17/03/06 19:17:50.81 /ntkwKEe0.net
ナンバーワンはここで伝書のことを話した起倒流山田派の
くだんの方だね。
私は大抵の故事なら再現できるのに
その方のように
畳を錐もみさせて
畳の滞空中に横をすり抜けるなんて真似はできないからね。畳の錐もみ自体ができない。
埼玉県西部の方だし
植芝盛平が同じ山田派を学んだ時代と
時代上オーバーラップしてはいても
地域柄
直接の伝承関係は期待薄かな。戸澤伝を介し縮地法は聢と継承されたのだろうけど。
瀬戸内系の大東流もそれはそれでハイテクを極めたそうな。
元来が実戦興行の盛んな気風だったのに加え(ここは大山師範の間接的な好影響もあろうね)
未曾有の戦乱的時局に応じ
文武兼備のエリートが幼少より厳択され
モデルチェンジを尽くしたノウハウが一心不乱に注ぎこまれたわけでね。
そこでは田宮長勝の修行譚なぞ当たり前のラインに過ぎなかったとすらされている。
対比的にはそうだね
前者の方には明治大正の
とある超剣豪が教えを享けたとか。
しかし時の政府にはむしろ平和への道
これが本当の和道(やわら)だね
こちらの道を加速しかねない危険分子として敬遠された。
後者は戦い且つ戦火を止められなんだ。この意味で真理は前者にこそとは思うね。