15/05/07 01:36:27.17 lNZbo7MF0.net
>>219
>>221
新記録ですか!
そうですね、考えてみれば、親子二代に亘り九段位は、聞いた事がありません。
武聖にお相手して頂けた方たちは、矢張りそれだけの光栄に浴せただけあって、凄い人ばかりです。
惣角の年表を更新します。
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┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年.. 東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年.. 兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年.. 板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年.. 保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋.. 男の旅立ち
┃ 1876年秋.. 榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬 柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃 大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。3-2でまさったとも云われる。
┃ 1877年 .3月 桃井道場を辞去
┃ 1877年春.. 大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春~秋 鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。
┃ 1877年 .9月末 西郷隆盛の訃報に触れ、一座と別れた。熊本へ向かう。
┃ 1877年10月末 熊本を出立。延岡へ。
┃ 1878年 .3月 鹿児島で武者修行中、一度会津へ戻るのを決意
┃ 1878年 .5月上旬 会津にいたのを、仙台への武者修行の旅に出る