大東流の鬼門は東北にありat BUDOU
大東流の鬼門は東北にあり - 暇つぶし2ch8:名無しさん@一本勝ち
15/03/21 07:58:56.50 oooE8GwL0.net
>>1-2
あきたこまちと言えば、米袋をなんと五俵担ぐ女性が、昔は居たらしいです。
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
 
こういうなにか特別な力の出し方が、あるのかも知れないですね・・・・
 
>>3-4
>>6
興味深い・・・・  小出しに、プライバシーに影響ない範囲で、ご指導日記を綴られて下さいな。
 
>>7
対機・・・・  辞書をひくと、相手の求めや知力、問いかけに応じた――  と出てきます。
確かに日本語講座さんは、そういう在り方を貫かれている印象です・・・・
 
オニサブロウの話、びっくりです。
岩をゴロゴロ・・・・  う~ん、それが出来る気しない今の僕じゃ、わかったつもりで合気わかってないのか・・・・

9:名無しさん@一本勝ち
15/03/21 13:13:11.65 idbLBmZCO.net
福島原発は、菅直人のベント妨害により爆発したと言われている
東電からの「ベント弁開放」の要求を12時間あまりも放置
(東電からのベント要請は、前日の夜に届いていた)
【政治】元陸将補・倉田英世「2009年民主党政権に分かっているだけでも70人の日本に帰化した在日朝鮮人が国会に送り込まれた」
URLリンク(blog.livedoor.jp)
菅直人   (民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名 
江田五月 (民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
千葉景子 (民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
岡田克也 (民主) 「拉致被害者を北朝鮮に戻すべき」と主張
岡崎トミ子(民主) 慰安婦への謝罪と賠償法案 8回提出
福山哲郎 (民主) 陳哲郎
白 眞勲  (民主) 元韓国籍
土肥隆一 (民主) 朝鮮京城に出生
中井 洽  (民主) 吉林省長春に出生
辻元清美 (民主) ピースボート創設(北朝鮮組織)
辻元清美 (民主) 「私は国家の枠を崩壊させる国壊議員」
山岡賢次 (民主) (「金賢二」、通称は「金子賢二」、後に「藤野賢次」 → 「山岡賢次」)

10:名無しさん@一本勝ち
15/03/21 14:51:58.14 Rk9Fy70w0.net
>>8
3、4,6ですが、そうですね、あまりにも合気がインチキのように人口に膾炙する
状況なので、自分レベルでも本当のところを伝えていこうと思ってまよ。

11:名無しさん@一本勝ち
15/03/21 14:53:43.30 Rk9Fy70w0.net
失礼、伝えていこうと思ってますよ。

12:日本語講座
15/03/21 15:47:42.30 wzOCP23s0.net
>>8
岩にも力学的に必ず弱い場所があるハズだから
時々刻々変転する弱点を捉えて崩せばさえ
結果的にゴロゴロいくんだよね。
まさに対機なんだけど
会話力にも反映されるし
会話力からフィードバックもされるよね。

13:名無しさん@一本勝ち
15/03/21 21:19:50.26 qwi3FWYb0.net
  ∧,,∧
 ( `・ω・) ようこそID腹筋スレへ!
 / ∽ |
 しー-J
ここはsageずに書き込み、出たIDの数字の回数だけ腹筋をするという、
硬派なトレーニングスレです。
例1 ID:wwh7KM12 ID抽出 ID抽出 の場合 7+12=19 なので19回頑張りましょう。
例2 ID:bicycle. ID抽出 ID抽出 の場合 数字がないので今日は一休み。
さあ、存分に腹筋するがよい↓(`・ω・´)
Think different? by 2ch.net/bbspink.com

14:名無しさん@一本勝ち
15/03/22 08:18:58.85 sFvw5xGu0.net
>>10-11
合気がおわかりの>>10-11さんの事、きっとそれに伴い、鍛錬法も発案されてるでしょうから、
いずれ集まるでしょうお弟子さんたちにも、まずそのあたり、鍛錬法から伝えるのも、手かも知れませんね・・・・
 
佐川氏は「合気を教えるなら時給一億」と仰ったそうです。
ほんとにそれだけの価値はあるのかも知れないんで、もし>>10-11さんがブログ等始めたら、色々と協力は惜しみません・・・・
 
>>12
おお!
 
こう言葉にされると単純なのに、教えてもらうまで気がつきませんでした・・・・
知識ではなく、こういう智慧が、合気なのでしょうね。
 
岩を転がすまではいかないものの、最近ようやく、歩き方のとっかかりが掴め始めたのですが、日本語講座さんは当然、会得されてますよね・・・・

15:名無しさん@一本勝ち
15/03/22 23:56:45.62 T6kF7M6r0.net
>>14
1億話はDSじゃね?

16:日本語講座
15/03/23 02:39:25.84 bYQLfZjp0.net
>>14
歩行も合気だね。
個人的には地面と足の踏み込みがぶつからないようにして
尚且つ地面の力をもらうようにして歩いている感じかな。
ぶつかると力が返って来ないから次の足が出ないし
ただぶつからないだけでも潰れてしまって進むための力がもらえないんだよね。
歩行といえば武田家らしき血統を称するこんな一連の投稿が。
://nimeter.com/2チャン.sc/occult/1405524966/


17:301-350



18:名無しさん@一本勝ち
15/03/23 07:22:38.26 V5nj+X8Q0.net
>>16
歩行法のアドバイス、有難う御座います。
 
お書きの内容、多分少し前までは、「そんなに脚が速く動かない!(伸縮しない!)」と、僕は思ったにちがいありません・・・・
でもごくごく最近、脚のちからをぬけばいいとわかって、もちろんぬきかたのコツがわかったからなのですが、
脚が動く、つまり伸縮するようになり、生まれて初めて、歩けるようになった気がします。
 
柔道衣含む武具一式の入った重いリュックを背負い、道行く人をピュンピュン追い抜く。(気のせいかも知れません)
この羽毛のように軽い脚は、確かに日本語講座さんの仰る、「弾ませる」のを覚えた事で、手に入ったんじゃないかと・・・・
 
ご紹介のアドレス、拝見しました。
そこの方たちが話題にされている、世に顕八・・・・おっと顕したら凄い事になる、「行法」というのに、興味をいだきました。
 
ひょっとしたら、僕が最近得たと妄想する、脚の、体の、弾ませ方だったり、しないでしょうか・・・・
確かに合気に、僕の場合著しく不完全ながらも、物凄い寄与します。

19:名無しさん@一本勝ち
15/03/23 13:11:18.69 n7Ct2SMI0.net
口伝のやまめ釣りの技法は、野間道場時代の植芝盛平翁の動きにもよく見られる。
武道の世界の歩行といえば、ただただ歩くことに徹することではないだろうか。

20:日本語講座
15/03/23 15:43:04.52 bYQLfZjp0.net
>>17
弾むといっても蹴るのでも踏みしめるのでもない
いわばそうなるように出来ている人体の機能をそのまま表現させてあげる
そんな身体技法だね。
武田惣角も健脚だったそうだし
意外や一族にはそこらへんのノウハウが伝わっているのかも。
惣角が共に学んだ修験の早足は史実だったのかな?
そこも鋭意調査中。
>>18
植芝盛平も悩みのある人には
ただこうやって歩きなさいとアドバイスしたらしいね。

21:名無しさん@一本勝ち
15/03/23 23:55:56.39 LKXMs3tP0.net
東北が鬼門って、柳生心眼流が結構隆盛だったからじゃなかったっけ。

22:日本語講座
15/03/24 15:46:14.53 gcqJ2dVT0.net
それはあるだろうね。
うちの大東流はそこの系統なんだけど
会祖の口承が残っていて
大東流も明治期は心眼流の地を避けていたとのことらしい。

23:名無しさん@一本勝ち
15/03/24 20:09:39.90 wKiHOADI0.net
>>18
そうですか、盛平にも口伝されているもの、あったんですね・・・・
 
あの時代、盛平には色々な技法が集まって、勿論大東流もなのですが、それ以外にいわゆる行法と呼ばれるのが入った事で、
どちらが上どちらが下(大東流と)、というんじゃなく、植芝流は文化として、新天地へ向かったように、思えてなりません。
 
ただただ歩くのに徹する・・・・
それは「目的地に向かうついでに」では、究極のところ間違っていて、向かう場所を持たず、歩くの自体を目的にする――  そういう意味でしょうか。
 
わかったようなわからないような、でもとても深いアドバイスを、ありがとうございます。
 
>>19
むむむ、僕じゃまだ蹴っちゃってるかも・・・・
 
ただ、「とっかかりが掴めた」と感じるなりに、少しだけ理解(?)出来る気もします。
歩くのは、前へ進もうとしては、どうもいけないみたいです。
 
ゆっくりと、ちからをぬくのだけ考えて、上下に弾ませる・・・・  気づいたら昨日も、颯爽と早歩きをする、あるいは走る人々を、次々抜き去っていました。
 
修験の早足、そう言えばありましたね、そんな話。
佐川氏が、歩くのは惣角についていくのがやっとだった、その方法は、日本語講座さんの推理通り、一族にしか伝えなかったのかも?

24:名無しさん@一本勝ち
15/03/25 00:23:01.03 hW3HWt+a0.net
大東流が心眼流を避ける?
星貞吉の直弟子があの地域で武田惣角に大東流習ったりしてるのに?

25:名無しさん@一本勝ち
15/03/25 02:07:07.71 Xtad8wN6O.net
惣角は貧乏人は相手にしないから
貧しい土地柄の東北方面にはあまり寄り付かなかった。
ただそれだけのこと

26:日本語講座
15/03/25 02:54:26.48 c+BDJvlU0.net
>>22
>前に進もうとしては~
そうだろうね。
ここは合気技法や
人当たりなどの精神性などとも同根だろうね。

>>23
それはね
惣角に情報性を期待して
より中価格で情報をもらえる惣角へと出向した
というのが真相だそうだよ。
理由は違うけど
大東館がお忍びで堀川幸道に習っていたようなものだね。

27:名無しさん@一本勝ち
15/03/25 02:56:31.36 Xtad8wN6O.net
柳生志限流なる武術が宮城にあるらしい

28:名無しさん@一本勝ち
15/03/25 03:15:23.40 hW3HWt+a0.net
>>25
適当言うな
その人が惣角に教授を受けたのは心眼流の免許取ってからだぞ
大体、大東流と惣角は心眼流のテリトリーに近づかないんじゃなかったのか?

29:日本語講座
15/03/25 14:43:06.40 c+BDJvlU0.net
>>26
拳法と書く流派だよね。
起倒流の顕彰碑にも拳法とあるけど
志限流のほうも柔らと読んだのかね。
>>27
免許と皆伝は違うからね。
惣角のほうからはむろん近づかなかったそうだよ。

30:名無しさん@一本勝ち
15/03/26 08:59:44.92 JQNyDmhf0.net
武田惣角は、剣が特別な鳴り方をしたそうです。
 
小刀を抜いても、ヒョウと高い音がしたらしい・・・・
それは塩田剛一・・・・おっと剛三も回想し、証言していました。
 
ここの>>4さんや日本語講座さんも、やはり刃が鳴るのでしょうか?

31:名無しさん@一本勝ち
15/03/26 20:33:12.14 mm6RDkmJ0.net
塩田先生って武田先生に習ってたの?

32:名無しさん@一本勝ち
15/03/26 20:50:06.14 D+jVQfEm0.net
>>30
植芝翁の古い弟子だから、入門したぐらいに
遊びに来た武田翁に会ったことぐらいはあるんじゃね??

