[江戸しぐさ分流]天心流スレ36[裏口柳生?]at BUDOU
[江戸しぐさ分流]天心流スレ36[裏口柳生?] - 暇つぶし2ch923:名無しさん@一本勝ち
22/12/20 19:09:06.31 +PNSXaAP0.net
「士林団」と天心流の伝承
URLリンク(nandemokousatu.blogspot.com)
幸い、これら3種の名称は他の歴史用語としても使われていないために混同されるおそれはなく、歴代の天心流継承者の誰がこれらの用語を最初に使用し始めたのかはわからないが、何とも画期的である。
前述の通り、江戸時代当時にはそもそも士林団に正式名称など存在しなかったのではないかと推察出来る。
というのも、江戸幕府における他の役職配下においても、家臣団の内特定の任務に携わる者達に固有の正式名称を与えている事例はほとんど存在しない。
これは、当時の家臣団が「組」という実働単位に分かれて行動していた慣習が理由と考えられる。
実際、天心流の伝承においても、士林団は5人一組以下の「組」を基本単位としていたとされており、士林団全体を基本単位として実働していた訳ではないことが明らかとなっている。
例外として10人一組で行動し、状況に応じて5人一組の「組」として二手に分かれることもあったとされるが、この場合もあくまで「5人一組×2=10人」と計算すれば5人一組が基本単位であることは明らかであり、いずれにせよ「組」単位で行動するために正式名称など必要無かったことが分かる。
大藏八郞氏の「新彰義隊戦史」(勉誠出版)によると、士林団は伊賀者や甲賀者、旧武田家家臣によって構成され、前述の通り5人一組に組み分かれ、1人を組頭としていた。
そもそも大目付とは、江戸幕府において大名・高家及び朝廷を監視し、これらの謀反から幕府を守る監察官の役職であり、時期によって2~5名の旗本が任命された。
無論、その職務全てを大目付のみが担当する訳はなく、各大目付の配下には同心や御家人などから成る家臣団が存在しており、大抵の実務は大目付の命令を受けた家臣団達が担っていた。


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