目だけでよけれるようになったら、その逆もできるのだろう。
まず、この円を描く動きを体得することが、最初の一歩かもしれない。石井が急所を狙うとき、相手に自分の目を読まれないようにして打っているから、
当たるのだろう。

72:名無しさん@一本勝ち
24/05/08 09:45:20.33 fUgrN27Z0.net
大山カラテの動きって実際に、そんなに円を描いてるのだろうか?

73:名無しさん@一本勝ち
24/05/08 16:43:30.60 VaqAitcQ0.net
円を描く。ボクサーみたいに□みたいな感じで戦ったり、追い込まれては
だめなのである。〇を描いて、点でつくみたいな感じである。
緑健児の場合、右上段回しけりを出して、その右足を軸にして、即座に左上段回しけりをする。
右上段回しけりをして、次も回しけりをしたり、突きを出すのでなくて、
回転させた足を軸足ににして、時間を置かないで、もう一つの足で回しけりをくりだす。
ある意味で円を描いている。大山は、海岸で10分ほど生徒に練習させていたが、みんなすぐに砂浜に
倒れていた。それほど取得することが難しい。
もう一つは攻防をしながら円を描いて、スタート地点にもどってきたときに、決め技で相手を倒す。
大山カラテは華麗でなければならないよと言っているのだが、
最初に戦いが始まった地点に、あれこれと攻防しつつ、ちょうど戦いが始まった地点に相手が
来たときに、そこで倒す。ここまでしなさいと大山は言っていた。
ただ、世界チャンピオンを三連続を続けてもだめ。さらにスタート地点で相手を倒す。
そこまでしなければ、大山カラテのチャンピオンとは呼べない。
ある意味で、円を描くことはできていないが、円周を描きながらの点でつくみたいなイメージである。
ある映画を見ていたら、一人が炎で円周を作り、その中で二人のカンフーが戦うシーンを見た。

74:名無しさん@一本勝ち
24/05/09 03:26:43.44 C1hOu1zJ0.net
>最初に戦いが始まった地点に、あれこれと攻防しつつ、ちょうど戦いが始まった地点に相手が
来たときに、そこで倒す。ここまでしなさいと大山は言っていた。
何故そんなことをする必要が?

75:名無しさん@一本勝ち
24/05/09 04:58:34.40 a2CLqL5k0.net
ケンカ、喧嘩、ケンカとは華(はな)なりと言うらしい。
花田兄弟が、道端に棒で円を描いて、この中でならケンカをしてやると言い、
花田の花は、ケンカの花であると言っていた。
つまり、格闘とは、格闘道、けんか道、そして道において、華麗な花がなければならない。
相手を倒して、相手が倒れ、相手が復讐してやろうと思わせるようなケンカはケンカでない
らしい。ケンカが終って、相手が、コイツと戦って良かった思わせるような
余情、余韻がなければいけない。
余情、余韻を相手の後ろ姿を見て感じるから、ストリートの数を増やしていくことができる。
多分、ヒクソンが500回もストリートで勝てたのは、ストリートの余情、余韻を相手が感じたからだと
思う。くるくる移動の攻防しながら、気が付いたらスタート地点で決める。
戦いには、余情、余韻があってこそ、ケンカの極意だそうである。
ただケンカに勝ったではだめで、相手が余情、余韻を感じてこそ、伝説のストリートになるのだと思う。

76:名無しさん@一本勝ち
24/05/11 04:37:54.11 wM60XdCW0.net
北斗神拳は、考えれば考えるほど難しい。
人体自体が、五層の世界をあらわしているらしい。
胸の当たりの構えは、狭義のやや人間界よりやや下の世界らしい。
構えが腹の当たりにになると、それは地下の世界をあらわしている。
顎より下は、神界より下の世界。
だからそのあたりで構えてもみても北斗の神の世界へ通じるはずはない。
北斗相伝者は、サッーと両手が上に挙げられる構えとなってしまう。
それこそ相伝者は咄嗟のうちにである。
この辺にも天地人の摂理が働いている。
そこで一般の武芸の構えは、北斗の境地を表わしていないということになるらしい。
達人が、思わず両腕が頭上に挙げられる場合は、原理は同じである。
胸の当たりの構えでは、北斗の志向は、北斗の神に届かないのである。

77:名無しさん@一本勝ち
24/05/11 12:20:24.34 hV5ukc8v0.net
>>75
良いんだの余剰だのそんなのは妄想の世界じゃないか?