33:名無しさん@一本勝ち
15/03/26 21:47:43.24 nmgK2icgO.net
>>30
塩田は一回だけ惣角の受けをとってる。
惣角の真剣の素振りを見たのもその時

34:名無しさん@一本勝ち
15/03/26 23:24:11.98 Z63Ghpk70.net
真剣と言うといかにも長い刀に思えますが、正しくは小刀ですね。
 
剛一は惣角の体術面、合気技法に関しては、必ずしも評価しきってはいなかったものの、
小刀を、しかもゆっくり抜いてなお鳴らしてみせた事には、驚きを隠していませんでした。
 
だから「同じ事が出来ますか・・・・?」と、煽りではなく、>>4さん日本語講座さんら、高い技法をお持ちな方々へ、伺いたかったわけです。

35:名無しさん@一本勝ち
15/03/27 00:29:47.48 0w24x4CLO.net
具体的にどんな音だったのかわからないからなー
ブン!ブン! ピュン!ピュン!て音なら脇差しでも普通に出るけど
こんなありきたりな音じゃなかったんだろうね。

36:日本語講座
15/03/27 02:54:25.71 8/38t36Q0.net
>>33
出来マッスル!
と矛盾したコメントだけ
まずは。
>>29
剛一については戦後のデータベースもチェックしたところ
三段以上に名前が見つからなんだ。
当然1939年の史料を底本にしているだろうから
記載に遺漏も無いだろうし。

37:名無しさん@一本勝ち
15/03/27 15:56:17.17 RVIEvbfc0.net
>>35
あ、やっぱり出来ましたか。
 
この音が出せるのは、即ち「○○で○を●す事が出来る」のを意味します。
一見、剣術のようでいて、実は体術の理解度、もう実際の肉弾戦が本当に要らなくなったのが、これの可否に顕八・・・・おっと、顕れると言えるでしょう。
 
けして思わせぶりな、その実、内容がスカスカな事を言っているのでないのは、講座さんならおわかり頂けるかと・・・・
 
剛一、戦後のデータベースにも、参段位の記録が無かったのですね・・・・
ただ、昔であればあるほど、むしろ師(柔道の)の地位、実力が高いほど、いわゆる「言い渡し」の与段があったと聞きます。
 
更には跳び段、返上、その他様々、事情が絡みに絡んでくると、もう一時期の、一冊の記録に目くじらを立てても、あまり意味は無いのでしょう。
剛一が実際には初段としか書かれた史料が無い、だからそんな人物の語る惣角像、技が効かなかった云々は信憑性に欠ける――  ナンセンスな意見です・・・・

38:名無しさん@一本勝ち
15/03/27 16:28:55.22 0w24x4CLO.net
つまんねー自演

39:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 02:28:33.29 tfTmaRlx0.net
>>2
>単身でで
>>10
>思ってまよ
なぜ大東流のスレは誤字脱字が多いんだ?

40:日本語講座
15/03/28 03:40:47.89 XzUOLQj50.net
>>36
そう
まさにそうなんだよね。
だから刃鳴りが出せれば
ああブンとかは刃鳴りではなくお座なりだけど
刃鳴りが出せれば
ここでまず当て身を入れて・・・
とかそういう世界観とは正中線というか平行線になってしまうんだよね。
それはやはり発言に顕八(あらや)れて
ウップス顕われてしまうとしか。
剛一はしかし
俗説よりも後年に昇格しているから
言い渡しだった
つまりいわゆる実力三段だったとも考えにくいといえば考えにくそうだね。
>>37
IDがツクオと同じなんだけど。
>>38
俺がナシオのスレで泣かしているバカも誤字脱字のテンコ守というかテンコ盛りだけど
2ch住人の一部は涙目だからだろうね。
ところで
>>2
といえば
>>2
武田惣角の合気は何が母体と考えられるか
よろしければ考察を是非。

41:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 04:05:30.44 7CX90gno0.net
>>39
テンコ「守」w
涙目だからw
 
いや~、ナシオスレ久々見たら、彼ら相変わらず講座さんに遊ばれてるな~、と。
なかなかゆるめないから仕方ないんでしょうけど、それは僕も人の事は言えず、講座さんのようにユーモラスにならなければ(・゛д´・;)

42:日本語講座
15/03/28 04:39:53.45 XzUOLQj50.net
彼ら2ch住人はなぜか一切ユーモアが言えないんだよね。
固いんだよね。
その代わり(笑)とかいう青筋マークを隠れ蓑にしているんだけど
もうそれが通用する時代じゃないよね。
笑えば首は締まら・・・
ではなく笑いの王様は出口オニ三郎のキャッチコピーだっけ。
合気は本来ユーモアなのにね。

43:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 05:27:57.15 7CX90gno0.net
>>41
青筋マークw
いつも講座さんの表現が適切すぎてw
 
――そうですね、「w」記号は、感心した時などに、「うまいな」「ほお」の気持ちが、思わず顕れ、使うものですね。
怒声をぶつけ、使うのは、仰るよう、青筋でしかありません。
 
オニサブロウは、お弟子さんの一人が教団内で惣角を顕八・・・・じゃなく頭角を顕し始め、
他のお弟子さんたちが、その方を「出過ぎた真似」と見て、つるしあげた際、傍に呼び「皆がああして怒るからな。今度からは隠れてやれよw」と言ったそうです。
 
その方はのちに大本を離れ、巨大教団を創りましたが、この時の事を振り返り、「おやじ(オニサブロウの事)は大きかった。おやじにまた会いたいよ」と・・・・
離れた、そして地位を築いた人間に、ここまで言わせるのは、凄いですね。

44:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 06:33:18.69 ksfPsRNNO.net
したらばでも早速「上から目線」のいけ好かない奴扱いだしw
ほんと空気が読めないお二人さんですねwwwww

45:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 07:43:34.37 ayk3t0bp0.net
おもちゃのバット相手にこれはないわw
URLリンク(youtu.be)
低評価押して下さいw

46:黒魚老師
15/03/28 08:03:20.61 IYxf+l8h0.net
あの米俵360キロくらいでしょう。
今の日本人男性が
背中に乗せたら腰を痛めて
おしまい。
男も出来たのいたんだろ。
そんなのが武道やったら勝てるわけない。

47:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 11:07:13.57 /PodB83a0.net
>>45
力持ち=武術家として優れてる
では少なくとも日本の武術はない。
体格に劣る人間が体格に勝る人間に勝つために工夫されたのが、
日本の武術。
力が邪魔をしたりするんだよ。
どや顔で語る割りにほんと、程度が低いよな。

48:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 14:05:47.95 ksfPsRNNO.net
>>44
聞こえもしない刃鳴りの音を「聞こえた♪聞こえた♪」言ってる
難聴のツンボコンビを見たからかこんな動画も大したものに思えてしまうww
高評価ポチっ♪とな

49:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 15:37:54.44 /PodB83a0.net
>>47
短刀での刃鳴りの音なんて簡単に出せるぞ??
樋がついてたならそれこそ素人でも出来る。
あと、鳴りゃいいもんじゃないんだけど、
多分この二人はわかってない。

50:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 16:20:38.02 0R1B+IB50.net
俵の中身が何か分らないけど、形が米俵だから米がはいってる、力持ち!
外人相手のおみやげ写真って話もあるし、中身は綿か只のハリボテかもね。

51:日本語講座
15/03/28 18:47:07.82 XzUOLQj50.net
>>42
惣角を顕八・・・
惣角といえば惣角のことも立てていたようだし
オニ三郎は大物だよね。
もっとも惣角のほうも居心地が良かったのか異例の長逗留をしているし
一定以上の人物ほど一定以上の人物を知るということかも知れないね。
>>43
IDがツクオと一緒だけど。
>>44
技術論的にはガードを下げないほうがいいとは思う。
逆説的にはより競技に特化された姿と評することも出来るね。
>>45
昔は八十キロのバーベルを片手で差し上げる合気道家も存在したとか。
それでも力道山には勝てなんだそうだけど。
>>48
樋というか現代だから話題の対象は主に木剣だね。

52:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 19:03:58.38 ksfPsRNNO.net
>>48
だから尋常な音じゃなかったんだろって話し
塩田は擬音ですらその音を表現してないんだからどんな音か不明だし
植芝、塩田ですら惣角と同じ刃鳴を出そうと努力した�


53:ッど生涯出せなかったわけ なのになんでツンボ兄弟なんかにその音出せんだ お前らなんかに出せるわけねーだろと



54:日本語講座
15/03/28 19:18:04.37 XzUOLQj50.net
>>51
出し方があるんですわ。
努力ではなく
気が付くか気が付かないかだよ。
考古学と同じだね。
それと聴覚特性のある人にとって聴こえ易いのは
むしろ低い音域だよ。
刃鳴りは聴こえないやろね。

55:名無しさん@一本勝ち
15/03/28 19:25:15.35 E7dKUKXx0.net
>>51
それはごもっとも。
木刀でも音を出すだけなら簡単に出せるんだよねぇ。
やってみりゃ分かるんだけど。
植芝さんや塩田さんがコツ程度で出せるものなら
とっくに気がついて出してる。
それでも出せなかったと言ってるんだから。
透明な力で佐川さんがやってみせたと書いてあるけど、
さぁそれが武田翁のそれと同じだったのか???

56:日本語講座
15/03/28 20:19:03.83 XzUOLQj50.net
音というか刃鳴りだね。
コツは気が付けるかどうかだから
必ず気が付けるとは限らないだろうね。

57:名無しさん@一本勝ち
15/03/29 01:28:50.37 fkv1fyEo0.net
ちょう、有名な、 東京の 浅草、 浅草寺 の TOP も、俺の命令で、暗殺されてしまった。
まぁ、こういうのは、たくさんあるんだけど。ちなみに、俺が死ぬと、道連れで、絶命する人が6億人と設定されている。
俺の命令で暗殺した証拠。この他にも、たくさん、殺してるよ。俺が悪いのではない。ただの、報復、仕返しである。
うわった!!! 即効、消された!!!本当に、清水が悪いんだ!!清水の命令で、アダルト・ポルノビデオとかしてたの?それとも、清水が俺を攻撃していた??
7:29 - 2014年10月17日 一応、書いておくけど。#浅草寺 #清水谷孝尚 #管主 は、俺の育ての父親の一人のはずだけど、俺の方が偉いので、彼の命令で動いても俺の命令に逆らうと、消される可能性が高い。
URLリンク(twitter.com) status/522876903439351809
8:44 - 2014年10月29日 東京都・浅草・「浅草寺」の「清水・管主」が、俺「林田天皇」宛の女や現金を預かったまま、勝手に配っていると云う連絡があるが、本当かな?
URLリンク(twitter.com) status/527244464134180864

おくやみ 清水谷孝尚 氏(聖観音宗総本山金龍山浅草寺第27世貫首) 2014年10月31日付
URLリンク(www.chugainippoh.co.jp)
「ホワイトライダー URLリンク(i.imgur.com) 」のスキル「ゴッドアロー」(ハマ属性、即死)が炸裂した模様。
「REIDEEN URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com) URLリンク(toro_plus.c.blog.so-net.ne.jp) 」も使うね。

58:日本語講座
15/03/29 15:41:33.89 HMjtI0Tr0.net
実は小太刀って大東流合気の発祥に関わる重要なアイテム
とも考えられるんよね。
ここは追々論議をしていきたいところ。

59:名無しさん@一本勝ち
15/03/29 16:09:01.05 T4mgG5x80.net
>>54
それはあんたが塩田さんを越える武術家だったら言えることでな。

60:日本語講座
15/03/29 16:30:47.51 HMjtI0Tr0.net
んー
あの方自身
太刀は比較的不得手と明言していた


61:のだし そこは他人がとやかく言うことではなさそうだね。



62:名無しさん@一本勝ち
15/03/29 17:01:24.20 bpW5U1jEO.net
塩田の不得手の基準は翁基準でのことだからなー
実際は国井さんとも剣で互角以上にやり合えるレベルなんだけどね。

63:名無しさん@一本勝ち
15/03/29 19:11:32.69 4muMcQ7n0.net
>>45
角館のは最たる例ですが、そこまでじゃなくても全国的に昔の女性は、行商や様々な事に於いて、今じゃ考えられないほど、力持ちだったようです・・
 
こういう力は、出し方にこそ、ちゃくもくすべきなのかも知れません。
昔の日本人が、ある程度一般的に知っていた、身につけていた、力の出し方。
 
顕八・・じゃなくて顕れ方が異なるだけで、根本部分、出し方は、重い荷物を担ぐのも、力を標榜しない武術の技も、一緒の箇所が多いのでしょう。
 
>>50
ソーカクとオニサブロー、どちらもすごい手先の器用な人でしたね・・
 
そもそも、「そういうの」が好きなお二人でした。
手の器用さ速さに、関係のある事が。
 
考えてみれば器用な人は、大抵力があるものですから、器用、出力、それこそ合気は、おそらく一人が同一の興味対象にしても、いいんでしょうね・・

64:名無しさん@一本勝ち
15/03/29 23:45:43.64 drEapxpq0.net
女のほうが器用だからな。
合気は女のほうが向いているかも。

65:日本語講座
15/03/30 01:40:46.56 BM7CJaDg0.net
>>59
國井道之はオニ三郎と違って打ち合わなければわからないほどだったにせよ
植芝盛平も太刀では不覚をとったともされているね。
餅は餅屋
剣は顕八
いや剣屋だよ。
>>60
一部の農家や鮨屋の力も異常だしね。
文明の利器率が高い人々よりも遥かに複雑な力の使い方をして過ごしているから
それだけ力の集中もお手の物なんだろうね。
>>61
國井氏も日舞の女性は厄介
と言っていたらしいね。

66:名無しさん@一本勝ち
15/03/30 02:50:22.99 neWcghKmO.net
>>62
>植芝盛平も太刀では不覚をとったともされているね。

ソースを要求してもまともに示さず
自作の妄想作り話しを連発するパターンも大概にしとかないと・・
そろそろ自分がみんなに呆れられて白い目で見られ始めてるって気づいてる?君

67:名無しさん@一本勝ち
15/03/30 08:17:49.25 LKvuH2zk0.net
>>62
國井さんが度々勝負を申し込んだのに、
「合気会は貴方にあげますよ。」
とのらりくらりとかわしてたのにか??

