21/05/13 06:49:58.08 dL0DAxwQ0.net
テッド氏との練習が記録されたスケジュール帳一冊の内容がどれほどのページ数かは詳しく分からないものの、そのある一時期のリーのスケジュール帳に書かれた記録の記述だけを持ち出して「テッド氏だけがジークンドー継承者である」のエビデンスとするのはどうにも強引という気がします
>テッド氏によると道場で教えていた技術とブルースがプライベートで教えていた技術は全く違う物だった。
それを全くの嘘とは思いませんし、むしろ非常に興味深い証言です。が、「あくまでテッド氏によると」ですよね。
それに、記録魔だったリーの遺品にはテッド氏と会う以前の時期のスケジュール帳もあるし、そこには当然、いろんな弟子や格闘家の教え子とのトレーニング記録も書かれているわけです。
それだけでなく、自身の師範代(ターキー師、イノサント師、)に向けて書いた大量の手紙や書簡がいくつもあったわけで、その時期まで遡ればイノサント師やジェームズリー師といった、ジークンドーという名称や概念が出来ていた当時にブルース・リー正式認定インストラクターだった師範代達と費やした数々のトレーニング記録や、それら認定インストラクターに向けたリー直々の振藩國術館におけるレッスン指導要綱のガイダンスを伝える内容が相当多く記述されているのも確認できます。
そうした確固たる書面やリー制定の認定システムは無かったことにして、一時期に頻繁に時を過ごした一人の弟子のみを持ち上げて他の弟子を下げるような書き方はどうか、と。
普通に考えれば、プライベートなスケジュール帳に登場する仲の良い弟子の立場と、間違いなく創始者自身がが発行した正式な資格を証明する認定証を授与された師範代。
両者を比べて、どちらが対外的かつ実状的に創始者からジークンドー伝承者として置いていたか?は、第三者的に冷静に見れば何ら疑問は無いのでは