15/03/24 20:09:39.90 wKiHOADI0.net
>>18
そうですか、盛平にも口伝されているもの、あったんですね・・・・
あの時代、盛平には色々な技法が集まって、勿論大東流もなのですが、それ以外にいわゆる行法と呼ばれるのが入った事で、
どちらが上どちらが下(大東流と)、というんじゃなく、植芝流は文化として、新天地へ向かったように、思えてなりません。
ただただ歩くのに徹する・・・・
それは「目的地に向かうついでに」では、究極のところ間違っていて、向かう場所を持たず、歩くの自体を目的にする―― そういう意味でしょうか。
わかったようなわからないような、でもとても深いアドバイスを、ありがとうございます。
>>19
むむむ、僕じゃまだ蹴っちゃってるかも・・・・
ただ、「とっかかりが掴めた」と感じるなりに、少しだけ理解(?)出来る気もします。
歩くのは、前へ進もうとしては、どうもいけないみたいです。
ゆっくりと、ちからをぬくのだけ考えて、上下に弾ませる・・・・ 気づいたら昨日も、颯爽と早歩きをする、あるいは走る人々を、次々抜き去っていました。
修験の早足、そう言えばありましたね、そんな話。
佐川氏が、歩くのは惣角についていくのがやっとだった、その方法は、日本語講座さんの推理通り、一族にしか伝えなかったのかも?