68:日本語講座
15/03/30 09:29:02.85 rWIKSMkh0.net
>>63
ツクオのソースは?
>塩田の不得手の基準は翁基準でのことだから
>実際は国井さんとも剣で互角以上にやり合えるレベル

>>64
神宮系では割りと囁かれている内情だけど
URLリンク(budou.log2.me)
古流側でも同様らしいね。
その國井氏も
板橋のせいか
体術面では神宮系の寝業師を用心棒(助教)に据えていたとか。

69:名無しさん@一本勝ち
15/03/30 15:51:49.09 LKvuH2zk0.net
>>65
で、植芝翁が國井さんに剣術で後れをとったソースは??

70:名無しさん@一本勝ち
15/03/30 21:17:35.66 KU7ALhid0.net
>>61
ソーカクが終に追いつけなかった、鉄串投のお婆さんも、いたそうですからね・・・・
女性には、かなわないのかも知れません。
 
ところでそのテッケンさん(特技から仮にこう呼びます)、石橋義久氏の著作によると、茶屋が御池田→喜多方間にあったとも・・・・
伝説の地の特定は、果たして春休み中に成されるか。
 
附録、中国安徽省のケーキ屋さん、容姿のいい売り子さんの、スーパーハンドスピード。
URLリンク(www.youtube.com)
 
見進めると、どんどんスピードが上がっていき、一秒に六個もケーキを詰めています・・・・
もはや残像しか、映っていません。
 
この方もまた、ソーカクのかなわない実例なのでしょうか・・・・
 
>>62
ソーカクが唯ひとり合気を伝えたのも、考えてみれば板前でしたね・・・・
 
器用じゃないと合気が出来ない。
↑これは、どうも真理に思えてなりません・・・・
 
武術と言うと、どうしても全身運動、何か汗だくの世界ばかりをイメージする人、多いですけれど、とりあえず手先は軽視しないほうがいいでしょうね。

71:名無しさん@一本勝ち
15/03/30 23:10:06.71 KTAg+Sjr0.net
スレリンク(budou板)l50

72:名無しさん@一本勝ち
15/03/31 02:00:36.04 grX9mJQ9O.net
誰かレンタル会に触れてやれよ

73:日本語講座
15/03/31 03:34:54.41 96UcwPTL0.net
>>66
>自分より細く強い正中線の国井さんに小手を~
と書いてあるね。

>>67津本説の時代から御池田ともされてはいるね。ただ二つ疑義があってね
御池田は坂下であり地元であってやや近過ぎ
そして喜多方方面へ上船するのでは北上となり西方行路とコースに矛盾が
これだね。

>この方もまた
>かなわない実例~
そうかも知れないし
植芝盛平の槍や上野貴の棒も瞬撃だったらしいわけで
必ずしもそうではなかったかも知れないね。

>>68レスを貰っていたんね。

>上村氏の話
アドサンテル事件はもう上村氏の公式声明で決着だろうし
当事者の永田三段ご自身が
年鑑の三段に記載のある1922年以後の1923年に禁足を解かれたと証言しているね。

74:名無しさん@一本勝ち
15/03/31 16:49:32.19 VWaNXAan0.net
>>70
慌てて地図にあたってみたら、確かに旅の方角が逆ですね・・・・
おかしい・・・・
 
御池田→喜多方間には阿賀川(あががわ)しかなく、ちょうどこの場所あたりになります。
URLリンク(is2.sss.fukushima-u.ac.jp)
 
これだとソーカク邸から二㎞も離れていないので、
「旅路の茶屋」ではなく、
「近所の茶屋」と、
普通は表現、証言する事になるのでは・・・・
 
矢張りテッケンさんの経営店は、以前、講座さんが推理したように、大阪なのでしょうか・・・・

75:日本語講座
15/03/31 17:03:18.39 96UcwPTL0.net
そうだねえ。
思い切って日本海ルートもありえなくはないけど
そこまで長い船路だと回想のどこかに残っているのが自然だろうし
惣角二度目の上京中はじめて会ったというのも奇妙なんだよね。
オーバーラップしない途上となると
やはり大阪~四国間の四国路が有力かも知れないね。

76:名無しさん@一本勝ち
15/04/01 12:48:58.43 81gPZtyA0.net
>>72
なるほど、日本海ルート・・・・
さっそく地図にあたってみたら、阿賀川→日本海→信濃川で、かなり江戸へ近づけますね。
 
ただ、信濃は阿賀とちがい、のぼりになるので、当時どこまで行けたか、疑問です。
 
――と思ったら、折良く1874年、新潟蒸気船会社というのが設立され、
河口から内陸部まで従来四、五日かかったのを、なんと十時間で、一気に行けてしまうようになったらしいです。
 
確かに�


77:u座さんの仰るとおり、ソーカクの二度の上京、1873年と76年で、 ちがうルートをとる必然性は、いっけん無いかと思われました。   しかしその二つの年代間に、文明の利器ルートが登場したのは、これでもあくまで若干ですが、考えさせられる出来事です・・・・



78:日本語講座
15/04/01 16:10:27.13 46YNhgQX0.net
丁度
中間に挟まる年代にいわばルートが再?開発されたのは
興味深い暗合だね。
ただ一介の帰農民が使えるインフラかな
とは素朴に思うね。

79:名無しさん@一本勝ち
15/04/01 16:37:25.68 HBuw4Dv3O.net
串投げ婆が顕八の祖母であることを知る者は少ない・・・

80:日本語講座
15/04/02 05:24:59.40 3xTGZdHC0.net
ああ
URLリンク(barrel.ih.otaru-uc.ac.jp)'%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E4%B8%AD%E5%AD%A6+%E6%9D%91%E4%BA%95%E9%A1%95%E5%85%AB'
正式史料に登場する武聖のこと?

81:名無しさん@一本勝ち
15/04/02 11:32:52.41 Xdm7GiJr0.net
>>74
>>76
確かに高そうですよね・・・・
オリエント急行なみに、お金持ちしか利用出来ない交通網だった気が。
 
講座さんの仰る通り、ソーカクの回想にタップアウトは出てくる・・・・じゃなく、船旅が一度も出てこない事、
何よりも決定的に近所になってしまう事から、ほぼ確実に阿賀川のほとりではなかったと、言えそうです。
 
カフェ・ド・テッケンは、どこにあったのでしょう。
 
武聖は、矢張り小樽高商のOBだったのですね。
勿論わかりきっていた事ではあるのですが、在学の証明と、のちに富豪になられた事実が、改めて突きつけられてしまいました。
 
河運や海運といった水運に親しむと、ちからの流れ、合気がわかっていく事が、ソーカクや武聖の話に、本来最も学ぶべきものなのに。

82:名無しさん@一本勝ち
15/04/02 13:40:49.42 8xulMMAhO.net
万年3段で武聖とかwwwww

83:名無しさん@一本勝ち
15/04/02 14:16:38.53 Xdm7GiJr0.net
歩行の話(>>14>>17>>22)、その後、速さに更なる進化が。
 
――とは、残念ながら行ってませんが、いろいろ気がついた事があります。
稽古場の鏡を見、また人からも指摘され、少し驚いた事は、お尻が大きくなっていたのです。
 
まるで女性のよう・・・・
 
女性のようと言えば、髪が女性みたいに、あるいは小学生男子のごとく、つやつやキラキラしているのに、気がつきました。
再来月で32になる世代としては、パサパサの髪痩せは当たり前、ヘタしたら無くなっていても珍しくないのを、この変化・・・・
 
なんでだろうと、難しい本にあたってみたら、ブロードマンの脳地図に、膝とお尻が前頭部と頭頂部に対応していると、ありました。
つまり、膝がカチカチだと頭皮もカチカチ、しかし膝が動きだすと頭も動き、ちょうど栄養不足になりやすい場所が、肥沃になるんじゃないかと・・・・

84:日本語講座
15/04/02 18:05:03.16 3xTGZdHC0.net
>>77
>カフェ・ド・テッケンは
基本的な話し串の音読みはケンなんだよね。

>どこに
惣角は下條小三郎と知己があったそうだから
すると上阪時に愛知ルートを採った可能性があるわけで
必然的に愛知~三重間の長良川だった仮説もどこか有力だろうね。

>回想にタップアウトは出てくる
今更ながらあの描写
取材者が大庭門だから
大庭門は八光流だし
質疑の出どころが恐らくは八光流なんだよね。

>武聖は
>矢張り小樽高商のOBだった
荒らしが一徹に否定していたね。

>>78三段ってアドサンテル事件で段位を剥奪されなかった人達の話し?

>>79なるほどね。

85:名無しさん@一本勝ち
15/04/02 18:31:42.90 8xulMMAhO.net
>>80
>三段ってアドサンテル事件で段位を剥奪されなかった人達の話し?

