[江戸しぐさ分流]天心流スレ36[裏口柳生?]at BUDOU
[江戸しぐさ分流]天心流スレ36[裏口柳生?] - 暇つぶし2ch915:名無しさん@一本勝ち
22/12/20 19:05:46.19 +PNSXaAP0.net
宝蔵院分流陰派槍術
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では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。
そもそも宝蔵院流槍術は天文22(1553)年、成田大膳太夫盛忠から二箇の奥儀を授けられた宝蔵院覚禅房法印胤栄によって創始された。
さらに胤栄は、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守秀綱(上泉信綱)から刀術を学び、宝蔵院流槍術を大成させた。
宝蔵院流槍術の歴史
URLリンク(hozoin.jp)
「正伝新陰流」によると、上泉伊勢守が宝蔵院を訪ね、胤栄と宗厳に出会って双方を下したのは永禄6年(1563年)のことであるとされている。
つまり、胤栄が上泉伊勢守や宗厳と出会った頃は、まだ宝蔵院流も創始から10年ほどしか経っておらず、現在まで伝承されている同流と比べて技法体系も完成されていなかったと考えられる。
そのため、宗厳が胤栄との交流で得られたものも基本的な槍法に留まり、現在の宝蔵院流ほど技法体系が確立された槍術を身につけることは出来なかったのだろう。
しかし、新陰流の影響を受け、同系統の槍術を継承しているという点では、天心流と宝蔵院流は同じ状況に置かれている。
にもかかわらず、何故双方の流派はこれほどまでに技法体系が異なってしまったのであろうか。
その理由は、両流派における武術観の相違が関係している。
宝蔵院流は新陰流の影響を大きく受けているとはいえ、あくまで槍術を表芸とする流派である。
そのため、宝蔵院流は徹底的に槍術の完成度を高めることに成功した。
一方、天心流は抜刀術と剣術を表芸とする流派であり、槍術はあくまで「外物」である。
天心流は抜刀術と剣術の開発に時間と労力を注ぐことが出来た一方で、宝蔵院流ほど槍術の技法体系を発展させることが出来なかった。
故に、天心流が外物として併伝する宝蔵院分流陰派槍術は



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