>>76
そりゃ実在しない拳法の事を考えるのは難しいわな

78:名無しさん@一本勝ち
24/05/11 20:04:30.19 wM60XdCW0.net
井上尚弥が、ゴングが鳴っていきなり飛び出して、顔にパンチが当たり、
ダウンしていた。
もう一度、そのパンチを出してみろと言われても、相手の選手ネリは
再現はできない。世界中の観客が、もう一度、そのネリ・パンチを再現しろと応援していたが、
出ないまま試合が終わってしまった。再現できない突きという技の存在もある。
再現できない技だからといって、想像ともいえない。
再現できない技を達人は磨いている。
井上は再現できるはずがない再現井上パンチを出していた。

79:名無しさん@一本勝ち
24/05/11 20:30:18.80 wM60XdCW0.net
松尾芭蕉なんて、伊賀の忍者で旅をしながら、俳句も歌っていた。
能=アクロバットというより、能=神事。
オペラやミュージカルとは全く違う。
囃子方(はやしかた)は「囃(はや)すは「生やす」に通じる。
何もないところに、何かを生じさせる。
それが生やす人=囃子方の役割である。
空(くう)なる場にエネルギーを呼び込み、達人は、
さらにそのエネルギーを活性化させることによって、戦い全体をグループ
させる。
返せや返せ。昔の秋を。今宵の秋風、身にしみじみと、
恋しき昔 忍ばしきは閶浮の
秋よ友よと、思ひ居れば、
夜も既にしらしらと
はやあさまにもなりぬれば

80:名無しさん@一本勝ち
24/05/13 20:43:00.54 bg98zdhO0.net
北斗の神は、ケンシロウを思想的に絶体絶命の窮地に追い込むことになった。
ここに、ケンシロウは韜晦者(とうかいしゃ)たらざるを得なかった直接の理由を
見出すのである。ケンシロウの韜晦は完全に成功し、彼の思想的危機は誰にも気づかれる
ことなく現代にいたる。では彼は何故自己の理想を韜晦せざるを得なかったのであろうか。
200X世紀末という時点における、ラオウ、ケンシロウという、
それぞれ強大な体系を背負い、相互に親和と反発の不思議な縁で結ばれた二人の偉大な思想家、そして
武芸家の置かれた状況を一瞥しなければならない。
ラオウとの戦いによって、ケンシロウは、一躍新時代の武芸の中心に位置を占めることになる。
ケンシロウは、神拳創始以来の七乗と一乗の観照主義の北斗武技を身にまとった。

81:名無しさん@一本勝ち
24/05/19 18:52:40.45 vBhOn7N10.net
カタカムナによると、
ケ=放出、十字の左上に小円、右下に小円。
ン=タテ線に小円一つの図象で、現行カタカナ文字の原型であることを示している。
  小円は、イ・シ・ソの図象と同じ位置であり、タテ線はそれが発生するキワの存在を示している。
  ンは他の四十七の声音のすべてにつけて、「アン・イン・ウン...」のように言葉をつくることができる声音である。
  そこでンは他の四十七の声音に抽象される状態を発生させるということから、起励力を示すのがンの思念である。
シ=大円の左半球(現象系を示す)一個の小円で作られ、小円の位置がイ、ソ、ンと同じポイント
  にあることから、シの思念がわかる。シめす(示す)のシであり、示されたもの、示しているヌシを表わしている
  思念がある。
ロ=空間、抜ける。タテ線に左下に小円と右上に小円。トコロ=空間、トキ=時間。
ウ=上半円と十字象と小円一個でつくられている。上半円は現象界を表わし、十字はカムウツシやアマウツシ、
  すなわちカムやアマのチカラが潜象世界から現象世界に現われることを示す。
  小円の位置がミ・チ・ラの図象と同じ位置にあることから、ウは潜象から現象にものが発生する状態を
  とらえたのがウの思念である。すなわち生まれるのウである。

82:名無しさん@一本勝ち
24/05/24 19:59:44.90 j5C/RoBK0.net
時間という把握不可能なエネルギー物質が、
我々の世界に現象化したものが、拳の先の力である。
拳の先の力が、我々の世界の中に表れた時間の文(もん)である。
想念の世界に存在しているものは、その想念を降す。
北斗の神界に存在している神拳の技は、その神拳の技を我々の世界に降す。