アドサンテル事件ってのは俺は全然知らん
尊師が段位を剥奪されたのは知ってるけど
>村井顕八 147
このページには何が書いてあるんだ?
ハゲ日記を鵜呑みにしてそのまま転載してたら笑えるんだがww

86:日本語講座
15/04/03 04:21:08.43 NkadpKAn0.net
>>81
アドサンテル事件は
荒らしが最終争点としていた事件だよ。
アドサンテルというレスラーの挑戦に
柔道家数名が受けて立ったところ
講道館が段位を剥奪した
とバカが主張していたんだけど
①講道館の戒告文書に剥奪などと書かれていない
②1923年二月に処分を解かれたと当事者自身が述懐している
③処分中のハズの1922年の時点で全員段位の維持が確認できる
④そもそも嘉納館長自身が解禁の折りに禁足処分(厳密には出入りの遠慮)だったと表現している
以上
四重に否定されてしまったというものだ。

>このページには何が(青筋)
旧小樽新聞の情報だね。
1916年五月23~24日の二日にかけて取り上げられた。

87:名無しさん@一本勝ち
15/04/04 01:27:53.85 a5rBFxmS0.net
>>80
長良川を検索しました。
どういう川なのかを調べたところ、鮎と鰻が特長的に獲れる川なのだそうです。
 
カフェ・ド・テッケンの名物は、史料により鮎の塩焼きであったり、鰻の蒲焼であったりします。
この異なる証言を、矛盾なく同時に成り立たせるには、どちらも出していた、つまり二つの魚が特長的に獲れる川だったと、考えればどうでしょう・・・・
 
伝説の地は、長良川の河畔へと、いよいよ詰められてきたのかも知れません。
 
武聖は今回の史料で、1916年に在学していたのが判りましたね。
講座さんが以前、小樽高商柔道部1917年の集合写真に、若かりし武聖が写っていると、仰っていたのが、これで事実と、ほぼ確定しました。
 
それにしても、知られたショットが1954年、実に37年も昔の写真を、亡霊のように蘇らせるとは・・・・  まさに考古学、講座さんは天才です。

88:日本語講座
15/04/04 05:09:57.14 Zrb6arBS0.net
ほう!
長良川は鮎と鰻
両刃の名所だったんだね。
それは可能性が出て来たね。

>1916年に在学していた
>1917年の集合写真
そうだね。
いささか年代が下っていないか?
と疑問だったのだけど
今般の史料で第七師団歩兵26~28連隊に所属後だったから
とあったので全てが一線につながった。
すると1917年の高商満州遠征で土地鑑が育まれたろうし
旭川連隊はちょうど満州事変にも日中戦にも参戦しているから
武聖が渡満後軍閥に巻き込まれ・・・という後世の史料もこの線で矛盾なく説明されてしまう。

>亡霊のように蘇らせるとは
どうも。
あの豪胆な風貌は見紛いようが無いし
旧小樽新聞の腕とか体格描写とも合致するんだよね。

89:名無しさん@一本勝ち
15/04/04 05:23:45.05 krMtr0N9O.net
今回もハゲ日記と誤信道の与太話を証明することはできなかったかw
公式資料が出るたび嘘がバレるのが顕八クオリティー

90:日本語講座
15/04/04 16:17:31.21 Zrb6arBS0.net
>>85
今般の史料で判明したのは
高商における
①中国語教育の本格性
②シナ研究会の存在
そしてこれは翌年ということで恐らくは


91: ③満州遠征 以上から満州普及に嘉納館長から武聖へ白羽の矢が立った ことは傍証された。 そして ④軍閥との関係 連隊一つズレるだけで満州との関係は無かったのに これは余りといえば余りの符合だ。 外堀は埋まったね。



92:名無しさん@一本勝ち
15/04/04 22:33:30.57 krMtr0N9O.net
原文をさらさないってことは本当は大したことは書いてないか
自分の都合のいいように曲解してんでしょ

93:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 00:11:28.40 dWsi383W0.net
>>84
いささか年代が・・・・
 
そうですね、講座さんの発掘した集合写真、周囲が皆バリバリ若いハタチ前後の中、武聖だけ28という事になりますからね。
でもどうなのですか、武聖65のお姿は、瑞々しく若いので、その37年前も、ハタチにじゅうぶん溶け込む貌でした・・・・?
 
そう言えば今は、二枚の異なる顔写真を、同一人物か否か判定の出来るパソコンソフトが、あるらしいですよ。
六年前、ある殺人事件の容疑者の、整形し潜伏していた報道を、整形前の手配写真と併せ、機械にかけ、
同一人物と判定されたと、書いていたユーザーが、いました。
僕は詳しくないのですが、そういったソフトを使い、二冊の史料の写真を並べ、個人的に機械判定されてみてはいかがでしょう・・・・?
 
37年の時の経過は、あるいは整形以上に、ひとりの人間の貌を変えるものかも知れないですけれど・・・・

94:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 00:43:39.08 zAkaEGDs0.net
>>82
問題はいつ処分が下されたか?なのでは

95:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 02:04:40.50 2ks6tzXf0.net
>>87
講座さんが>>76に貼って下さったリンクをクリックしますと、pdfがひらけて、読めますよ。
 
「原文」とか、「晒す」とか、何にご立腹なのか、ちょっとわかりかねますが、
せっかく親切に貼って頂いたのですから、まずはひらいて、お読み頂ければと、思うのですが・・・・
 
僕も、>>1さん>>4さん講座さん、どなたもただ丁寧に、親切にご厚意を寄せて下さっているだけですけれど・・・・?

96:日本語講座
15/04/05 02:41:10.61 +n8fWika0.net
>>87
てか
例えば連隊出身は連隊出身であり
都合も曲解も余地が無いけど。

>>88
>二冊の史料の写真を並べ
面白い試みだね。
まあ
①集合写真であり
②座る位置
③体格の合致
④顔の合致
四条件そろっていれば
偶然だ
他の部員に過ぎない
ではちょっと済まされにくいよね。

>>89
サンテル事件は1921年だね。

>>90
高商以前からの三船六段との関係が判明したのも
特筆事項だよね。

97:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 08:03:52.87 2ks6tzXf0.net
>>91
確かにソフトを使うまでもなく、「写真に映る男」が、ほかでもない若かりし武聖なのは、99.99パーセント、明らかそう・・・・
 
それにしても連隊を出てから高商は、異色も異色、たいへん変わった経歴です。
連隊を検索すると、のちに満州へ、師団が丸ごと渡っているので、
その事をおそらく見越し(「師団は拠点を移す」と、既に具体的に聞かされていたのか)、語学、商学の必要があって、入学されたのでしょうね。
 
当時の小樽高商は、東日本を代表するスーパーエリート校だったと云うので、
入学年齢を考えると、武聖がいかに地頭(じあたま)が良かったか、よく判り、然程遠くない後年、早々と財を成し、富豪になられていたのも、納得です・・・・
 
六�


98:D久蔵との関係は、意外に旧くて驚きました。 関係は1917年よりも以前からですが、1917年の、例の(と言うか、既に伝説の)部内集合写真にも、えっと、六船コーチは映られていたん・・・・  でしたっけ・・・・?



99:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 09:44:19.17 0J1YpH4FO.net
ようするに旅日記と護身道に書かれた内容とは違うわけだ

100:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 15:19:52.53 2ks6tzXf0.net
>>93
その二冊には、六船コーチといつ出会ったかについては書かれていないので(今回の史料にはそれが書かれている)、特に「違う」と表現されるべき個所は、ありません。
 
基本的な話、付加情報を「違う」とは言わないんですよ。

101:日本語講座
15/04/05 18:19:08.11 xOOYUqwW0.net
>>92
>99.99パー

そうだね。
何故か2ch住人は
偶然に決まっているだろ!とか自己矛盾な発精をしちゃうんだよね。

>異色も異色
だね。
最初から惣角が粉をかけていい相手ではなかったことが判明したね。

>六船久蔵
・・・

>六船コーチは
集合写真ではなく稽古風景に大山二段と共に映り込んでいるね。

>>93違うどころか従来の学説をピッタリ補強する内容だね。
本道武道揃えとして全道の各部門から代表者が取り上げられる中にあって
大山二段も居並ぶのに独り柔道部門から二日にわたって新聞に特集されたのだから
北の柔道王と銘打たれたのはまさに然りと言えるだろうね。

102:名無しさん@一本勝ち
15/04/05 18:33:56.29 0J1YpH4FO.net
>>94
顕八は三船と同時期に五段
顕八は三船をしめ落とした挙げ句、義兄弟になることを強要した
三船が小樽に指導に来てたのならこの失礼極まりない行いはますます無いね

103:日本語講座
15/04/05 23:35:33.34 15Pzkx0R0.net
>>96
>~と同時期に五段
また迷宮ですかそうですか。
つか
もうそういう段階じゃナイッス。

>~をしめ落とした!失礼極まりない!
それが稽古であり
旧高専の実力ということだね。
今般判明したように
稽古着の背中が破れているのが当たり前な環境ならそりゃそうでしょ。
六船講師は同じく旧高専の
前田小天狗(この方は警視庁)と道友の
○田氏にもしめ落とされているしね。
つか
もうそういう段階じゃNICE

>小樽~
今般判明したのは小樽が当時異例に鉄道網が敷設されたこと。
それで
小樽から札幌の旅館へ小一時間で~
とされた従来の学説がまた補強される形となった。

104:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 00:32:25.51 WrzsHY0LO.net
ケンパチは公式戦の記録が無いから強かったとか
有名な誰々に勝ったとか言われても全然説得力がねーんだよ。
小樽の学校が高専の大会で好成績を残した記録も無し
けっきょく惣角と植芝と三船をダシにした
ハゲの妄想オナニー日記でしか目立てないんだよケンパチは

105:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 03:45:04.33 wdI0dagM0.net
>>95
連隊出の恐怖の監視者に見つかり、シメられてしまったのは、正直な気持ちを述べると、やや不憫でもあります・・・・
 
粉と言えば、ソーカクは佐川邸でたびたびソバやうどんを打ってくれて、いっぱい食べさせてくれたそうですね。
何をやらせても器用だったソーカクの事、ひょっとしたらプロ級の味だったのかも知れません。
 
動画は現代を代表するソバ打ち名人、高橋邦弘氏の早業ですが、味以外にこういった手際の面でも、矢張りソーカクは優れていたのでしょうか・・・・
URLリンク(www.youtube.com)

106:日本語講座
15/04/06 03:53:45.99 cGesoBHQ0.net
>>98もうそういう段階じゃNICE
当時全道三大新聞だった旧小樽新聞�


107:ェ 二日にまたがり記事にしたのだからね。 それがいかに栄誉なことだったか 商大百年史にあえて特筆されたことでも自明だね。 まあ退役軍人だっただけに 斯界での出世が留保されたのだろうけど。 >説得力がねー 説得力が皆無なのはツクオの遠吠えだよ。 以前に私が 武聖が穏田という豪邸街に転居している記録から やはり官立出身だったのではと推察したところ 君たちは空想! こじつけ! 連想ゲーム! 論理的に高商のわきゃ無い! と顕々剛々 いや喧々囂々だったのに 実際こうして高商が証明されたろ。 これを説得力と呼ぶんだよ。ところで剛一のソースまだ?段位と國井氏。



108:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:12:01.60 WrzsHY0LO.net
>>100
俺は高商在籍に関しては否定も肯定もしてねーよ
元々、無名の柔道家をハゲが売名に利用したんだろってレスしてたし
顕八が退役軍人?階級は?またハゲ山の本には無い話しが出てきたな

109:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:17:11.09 WrzsHY0LO.net
>>100
>二日にまたがり記事にしたのだからね。

惣角と植芝と三船をケンパチが総ナメにした話しはその記事が証明してくれるのかい?

110:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:20:52.07 wdI0dagM0.net
>>100
一句できまちた( ’д ’)
 
 
 
「負け犬の
 
 遠吠え見苦し
 
 嘘ツクオ」
 
 
 
顕々剛々w
その四文字に見え隠れするお二人は、武格的には無論だいぶ差があるものの、何か運命を示唆していたのか、両者ともソーカクに触れていますね。
 
高商生だったのを否定してしまった、詐称呼ばわりしたのは、もう取り返しのつかない、決定的な失言でしたね。
しかも謝らないとなると、「自分は雑に、何の根拠もなく故人を罵り、事実が出てきても惚けます」宣言になり、以後の全発言が、そうなります。(無論、以前も

111:日本語講座
15/04/06 04:26:30.51 cGesoBHQ0.net
>>99
>粉
なるほど!
オニ三郎もソバやうどんの調理に関して一家言持っていたようだし
ゼヒ惣角とソバやうどん打ち対決でもして欲しかったね。

>高橋名人
どこか聞いた覚えが。

112:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:26:32.33 WrzsHY0LO.net
高商の学生でしたってだけじゃ何にも証明できんよ。
村井伝説の中でも一番どうでもいい部分だし

113:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:42:06.94 wdI0dagM0.net
>>101
>>105
へ~、「否定してない」「どうでもいい」ねェ
 

┃477 :名無しさん@一本勝ち:2015/02/18(水) 03:52:44.93 ID:0Dz0E4eC0
┃小樽学校の生徒だった証拠すら出てない

 
ありゃ!
過去に否定しちゃってた~
 
またツクオの嘘がバレたね・・・・

114:日本語講座
15/04/06 04:44:57.22 cGesoBHQ0.net
>>101
>>105
>高商在籍に関して否定もしてねーよ!
>高商の学生でしたってだけじゃ
>一番どうでもいい部分だ!
あれだけ剛々に否定しておいて
それは苦しいわ。
君は
どうせ穏田のボロ莊だろ!
とまで喝破していたね。

剛一のソースは?

>>103
お~
高斎

>決定的な失言
まさにそうだね。
もうそこには触れないで他の話しをしてくれ!
は通じまいね。

115:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:49:35.82 WrzsHY0LO.net
>>106
Wikiから出入り禁止くらったレンタル馬鹿は消えろよキモイから

116:日本語講座
15/04/06 04:53:11.37 cGesoBHQ0.net
>>106
決着ですな。
あとは剛一が
・三段だったか
・國井氏より上太刀だったか
ここだけが争点ということで。

117:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 04:53:36.89 WrzsHY0LO.net
>>107
はいはい>>102の証拠と証明よろしくね

118:日本語講座
15/04/06 05:00:04.68 cGesoBHQ0.net
>>108
連樽はわかったから
早よ剛一のソースを宜しく。
>>110
はい
は一度で宜しい。

119:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 05:00:28.84 wdI0dagM0.net
>>107
「住所詐称だ、見栄っ張りが」とまで罵っていましたよ。
 
    ↑
こんな事を平気で書けるなんて、さすがに育ちが悪すぎるんじゃないの・・・・?と、呆れたものでした。
 
高斎w
あの方は、土木作業など労働の話が大好きだったというのが、個人的に好きな人・・・・

120:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 05:03:18.40 WrzsHY0LO.net
>>102はスルーとwwwww

121:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 05:14:28.79 wdI0dagM0.net
>>104
なるほど、ソバ打ち対決ですか。
 
それは面白そうですね。
寧ろそういった対決のほうが、僕は武術の立合よりも有意義なのでは・・・・?と、思っています。
 
ソーカクは、手先を器用に使うのと、歩く歩いて歩き回る事で、合気を作っていたんじゃないでしょうか・・・・
 
>>111
連樽w
 
いちいち小ネタを入れるところがw
剛一は、そう言えば六船コーチに師事したかたが、柔道以外にも合気道をとりいれるべく師事したらしく、お二人の比較評を書いていました。
 
さすがに六船コーチが強かったと、あくまでそのかた個人の私見にはなりますが、仰っていました。

122:日本語講座
15/04/06 05:21:57.72 cGesoBHQ0.net
>>112
バカなのだろうね。
翁は実はご内儀のほうが農作業能力にアドバンテージがあったらしく
見る人が見ればそういうところを衝けたのかも知れませんな。

>>113
>wwwww
植芝マーク
ということでQED
さあ剛一のソースでもどうぞ。

123:日本語講座
15/04/06 05:39:07.00 cGesoBHQ0.net
>>114
>ソバ打ち対決
>武術の立合よりも有意義なのでは
結果がどうあれ
平和的なパラメータで一度烈しく対峙すれば
ニシャの和合へ結実した可能性はあるね。

>歩く歩いて歩き回る事で
ぶっちゃけそれは
その場の技術論的にもあったかもね。
古伝会津弁だと歩きが合気に聞こえるし
惣角がここで歩きを掛けると発声していた蓋然性が無きにしも。

>さすがに六船コーチが強かったと
さすがにさすがだね。
歴史の証言をどうも。

124:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 11:06:35.69 WweFrAPU0.net
>>80
下條小三郎って誰だ?

125:日本語講座
15/04/06 16:01:36.19 cGesoBHQ0.net
いや~
夜間中ツクオがフルボッコでワロタなあ。
引き続き剛一のソースを絶賛受け付け中どす。
そんなものは無いのだけどね。
>>117
ゲジョウ小三郎と読むのだけど
皇武館以前の東京時代に
翁と新陰流の交換教授をした方だね。
武田惣角との知己は
師の柳生厳周を介した間接的な知己であり
惣角柳生との邂逅は一度目の上阪途上にあったのでは
と考証しているのだけど。

126:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 16:10:26.11 WrzsHY0LO.net
>>102の証明まだ~?wwww

127:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 18:38:43.69 O0+jqjzh0.net
新陰流と心影流で元々交流があったのかもしれん

128:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 20:57:51.94 7m338Xpf0.net
>>116
あ、それは面白い発想ですね。
古い会津弁は、「歩き」が「合気」に聞こえる・・・・  なんだかありそうな気、してきました。
 
>>118
コサブローというかたが新陰流、師も無論新陰流で、愛知住まいだったと考えますと、
ソーカクが知己があったとしたら、愛知で出来た、
その辺りを通った事になるゆえに、
矢張り伝説の地、カフェ・ド・テッケンのあった場所は、長良川の畔だったのかも知れません。
 
ちょうどきょう、長良川のアユが報道されていました。
 

┃ 岐阜市、アユを「準絶滅危惧」選定 河口堰が遡上阻害か
┃ 朝日新聞デジタル 4月6日(月)5時6分配信

┃ 岐阜市は絶滅のおそれのある


129:野生生物の種のリスト「レッドリスト」を初めて作成し、アユを「準絶滅危惧」に選定した。 ┃ アユは鵜飼(うか)い漁などで、岐阜市を流れる長良川のシンボルだが、 ┃ 野生生物としては、存続の基盤が弱く、生息環境の変化によっては、絶滅危惧に移行するという位置づけだ。 ┃   ソーカクの生きて歩いていた頃は、その川の名物だったアユが・・・・ 祇園精舎の鐘の声。



130:名無しさん@一本勝ち
15/04/06 22:37:44.71 2iWa919a0.net
武田の合気は剣術から来たらしい
佐川の合気は剣術?柔術?どっちから来た

131:日本語講座
15/04/07 03:35:00.45 u4lzlGQl0.net
>>119
また芝が植えられとるがな。
剛一のソースまだ?
>>120
だね。
恐らく上阪途上
同じ新陰系統ということで
厳周を訪れる程度はしたのだと思う。
>>121
コ三郎は山形出身なのだけど
惣角の山形時代とは時代が食い違うし
どうも両者の足跡に直接的な接点が見出しにくいところがあるんだよね。
とすると長良ルートの時から間接的に
という高商・・・
考証が自然に導き出されもするよね。
ただこの学説にも弱点があって
とすると折り返し途上に惣角が鉄串さんと再会しなかったのか
的な疑問符が否めなかったりも。
>>122
大穴で谷口雅春からとか?

132:名無しさん@一本勝ち
15/04/07 03:48:51.25 +1qopzRnO.net
養神館の関係者の皆様へ
>>123の日本語講座さんがおっしゃる剛一とは塩田剛三先生のことでございます。
何でも日本語講座さんは塩田先生が講道館の三段ではなかった証拠を見つけたそうです。
それを塩田先生を貶めるネタとして使用、煽りまくっていくそうなのでw
どうぞ皆様でお好きな対応をなさって下さい。
もちろん無視でもかまいませんよww

133:日本語講座
15/04/07 16:14:58.94 u4lzlGQl0.net
>>124
んで
剛一が柔道三段だったソースと
國井氏に太刀で勝てたソースは?
他人ではなくツクオ本人が
持っている!
と主張したソースなんだから
他人に泣き付くのではなく
ツクオ本人が開陳せんと。

134:名無しさん@一本勝ち
15/04/07 18:33:20.26 8cZG8w6k0.net
>>>122
佐川氏の合気は、合気から来ているのでは・・・・
合気そのものを取り出して、身につけ、伸ばすのを課題とした・・・・
 
話変わると、ソーカクは「鍛錬しているのを見た事がない」と、佐川氏証言しましたが、
実は目の前でいつも見せていた、すなわち歩くのを鍛錬としていたのかも・・・・
 
>>123
芝が植えられとるw
 
毎度むりやりな小ネタに、笑わせてもらっています。
テッケンさんとは、確かに再会しなかったのかという、基本的な疑問が出ますね。
 
そうなると、旅の行き帰りに、地図上くいちがいのある一点、矢張り大阪が、「その地」だったのでしょうか・・・・

135:名無しさん@一本勝ち
15/04/08 02:41:27.71 HV/NaXtf0.net
少し調べてみたら、明治初頭の旅、
中部、関西付近を行き来するには、木曽路と呼ばれる、本州中央寄りのルートどりが、普通だったようです・・・・
 
ソーカク1876年の旅は、師である榊原健吉に挨拶するため、まず東京、しかも港区という海沿いへ足を運ぶ必要があったわけです。
 
そのため行きは、向かう地が四国だったので、傾向として、全体的に海沿いのルートになったものと思われます。
しかし帰りは、通常の通りやすい、木曽路がとられたであろうと考えるのは、べつだん無理はありません。
 
すると行きと帰りでルートがちがう、すなわち「かの地」をとおったのは一度きり、再会する事も無かったと、なります。
 
伝説の地は、もろもろの条件が満たされる、矢張り愛知、三重間辺りの、長良川だったのでしょうか。
カフェがまだ残っていれば、テッケンさんの写真もあるかも知れません・・・・

136:日本・天皇G林田+内田 ◆WSZ7beIuXw
15/04/08 03:21:55.93 mOslx7w20.net
連絡が入った。無料でカメラを貰える俺の妨害をしているのは「陸上自衛隊 第3方面 ~」。これは足立区の誰かが自衛隊に直に連絡をして妨害している。
妨害理由は、足立区に預けられた「昔のウエサマ の女」を他の男に「転売」「預け直し名目」で譲り渡して子を作らせたののカモフラージュ。
当然、妨害者は「厳重な処罰」(A級戦犯・国賊指定・国家反逆罪・天皇への反逆罪)である。この関係者は多数死んでいる。預け直しで受け取って使った男たちも、共犯者であるのでB級・C級戦犯扱いである。

137:名無しさん@一本勝ち
15/04/08 21:15:55.23 qR3UIyoP0.net
ところで中国が勝った気になっている。東北の雄もがんばってほしい。
URLリンク(news.infoseek.co.jp)

138:日本語講座
15/04/09 01:49:43.27 1SGnJDv70.net
>>126
ふむ
歩きを鍛錬に代えていた
というパターンは大いにあり得るね。
太刀を構えなかったファイトスタイルからも
歩きながらの
長良・・・
ながら太刀のテイストが伺えるし。
大阪説は
やはり有力なのかな。
考えてもみれば鉄串さんを誰よりも意識していたハズの惣角が
復路に同ルートをとらなかったのも不自然な話しかも。
>>127
と思いきや
木曽路という
基礎路を見逃していたね。
鍵吉経由もあったね。
すると鍵吉ルートから日本橋へ迂回した可能性が浮上し・・・
そもそも長良ルートは通らなかった?