83:名無しさん@一本勝ち
24/05/25 20:02:04.49 /QE5znPw0.net
いろいろとあるのだけど、
まあ、ベルトも一つの威嚇することができる。
囲まれた場合、自分のベルトをはずして、
ベルトの両端をもち、ベルトを引っ張ると、バシッと音がする。
その音だけで、目の前の集団は、一瞬で理解する。
わかると思うけど、ベルトの両端を引っ張る音だけで、相手は理解する。
次の段階として、ベルトの片方の力を抜いて、垂らす。
そして、伸びたベルト一本の端を持ちながら、叩く。例えば、机とか、柱とか、地面。
その音だけで、さらにビビル。つまり、拳をいちいち突き出さなくても、
ベルトのしなる音だけで、その響きだけで、相手はイメージができてしまうのである。
やばい場合は、ベルトが頬(ほほ)に当たれば、確実に肉片は飛び散ることがイメージできてしまう。
競馬の騎手が、尻を叩いているが、あれって、人間がやられると、肉片が飛ぶし、紫色に変色する。
北斗神拳の使い手が、その拳にベルトを持てば、神速ベルトになり、さらに進化、変化を遂げて行く。
一例である。わかると思うけど、柔らかいゴムの方で、相手を叩く。
そら鉄の部分は、手に持つ側である。一瞬で、ベルトの先を、思った箇所に当てる技術がある。
つまりボクサーでも一撃である。そのベルトの速度は、目に見えない。

84:名無しさん@一本勝ち
24/05/28 11:21:51.40 7F0ls0qf0.net
ラオウもトキも
北斗七星こそ北斗神拳だと、北斗七星を固定してかんがえているのかもしれない。
北斗七星はS∽北斗七星なのである。
ある意味で、トキ、ラオウこそ北斗神拳の純粋北斗伝承者なのかもしれない。
北斗七星を固定しているからである。
しかし北斗はS∽渦回転している。
逆北斗S∽渦回転も同時にしているのである。反転回転している北斗神拳も存在している。
その場合、1→2→3→4→5→6→7と同時に7→6→5→4→3→2→1
と増数、減数の北斗の術を同時に使っている。
北斗七星は、同時に北斗八星であり、同時に北斗九星であり、備時に、北斗一星の拳でもあるのである。
ケンシロウ以外は、輪廻型北斗が使えないのは、この観念にあるのかもしれない。
これは七の拳だと受けたのが、実は逆七の数字の拳を受けていたのである。
ケンシロウは、ラオウの正七神拳の突きを、ケンシロウは渦逆七拳受けで受けていた。
つまり、ブランコの揺れが、最大位置に来た途端、流れが反転するように、
ケンシロウの七拳が、最大位置に来た途端に、反転七拳に変わるように秘孔を

85:名無しさん@一本勝ち
24/05/28 11:23:03.00 7F0ls0qf0.net
打っているのである。ブランコが力が反転する瞬間、力はゼロ量である。
そこを突くゼロと突かれるゼロの点において秘孔を目指す。
しかしケンシロウが突いた腕を急いで引き戻す腕の流れは、実は、逆七ではなく、
正七の拳なのである。引いているのではなく、突いている。突いているのではなく、引く渦逆渦なのである。
相手は秘孔を突かれ、その後の時間は正時間の流れのため痛みを感じない。
しかしケンシロウの突きは、逆七秘孔なので、逆渦時間の流れのため、痛みを感じない後の痛み化とする。
それにおいて、完全破壊の拳化が可能となった。12の反対は6なので6の拳。
7の反対は、1なので1時の拳である。5の拳は、11時の拳となる。11時の拳を受けたと思った時は、
それは5時の時空間の拳である。ケンシロウの北斗は、渦S∽北斗なのだろう。