139:名無しさん@一本勝ち
15/04/09 20:10:05.59 l3deMzws0.net
>>130
一部>>127に訂正があります。
鍵吉の道場は、台東区でした。
 
講座さんが「日本橋」と仰る理由が、一瞬わからなかったのですが、調べると木曽路のまさにスタート地点、
街道の始まるのが、日本橋だったのですね・・・・
 
そして台東区と日本橋は、さほど離れていないので、
台東区へ寄った以上、四国へ向かう旅は海沿いになるだろうという、僕の推理は、崩れました。
 
単に日本橋へ、少しだけ移動すればいいだけですからね・・・・  移動して木曽路へ入り、旅を便利なものとすればいい。
勿論、木曽路だろうと海沿いだろうと、長良川は通るわけですが、海沿いじゃないという話になると、再会の生じなかった理由が、無くなってしまう・・・・

140:名無しさん@一本勝ち
15/04/09 20:11:42.69 gvEOPgMh0.net
次スレ立てました
【日本屈指】合気界の最強者・望月元晴【3】
スレリンク(budou板)

141:名無しさん@一本勝ち
15/04/09 22:18:22.91 l3deMzws0.net
ウェブを調べて回っていると、惣角1876年の旅、かの鵜戸権現に遭ったのが、浜松だったという情報に当たりました。
 
浜松に顕れ・・・・現れたのだとしたら、厳密には鵜戸権現じゃなくなりますが、それは


142:いいとして、 浜松に立ち寄ったという回想が出てきたのは、材料として大きいです。   つまり惣角は、木曽路ではなく、浜松に立ち寄るルート、ほぼ間違いなく東海道を使ったのが、これにより判明した事に・・・・   東海道も木曽路同様、日本橋がスタート地点です。 では木曽路を選んでも(むしろ選んだほうが)いいだろうという事になりますが、会津から木曽路へ入るには、日本橋から始める必要はありません。   ここでわかった重要なポイントは、日本橋近辺、つまり台東区に用があったのだろうという事です。 用は鍵吉への挨拶以外、考えられず、すなわち鍵吉への師事が史実だったのも、ここから割り出せてしまったと、言えるのではないでしょうか。



143:日本語講座
15/04/10 03:38:32.73 Uad086M/0.net
>>131
確かに木曽ルートで長良越えをしたとして
長良川は長良川でも木曽ルートにカフェが存在した場合
往路で避ける理由も無いからね。
>>133
と思いきや
そう言えば浜松ルートも惣角関連の諸伝承には出て来ていたね。
ここで浜松説も盛り込めば
浜松を経由する理由はやはり柳生説かな。
で柳生目的だけだと
浜松が必要だとは限らないから
東海道に乗る積極的な理由を探ると
柳生との関連からもやはり鍵吉の介在が逆算される
となるのだろうか。
なるほどねえ。

144:名無しさん@一本勝ち
15/04/11 02:32:55.36 F1EdnFXD0.net
>>134
そうですね、確かに「なぜ東海道に乗ったのか」
 
これは東海道を一つの線分と考えた場合、線分の両端が両端である理由、
すなわち東京と尾張(愛知県西部)に、立ち寄る理由が存在したから。
 
東京と尾張に、何があったか。
 
東京は鍵吉。
尾張は柳生。
 
これは理由として、ほぼ確実でしょう。
更に推理を進めるなら、同じ新陰流、おそらく鍵吉に紹介状を貰ったと考えて、飛躍は無い気がします。

145:日本語講座
15/04/11 04:02:58.03 uTNvoL9M0.net
ふむ。
どうやら解けたね。
改めて惣角の
新陰流との関係性を強調して考証すると
・(厳周の)済寧館時代以降の惣角は既に北海道の人であり
・植芝盛平の教授代理と同時に新陰流の伝書も授与し
・また新宿時代?は度たび十二社のコ三郎邸を訪ねている
以上から有意な接点が惣角前半生の中部時代しか考えられず
どこかに中部時代があったとすれば
やはり浜松説と連動せざるを得ないだろうね。
カフェ一つから惣角氏が
わけても大東流合気の創造史が解けて来つつあるね。

146:日本語講座
15/04/11 05:02:21.11 uTNvoL9M0.net
訂正
惣角史が
だね。
なお
惣角からの新陰流伝書には
何故か二代目が江戸柳生の但馬守となっているけど(以後中略)
これは済寧館以降尾張柳生が歴史的な東京進出を果たしたことを
伝書の年代的にも反映している可能性があるものと思われるね。

147:名無しさん@一本勝ち
15/04/11 16:39:53.02 pEHVlQQp0.net
佐川で習う剣に新陰の匂いはなかったけどなあ。
濃いのは、一刀流。と思った。

148:名無しさん@一本勝ち
15/04/11 19:40:50.96 GRjvh+k/O.net
有名な惣角の小手連打も一刀流系列の技だにょ

149:名無しさん@一本勝ち
15/04/11 21:48:35.47 Q52vSu3Q0.net
>>136
こう改めて箇条書きにして頂くと、コサブローという人物は、ソーカクに並々ならぬ影響を与えたんだなあと、
正直なところ驚かされます・・・・
 
ソーカクは人が誰もいない時、まだ少年だった佐川氏だけがいる前で、
「これが心影流の極意だ」と、剣を見せてくれたのだそうです。
それは次々に必殺の角度へ吸い込まれるものでした。
その日その時、次元がちがうとさえ


150:言える剣を見た事が、佐川氏が生涯、武を追い求める事になった、或いは理由なのかも知れません。   その剣に、シンカゲリューちがいではあるものの、どうもコサブローが影響を与えたらしいのが判り、 誰なんだろう、どんな人なのだろう、どれくらい強かったんだろう、どうしよう・・・・  と、俄かに興味が膨れ上がっています。



151:日本語講座
15/04/12 05:16:17.03 jdzbCzcL0.net
>>138
太刀の基礎はそうだろうね。
>>139
惣角の片手斬りと居合いは多分にマロバシの影響だろうね。
>>140
コ三郎こそが大東流と合気道
両史を読み解く秘顕・・・
秘鍵だろうね。
むろん
惣角がコ三郎から目録以上を得て
盛平に目録を授けた
というパターンは年代的にありえないけど
ではどこで惣角がシンカゲの目録以上を得たのかといえば
日新館との間がプッツリ途切れているし
そもそも日新館の伝系からして伝書の内容と微妙に違うし
やはりコ三郎派しか
時代を溯って明治中葉以前にしか接点が見出せないんだよね。
技法面では間合いに関して
最終的に翁の完成に寄与したのがコ三郎だったそうだしね。

152:名無しさん@一本勝ち
15/04/12 07:44:10.68 oFeF6jtVO.net
惣角はシンカゲは弱いから嫌いなんだな
師匠の榊原も弱いから見下してるんだな

153:日本語講座
15/04/12 16:02:08.66 jdzbCzcL0.net
正確には
袋竹刀が嫌いだった。

154:名無しさん@一本勝ち
15/04/12 18:45:52.43 Edh4bo8I0.net
>>141
1986年度連載開始、小説『鬼の冠』を、久々紐解いてみました。
 
すると1876年、秋に始まる、かの旅に、東海道(木曽路ではなく)が使われたと、既に明記されていました。
物語には、旅の目的も書かれていて、大阪の桃井道場を目指したとあり、確かにそれなら、東京に寄った場合、木曽路よりも都合が良いですね。
 
いずれにせよ東京というファクターは外せなく、東京すなわち鍵吉という事になりますから、とりあえずのところ、惣角の師事歴は、否定出来ないでしょう。

155:名無しさん@一本勝ち
15/04/12 23:47:40.08 1dxtvl330.net
それで、なぜ突然>>144で、旅の話に戻ったかと言うと、
実は『鬼の冠』に、新陰流が登場していたのです。
 
作中「名高い新陰流の遣い手の道場」と表現される、柔剛館という場所へ寄るために、
東海道を名古屋で離れ、岐阜へ向かったと、書かれていました。
 
岐阜に入って、すぐの場所にあったらしいです。
道場主は早坂三五郎というかただったと、ありました。
 
しかし、このお名前を検索しても、ウェブには当たらず、道場自体も、それらしきのが見つかりませんでした・・・・
作中、とりあえず新陰流が登場したのは、ここだけなので、どのように扱えば良いのか、単にフィクションと割り切り、無視して良いのか・・・・

156:名無しさん@一本勝ち
15/04/13 00:37:41.48 m1FvqAZMO.net
惣角が時宗さんのコーチとして選んだのは一刀流の先生
惣角の死後に時宗さんが研究してたのは一刀流

157:日本語講座
15/04/13 20:36:38.06 JU88Z4oy0.net
>>144
情報どうも。
小説は史実をどこまで反映しているか不明だけど
意味もなく交通の便が悪い東海道のほう
と書いているわけでもないだろうね。
>>145
岐阜の
三五郎か~。
恐らくは批判となってしまうことへ配慮しただけで
尾張柳生のことだと思うよ。
厳周は農民へは教えないとした高飛車な方だったらしく
当時の惣角では随分と邪顕・・・
邪険にされたのではないかな。
それがお互い黒歴史だから後世に明文化されていないというパターンで
三五郎はコ三郎をもじったネーミングだろうね。

158:名無しさん@一本勝ち
15/04/13 23:15:4


159:8.94 ID:NT6z7GVa0.net



160:日本語講座
15/04/14 03:44:41.16 p1Tgc1ft0.net
惣角の腕前は本当にそうだね。
大本では太刀で剣道教師を素面素小手で圧倒しているし
体術でも明治の免許を打ち倒している。
明治後半生まれがおいそれと及ぶ位ではないだろうね。
一瞬話しを拡大すると
恐らく惣角の人生は新陰ということもあり
どこかで鵜戸権現に感応し
求めるというものだったではないかと思う。

161:名無しさん@一本勝ち
15/04/14 20:02:08.99 Am/Y00KZ0.net
>>149
剣道教師を素面素籠手で・・・・
矢張り惣角の剣は、次元がちがったと言ってよいのでしょうね。
 
ちなみに、器用な人間は、ものすごく剣が強いです。
 
惣角が、剣に於いては水を得た魚になったという言い伝え、色々と身近な例からもよくわかり、
そういう意味では、黒田泰治氏なども、確かに剣にかなり向いていたのは、窺い知れます。
 
それでも惣角の剣は、刃鳴りや一点集中等、さすがにものがちがいますが、だからと言ってそういう差を、そのまま新陰流全体に、適用は出来ません。
 
影流の祖・愛洲久忠は、鵜戸の岩屋に参籠し、1787年、35歳の時、剣の覚りを得たとされます。
確かに惣角は、自らの人生を新陰流の歴史そのものに、ややオーバーラップさせていたのかも知れないですね・・・・

162:名無しさん@一本勝ち
15/04/15 06:00:53.82 1GVKjOb6O.net
続・大東流の七不思議より
>ついでながら、ものの本には惣角が柔道家に締め技で落とされてしまったと書いてありますが、
同書にはどう考えても非現実的な武勇伝が数多く書かれており、
それらと合わせて考えると、あまり信憑性はありません。

ハゲ日記ケンパチww世間様からの信頼度零wwwこれが現実wwww

163:日本語講座
15/04/15 16:35:06.19 P/Phmj620.net
>>150
1487年だね。
惣角は鵜戸権現に感応し
植芝盛平はシンカゲの中に見出した
鹿島系に感応する人生だったのではと思われるね。
>>151
久八段が惣角から
惣角が敗れた話しを聞かされた
と書かれた史料も存在するね。
他に敗れた話しも聞かないから
恐らく同一の件だろうね。
本人がそう証言しているなら
それでいいんじゃないかな。

164:黒魚老師
15/04/15 18:13:37.48 3X/qVzQl0.net
>46
理屈ではそうだが、物理的に体重が二倍三倍あれば同じ条件なら無理なのよ。
それ以上の感知出来ないスピードを得たりすれば小さい人も勝てるけど。

165:名無しさん@一本勝ち
15/04/15 19:44:08.71 V/QRjbD/0.net
「里諺曰、千人所指、無病而死、臣常為之寒心」w

166:名無しさん@一本勝ち
15/04/15 20:34:05.95 1GVKjOb6O.net
URLリンク(www.youtube.com)

167:名無しさん@一本勝ち
15/04/15 23:19:36.69 bci0Ghsu0.net
>>153
だから程度が低いレベルでどや


168:顔してんと、 もっと稽古しろよ。



169:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 02:24:52.94 XMJ27ZvJ0.net
>>152
あ、1「4」87年でしたね。
300年まちがえちゃった・・・・
 
久八、惣角からじきじき聞かされていたのですか。
佐川氏も聞かされていたわけだし、こう何人もの高弟へ、惣角ご本人が話していた事を、目の色変えて否定しても、意味無いのではと思うのですが・・・・

170:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 02:38:10.23 XMJ27ZvJ0.net
>>153
>>156
体格に劣る人間が、重い荷物を持ち上げるのと、
体格に劣る人間が、体格に優る人間を投げる事、どちらも大変な技が要ります。
 
どちらか一方だけ、程度が低いなどという事は、ありません。
少ない力で大きい物が扱えるという、寧ろ共通点のある話になり、興味を持つのは悪くないと思います。

171:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 03:12:32.75 pxMviW8/O.net
>>102の返事まだ~?
剛一への煽り続けないの~?
久がケンパチの名前出してるソースどこ~?

172:日本語講座
15/04/16 04:27:54.99 RM2VXGut0.net
>>157
興味深いことに
久八の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。
恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。
久忠は決定打だったね。
>>159
ん?

何か混線した?

173:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 04:39:48.12 pxMviW8/O.net
>>151
ケンパチ監修公認のハゲ本が嘘だらけだったからどうにもなりまへんな~

174:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 04:42:22.58 XMJ27ZvJ0.net
そろそろ武田惣角の年表も作っていきましょうか・・・・
 
 
1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる
1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
1876年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
1876年秋..      男の旅立ち
1877年 .3月    大阪の桃井春蔵の道場を離れる
 
 
まずこんなとこですかね・・・・

175:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 04:52:12.73 XMJ27ZvJ0.net
>>160
数あるお弟子さんの内、
ひょっとしたら惣角が一番かわいがったのも、久八だったのかも知れませんね・・・・
 
久八と角義だけには、合気を教えた。
そんな噂も、あったりします・・・・

176:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 15:47:41.52 wPWLkdA90.net
>>158
重い荷物を持てる力があれば武術も・・・
ないよ。
「女、子供の方が上達が早い」と言う逸話や、
「力はいらない。」まはと言われる
「日本の」
武術に関しては。

177:日本語講座
15/04/16 17:31:32.57 RM2VXGut0.net
>>161ああ
>>160自己訂正。
興味深いことに
久忠の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。
恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。
久八は決定打だったね。
>>16273年の奉額ではまだ竹田姓なんだよね。
当然といえば当然なんだけど
年代的に
77~79年の長旅以降ではない点が重要だと思う。
つまり
73年の時点では
清和源氏→武田氏(→愛洲氏)のインスピレーションを受けていなんだ。
むろん
98年の史料では既に改姓している。
とすると
「それ」
は晩くとも柳生の尾張時代
そして頼母は一刀流(溝口派)
ではいつと考えると年表作成上おぼろげながら見えて来るものがあったりするね。

178:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 18:01:08.62 pxMviW8/O.net
2015年9月11日(金)から~13日(日)の3日間にわたって
塩田剛三生誕100周年イベント開催
主催~塩田国際合気道連盟
場所~千葉県、勝浦の日本武道館研修センター

179:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 18:06:01.78 4uU9TLi+0.net
リアル筋肉ってなに?

180:黒魚老師
15/04/16 18:40:13.79 q2JCO9040.net
力はいらないというが、佐川先生が力はあればあるほど良いと言いましたけどね。
そういう人がリラックス出来るかなんです。

181:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 19:28:27.39 ccq/dw9+0.net
>>168
それは「分かった人」が鍛えた場合の話。
ただ重いものを持ち上げる力だけの人は上達が遅くなる。
力を使う癖が出るから。
だから力を使う癖の少ない「女、子供は云々」と言われる。
こんなことちゃんと稽古をしてれば分かること。
お前、ただの佐川ファンだろ??

182:名無しさん@一本勝ち
15/04/16 19:50:42.95 eoZ7t1xi0.net
佐川氏も、若い頃は近代的なウェイトトレーニングをガンガンやって
逆三角形の体型にしたけど結局そういう筋力は武術には余り関係なかったということで
結論してたハズ

183:名無しさん@一本勝ち
15/04/17 11:11:44.70 4eqtqhTR0.net
東北の食品も十分チェックしてほしい。盛岡も注意が必要かな。
URLリンク(www.youtube.com)

184:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 02:47:04.34 jWqtye760.net
>>164
まはと言われる?
ちょっと意味がわからない・・・・
 
>>165
ご投稿を目にし、あァそう言えば奉納額というのがあったなと思い出したので、
その写真が載っていた史料を取り出すと、1875年・・・・  のようです。
 
今更ながら、最初は竹田姓だったのですね。
少し年譜を更新します・・・・
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1877年 .3月    大阪の桃井春蔵の道場を離れる

185:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 03:12:21.64 jWqtye760.net
>>170
佐川氏の一時期の体は、無論これはこれで凄いですが、確かに所謂「近代的」ですね。
URLリンク(www.aikidosangenkai.org)
 
でも>>8にも貼った、この方たちは、近代的な体じゃないと思うし、近トレの力でもないと思うんですけど・・・・
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

186:日本語講座
15/04/18 04:17:36.87 +D45HaaQ0.net
力といわゆる筋力も分けて考えないと
話しが混線するよね。
オニ三郎の岩ゴロゴロは合気だと思うし
筋力ではない(無理だ)と思うけど
力と表現する人が居てもいいだろうからね。
>>172
訂正どうも。
ところで惣勝の逝去は
75年と
76年
両説あるけど
奉額に典拠すると
75年ということになりやしないかな。
その年
そこに居合わせたということで。
額に名前を連ねているということは
奉納演武に参加して・・・いた?
あとは門人帳と数合わせをするしか無いなこりゃ。

187:日本語講座
15/04/18 04:52:44.57 +D45HaaQ0.net
とりあえず
八重の桜の中野竹子さんは奉額に見当たらない。
となると
記載名は少なくとも歴代門弟一同ではなく
養気館一同か
存命者一同なんかね。

188:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 05:36:11.84 jWqtye760.net
>>174-175
なるほど、75年に惣角が会津にいるわけですから、
その「いる理由」は、兄が亡くなり呼び戻されたからと考えるのが、自然でしょうね・・・・
 
年表を訂正します。
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去

 
中野竹子さんというかたは、不勉強で申し訳ありません、存知なかったのですが、
肖像が残っていて、大変キレイなかただった�


189:謔、ですね。 http://bakumatsu.org/blog/wp-content/uploads/2012/03/00389_l.jpg   検索すると、黒河内伝五郎に師事したと出てきましたが、渋谷東馬にも就いていたのですか・・・・



190:日本語講座
15/04/18 18:14:29.53 +D45HaaQ0.net
中野竹子さんはそうだね。
バカが否定していた二道者だね。
存命といえば
当時二年不在だった宗角が存命だったとは限らないから
少なくとも奉額は存命者一同とも言い切れないね。
とすると養気館一同かな。
あとは保科門からの出立のタイミングで
年表と改姓の時期が推定できそうだ。
というか戸籍に改姓の時期が書かれているハズなんだけど。

191:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 19:49:09.18 cq1lpoub0.net
>>177
二道くらい、歩む人いくらでもいるでしょうに、なぜムキになって否定するのでしょうか・・・・
僕には解せませぬ。
 
ところで>>174に、さらりと大事な話を書いて下さったのを、見落としました。
奉納演武に参加していたのではないか、という箇所です。
当時、奉納演武と言うと、今で言う柔道の福島県大会か、それ以上(多分それ以上でしょう。年一回でしょうから)の、重要行事だったに違いありません。
そんな、一門の栄誉のかかった演武会に、当時15歳、今で言う中三が出るなど、普通は無いと思います。
 
余程見栄えのする武技を持っていたのだと思います。
二年後、軽業師の一団に加わった際、剣と手裏剣術を看板芸にしたのは、この時の演武が自信になったのかも知れないです・・・・  既に名手だったのも、逆算出来る?

192:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 20:29:59.90 cq1lpoub0.net
武田惣角は、父・惣吉が185センチ(流石に時代的にありえないと考え、10センチ差っぴいても175)あったのに、一説には148しか無かったと云います。
 
まさか・・・・  小人症だったなんて事は・・・・
画像を見ても、確かに異常に小さい印象です。
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
 
でも惣角の大体同時代(歳は四つ下)を生きた、フランスのアンリロートレックさんという画家は、見るからに、より異様な体型をしています。(152センチ)
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
 
ロートレックは、中一で左大腿骨、中二で右大腿骨を、不幸にも事故で折り、その時ピタッと背が停まってしまったのだそうです。
小人症でありながら史上唯一、所謂天才だったとされる人ですが、病理学的な検査を受けたわけでもなく、症状名の断定は、出来ないそうです。
 
芸術の大家として名を残す以外に、えらく器用だったらしく、銃を持たせたら百発百中、狩に出たら、外す事が無かったのだとか・・・・
遠く異国の地に、どこか似た人がいたのですね・・・・

193:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 21:02:55.62 IpvAN97g0.net
信夫、リアル筋肉ってなんだよ?

194:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 22:47:54.74 dVENzWtFO.net
>>166
2015年9月11日(金)から~13日(日)の3日間にわたって
塩田剛三生誕100周年イベント開催
主催~塩田国際合気道連盟
場所~千葉県、勝浦の日本武道館研修センター

195:日本語講座
15/04/18 23:00:20.29 +D45HaaQ0.net
>>178
>二道くらい
>歩む人いくらでもいるでしょうに
>なぜムキになって否定するのでしょう
バカなのだろうね。

>当時
>奉納演武と言うと
>重要行事だったに違いありません
考えてもみればそうだね。
だからこそ奉額まであるのだろうし。

>余程見栄えのする武技を持って
>この時の演武が自信になったのかも
なるほど。

>既に名手だったのも
>逆算できる
論理的に正剛・・・
整合するね。

196:名無しさん@一本勝ち
15/04/18 23:09:16.10 dVENzWtFO.net
なんでいつも言葉に力が無いんだろ?

197:日本語講座
15/04/18 23:27:31.40 +D45HaaQ0.net
>>179
頭を強打して身長が停まる症例


198:もあるそうだね。 相撲か竹刀打ちでそうしたことがあった可能性もゼロではないね。 惣角は作中においてではなく 西郷頼母に不覚にも背後をとられたことがあったらしく これは別に頼母がオニ三郎のような達人だったからというより 自分より小柄な人に不慣れだったから というのもあるだろうね。 >中一で左大腿骨 >中二で右大腿骨 成長期に大腿骨を折っても同じことが起きるらしいけど 左右を別々に折ること自体がもっと珍しいね。 こういう人ほど肉体の成長に動員されたハズのエネルギーが他に充当されたりしたのかな。 >>183 IDがツクオと一緒だからじゃね?



199:名無しさん@一本勝ち
15/04/20 02:17:22.08 dVbJUdXb0.net
え、ちょっと待って下さい、頼母、惣角よりも小さかったのですか・・・・?
 
慌てて画像を検索すると、よく知られた西郷四郎とのツーショットが出てきて、これじゃ検証出来ないな・・・・   と思ったら、
四郎が153センチだったのを思い出し(僕も一応柔道をかじった身なので、知っていた)、青ざめました。
URLリンク(bakumatsu.org)
 
ち、小さ過ぎる・・・・
これだと確かに、小さ過ぎて見失うかも知れないという講座さんの推理、的を射ているかも知れません。
 
背の伸びが停まる原因に、外傷性のものもあるのは、初めて知りました。
まだまだ人体は、果てしなく奥が深いです・・・・
 
あくまで小説ですが、惣角は鍵吉に、面を撃たれ気絶しているので、あるいはその瞬間、背が停まったのかも知れないですね。

200:日本語講座
15/04/20 03:18:39.96 QXIKTpMw0.net
ハッキリとはわからないけど
呼び名や西郷四郎との比較からも
頼母は惣角より小さかったようだね。
URLリンク(page.freett.com)
それこそ前スレ?の本田サゴ兵衛や小弾平と同じ二つ名だし。

>頭が大きく
とあるから小人症かな。

>柔道と和歌には際立った才能が有った
とも書かれているね。
柔道?
惣角の心影修行は惣吉の伝手だから
そこまで烈しくは扱われなかった気もするね。

201:名無しさん@一本勝ち
15/04/20 04:00:25.38 dVbJUdXb0.net
>>186
リンク先、拝見しました。
 
「三尺ダルマ」などという、妖怪めいた呼び名が冠されてしまっていたのですね・・・・
ロートレックの、>>185の画像と較べやすいショットですが、確かに異様ではあるものの、較べやすいだけに、更に頼母が小さいのが判ります。
URLリンク(cdn2.all-art.org)
 
小人症・・・・  だったのでしょうか。
 
だとしたら病理学史上一人しか確認されていない、「小人症でありながら名を成した(not見世物)」という、奇跡の例が、
ほかでもない我が国に、二人もいた事になります。
 
同じ日本人として、誇りを覚えてなりません。

202:日本語講座
15/04/20 04:15:52.10 QXIKTpMw0.net
ロートレックは隣の人も小さく見えるね。
ただ頼母は細いのも相俟って
確かにもっと小さく見える
かな。
希少種だね。
頼母と惣角
両者のDNAを調べる手立てでもありやしないかな。