86:名無しさん@一本勝ち
24/05/29 20:15:33.41 oszuzh2g0.net
西坂祐瑞の「内臓洗練法」がいいのかもしれない。
西坂師は身体の反応に注意して行なった。
その結果、漠然と身体の各部に軟酥のエッセンスが滲みこむ様を
イメージするよりも、各内臓を上から順に、その部位と形を
はっきりとイメージしたほうが効果が上がることを発見したのである。
この近代解剖学的な軟酥法に、彼は内臓洗練法と名づけた。
つぎに、西坂は、こころの座である識心から身体各部にイメージを送ると、
それがあたかも波動が伝播するように伝わることから、その波動を識波と呼んだのである。
順序を立てて識波の外科的手術を試みた。
刃物を強くイメージ波動が肺尖から下部に向け肺臓を貫くように閃送した。
イメージ上の刃物が鋭く激しく肺を切り刻むように観念するとともに、内臓洗練法も適時実行した。
息を吸うと同時に識心を集中、息を吐く動作に移る瞬間、イイッという思いで集中しsた識心の
波動を勢いよく患部の中心に瞬間的に貫通させる。
識心の波動(識波)を鋭い刃物であるとイメージし、その刃物が患部を貫くさまを同時にイメージする。
イメージの刃物の選択は経験によるが、イメージのメスで切り裂き、イメージのミシン針でぬい、イメージのノミで貫くなど。
刃物の先端を下に向けること。
ただし、関節炎、傷、肺疾患などは観念のみ行ない安静を守ること。
西坂式北斗秘孔をすればいいのかもしれない。
つまり、秘孔をついた後、イメージのミシン針で傷口を縫ってあげるところまでイメージをしてあげなければ
ならない。これが西坂式みたいである。

87:名無しさん@一本勝ち
24/06/07 20:41:54.48 WowrXR6G0.net


北斗神拳伝承者とは、一陽来復の武技なのだろう。
☷+☳ 最後に、秘孔をつく。

88:名無しさん@一本勝ち
24/06/08 21:20:28.09 4XIwtinz0.net


火の始めとしての、拳をつく。
火気復活としての、右ふとももにけり。
火気再生として、にぎりをやや柔らかくする。
火気発生として、秘孔をつく。
火の法則を巧みに操って祭り(武技)をする。
火気再生を促し、火気の再生を祈る北斗神拳。
神界では、人間は呼吸するのだろうか。
ある器官について説明してみたい。喉頭と気管を取り上げてみる。
私たちは気管で絶えず空気を吸ったり、吐いたりしている。
このような活動を人間はしている。
空気は絶えず喉頭をとおって、外からなかに入ってくる。
神界の中に存在する達人は、体の中に入ってくる空気は、
いつも神的なものと結びつく。
神界で生活する人間の呼吸は、今日の体に適した形態をうしないます。
そうして、達人は神界的なものすべてを、より高次の、神化された形態へと
変化させる力を有する。肉体的な喉頭がなくなったあと、
空気を吸わなくて、神界を歩くのである。
神界での生活では、人間は、呼吸をしているようで、呼吸をしなくても生活ができるのである。
北斗神拳の一子相伝者は、呼吸をしなくても北斗神拳を使うことが地上でできるのではないかと
考える。ラオウは、息をしているが、ケンシロウは呼吸をしているようで、実は、
神界的喉頭をもっているため、息を吸ったり、吐いたりしなくても、強烈な秘孔を打つことができる。
火の始めとしての、拳つく。

89:名無しさん@一本勝ち
24/06/09 10:57:45.40 L76wHjwx0.net
URLリンク(www.youtube.com)

90:名無しさん@一本勝ち
24/06/13 19:05:46.15 X5h1Bvlt0.net
宮本武蔵は、お茶漬けを食べながら、
そのハシで、飛んでいる虫をはさんだと言っている。
これは、どういうことなのだろうか。
このような練習を、武蔵はしていないはずである。
練習をしていないが、自然に出来るのだろう。
ものすごい精密で、スピードあるということなのだろう。
お茶漬けの米一粒一粒をハシでよそいながら山をつくる。
普通は、米をかき集めながら、一気に山をハシの上につくるのだが、
武蔵は、茶碗の中の米が、移動していると想定し、一粒一粒を一瞬ではさみながら、山にしながら、
そのご飯を口元に運ぶ。山から口にするのではなく、一粒から山にして、口に入れているみたいだ。
これを北斗神拳で考えると、敵に囲まれても、
一粒、一粒大事にしていく感じなのかもしれない。

91:名無しさん@一本勝ち
24/06/21 03:29:28.69 uqmIpDZZ0.net
神拳とは、
人の悟(さとり)をうる、
水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。

北斗神拳で秘孔をつくとは、
自分のあり方を視つめるということである。
自分のあり方を視つめるというのは、
自分をわすれることである。
自分をわすれるというのは、自分の本来のあり方が、
実は意識以前の存在だということを知るためである。
そのときはじめて北斗神拳は生きてくる。

すなわち、神拳と名づけるゆえんである。
打つ、突く、踏み込む、こうした感覚的な確実性から、いろいろな意識の段階を経て、
絶対知の最も高い段階に至るまでの精神の展開、あるいは発展過程、これが北斗神拳である。


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