203:名無しさん@一本勝ち
15/04/20 04:22:26.62 dVbJUdXb0.net
>>186
本田サゴ兵衛、確かに前スレ、お名前出していましたね。
むむむ、何やら妖怪めいた響きのある人・・・・  いつかお話下さいませ。
 
柔道は、確かに気になりますね。
とにかく「やわら」に、異常に才能があるという人は、いるのかも知れません・・・・
 
鍵吉は講座さんの仰るように、惣吉と旧知の仲だったようですから、後遺症を残すほど�


204:フ扱われようは、なかったでしょうね。(失礼しました)   思ったのですが、遺骨をDNA解析すると、今は小人症だったか否かも、判ると云います。 惣角、頼母、ついでに惣吉の遺骨を調べたら、さまざま貴重な事実が判明するでしょうね。



205:名無しさん@一本勝ち
15/04/20 04:31:24.53 dVbJUdXb0.net
書いているあいだに、講座さんの>>188が入りました。
 
「DNA」という意見が、かぶりましたね・・・・
お二人とも、確か墓があったと思います。
 
道義上著しい問題があるとは思いませんので、遺骨を「借りて」、一度我国の栄誉のためにも、検査機器にかけてみてほしく・・・・

206:名無しさん@一本勝ち
15/04/20 07:48:11.59 558v25pS0.net
惣角は双子じゃなかったか?
小さいのもそれが理由なんじゃね

207:日本語講座
15/04/20 16:42:43.31 QXIKTpMw0.net
>>191
そうだったの?
塚原卜伝が双子だったのは聞いたことがあるけど。
//dic.ニコビデオ.jp/a/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8D%9C%E4%BC%9D
>>190
ちょっと笑った。
遺骨は
過去帳よりもレンタルが難しそうだね。
惣角が小人症かどうか
手が大きいのが唯一の難点なんだよね。
そうするとやはり双子かな。

208:名無しさん@一本勝ち
15/04/21 23:43:58.66 t0mXIchG0.net
合気は惣角の前からあったのだろうか?

209:日本語講座
15/04/22 03:50:34.24 O9Rl1J+S0.net
言い古されていることだけど
技術的にはむろん存在したし(技術合気?)
柔術用語としても存在したね(用語合気?)。
あえて大東流との接点を考証してみると
用語合気の母体流派には例えば
URLリンク(www.geocities.jp)
この人がいたわけで
更には
その人が創流した分派が
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
これ。
んで母体流派の分布が
URLリンク(dspace.wul.waseda.ac.jp)'%E8%B5%B7%E5%80%92%E6%B5%81%E6%9F%94%E9%81%93'
こう
となると西郷豆彦の
>柔道と和歌に際立った才能が~
の柔道とは
用語合気込みで上掲の分派だった可能性がゼロでもないね。

210:日本語講座
15/04/22 17:16:16.05 O9Rl1J+S0.net
リンクが巧く貼れなかったけど
URLリンク(www.geocities.jp)
は文字列の通り定信のサブセクションをクリック。
その師の方の創流はこのように
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
特異なものだったそうで。
ただここをそのまま大東流の源流とすると
今度は清和源氏の仮託が説明し切れないけどね。

211:名無しさん@一本勝ち
15/04/23 19:28:10.58 KaH4aC7l0.net
>>191
惣勝は年齢がちがったし、名著『鬼の冠』には、一ページだけ妹が出てきますが、双子だとは書かれていなかったと思います。
でも興味深い情報です・・・・  改めて色々史料にあたってみますね。
 
>>192
ぜひ連樽・・・・  レンタルしてほしいものですね。
 
手はそうですね、よく気がつかれたと思います。
確かにその部位の大きい小人症は、ありえないのかも知れません。
 
双子は左利きになる確率が高いと云いますから、左利きの惣角は、矢張り双子だった、そして双子だったがゆえに小さかったと、考えられます。
 
>>193-195
なるほど、豆彦(w  の教えてくれた「柔道」とは、セーベークニノリの、神武柔道だったと!(※しんぶじゅうどう、と読む。ちゃんとした流派名)
合気という用語はクニノリの先輩が創ったのですし


212:、大東流がぶっちゃけこの流派だったと考えれば、用語の伝わっていた理由もすんなり説明がつきますね。



213:透明な智から
15/04/24 03:36:37.13 H3bKomhN0.net
>連樽
何か懐かしい響きだね。
そう言えば武聖の戦後初出って今更ながら
山田一郎の本よりも以前の史料なんだよね。
巻末に旅日記近刊とあるから
山田本にある伝説の一戦も恐らくはこの筋の情報だろうね。

>神武柔道
技法的には総てそこにあったのだろうけど
改めて確認すると厳周のアザナが三五郎だったんだよね。
すると考証通り
小説の描写はどこか真実であり
シンカゲから否定したい大きな影響を受けたことにもなって来るのかな。

214:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 04:04:52.59 fjukHccY0.net
>>197
えっ、厳周が三五郎だったのですか・・・・?
 
でもまァ、ほぼ>>147のご高察通りだったのが、これで判明したかたちになります。
透明な智からさんの頭脳、相変わらず凄いですね・・・・
 
年表を少しだけ更新します。
 
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸

215:透明な智から
15/04/25 04:52:49.40 lISpn1A60.net
さてかなり進んだね。
次に移ろう。
惣角南下の動機は桃井道場
或いは西南戦と種々囁かれているけど
いずれも中途的に発生したもので
そもそもの主因は第一次上京が中断されている点にあると思う。
というのも挨拶や添え書き入手のためだけに
強いて遠隔地から第二次上京を果たすのも考えてみれば奇矯な話しで
子弟の修行に理解のある鍵吉が
惣角の一時帰郷に際して来るべき上阪に向けて予め添え書きを持たせるのは充分あり得るし
すると第二次上京の当初の目的は上京自体にあった可能性が大きくもなる。

216:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 05:11:42.78 DtCFNlRfO.net
透明な智から=日本語講座=信夫

217:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 05:19:42.80 fjukHccY0.net
>>200
あれ、ひょっとして負け犬のツクオじゃない?
生きてたの?
 
>>199
お~、二次上京の目的は、上京自体にあった・・・・  わくわく。
ここからどう推理が展開するのか、楽しみに待っています。

218:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 14:30:06.80 DtCFNlRfO.net
負け犬はお前だ自演レンタル

219:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 14:32:01.40 DtCFNlRfO.net
剛一への煽りが不味いと感じて改名かよヘタレww

220:透明な智から
15/04/25 16:37:02.79 lISpn1A60.net
>>201
繰り返しだけど
地獄坂・・・
じゃなくて坂下から上阪するには
直接木曽入りしたほうが何倍も効率的だしね。
>>203
徳一?
それって上記史料の方の後輩のこと?

221:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 22:02:27.03 DBCjevVS0.net
>>204
地獄坂、さすがに何の事だか解からなかったんですけれど(笑)、検索したら、おォ・・・・
 
かの武聖の通われていた、スーパーエリート校の門へ向かう、坂ではないですか・・・・
美しい眺めです。
URLリンク(otaru-class.com)
 
今から百年前、かつて武聖も、ここを歩いて、登られていたのですね・・・・
 
惣角は、1876年末~1877年3月の滞在中、既に桃井春蔵と試合(おそらくは竹刀スパー)で、互角だったそうです。
高一にして、この実力。
 
天才だったのかも知れません・・・・
透明な智からさんのお話の続き、楽しみにです。

222:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 22:04:43.62 DBCjevVS0.net
楽しみです。
 
でした。

223:名無しさん@一本勝ち
15/04/25 23:56:12.29 DtCFNlRfO.net
>>102 >>124 >>159

224:透明な智から
15/04/26 03:42:11.78 4SA9n


225:u3/0.net



226:名無しさん@一本勝ち
15/04/26 07:19:55.38 aEdIKmAo0.net
惣角は一刀流と直心影流の影響どっちが濃いんだろう

227:名無しさん@一本勝ち
15/04/26 09:34:42.54 7BvUwfgP0.net
>>208
>>209
一徳齋との交流があったのを、佐川氏が聞いていない筈は無いし、
また透明な智からさんが>>204に再び簡単に纏めて下さった推理は、天才なら浮かばなくもないでしょう。
 
三五郎の件も併せると、よりカゲ流の影響のほうを、少なくとも隠したいのは、窺えるのではと。
惣角ではなく、佐川氏の意向としては。

228:名無しさん@一本勝ち
15/04/26 10:12:25.43 SX2DQF56O.net
一人三役おつかれさん

229:名無しさん@一本勝ち
15/04/26 11:56:15.00 7BvUwfgP0.net
年表更新。
 
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋..      榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春~秋   鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。

230:透明な智から
15/04/29 03:51:55.84 C4aXsb+a0.net
>>209
ワンクッション置くと
二刀剣は明らかにシンカゲの天狗抄の影響だよね。
居合いや片手斬り
晩年の盛平の手かざしは直シンカゲの影響。
>>212
春蔵とは3-2だったともされているよね。

231:名無しさん@一本勝ち
15/04/30 10:41:42.71 zjtRuWYs0.net
>>213
おォ、そうですか・・・・
ではそれも組み込み、年表を更新します。
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋..      榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。3-2でまさったとも云われる。
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春~秋   鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。
┃ 1877年 .9月末   西郷隆盛の訃報に触れ、一座と別れた。熊本へ向かう。
┃ 1877年10月末   熊本を出立。延岡へ。

232:名無しさん@一本勝ち
15/05/01 21:26:56.47 ts7ze3kq0.net
やっぱり合気は白鳳会が最高!

233:名無しさん@一本勝ち
15/05/01 21:59:09.86 5F6QmvTDO.net
あったりまえだのケンパッチ

234:透明な智から
15/05/02 02:12:19.62 Tb333Odi0.net
>>214
養気館は坂下だね。
>>215
最高峰は渋谷区(新宿区)の某会
更には同門の首都圏の某会だろうね。
>>216
興風会の前田小天狗は伝説的だね。

235:名無しさん@一本勝ち
15/05/02 10:42:35.04 +650wvwa0.net
>>217
前田小天狗、検索したら漫画の主人公にもされた人なのですね・・・・
すごいなァ
 
画像の前田整骨院を開業し、昔は書生や乞食をタダで住まわせ、併設の柔道場(地下、34畳)は、今も連綿と続いており、小天狗の伝えた技が学べるのだそうです。
URLリンク(www.google.co.jp)
 
あまりに貴重な、幻の道場ですね・・・・  東京在住だ


236:ったら、武者修行に訪れたいのですが、居住地域に無理あり過ぎるのが、残念です。



237:透明な智から
15/05/02 22:47:45.72 Tb333Odi0.net
現況は流石に知らなんだ。
どうも!
若?先生も九段らしいね。

238:名無しさん@一本勝ち
15/05/02 22:50:24.09 qwyU3JrvO.net
村井珍八らしいらしい

239:透明な智から
15/05/03 00:37:48.92 HuT3E47U0.net
親子で九段は新記録だね。

240:名無しさん@一本勝ち
15/05/07 01:11:18.71 lNZbo7MF0.net
僕はいつも、合気を探してテクテク歩いている。
冷えたブナの森の中を、暗い北の湖のほとりを。
合気はどこにあるのか。
どこかで気が燃えだしてくれないか、枯れ腕が炎を噴いてくれないかと期待しながら。
いつも一人で、いつまでもいつまでも歩いている。
草地に散り敷いたブナの枯葉の上にひざまずき、身を折って、ぼくは何度も地面に額を押しつけた。
古い城の塔の頂きに立ち、湖を見つめて祈ってもみた。
でも合気には出会えなかった。
 
約束の地に戻ってから、人はみな合気を探した。
しかし世界を焦がす業火の中に、合気は無かった。
世界を滅ぼす大地震の中にも、合気は無かった。
嵐の中にも、地を揺する強風の中にも、合気は無かった。
 
しかし、木々をそよがせる黄昏の微風の中に、合気はあった。
 
自然の中にすべての啓示は現れる。
数式や真理の中、芸術の内にも。
それらは磨き抜いた鏡だから。
神の意志はそういうものに映る。
人格を持つ神を、僕は信じない。


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