15/04/25 04:04:52.59 fjukHccY0.net
>>197
えっ、厳周が三五郎だったのですか・・・・?
でもまァ、ほぼ>>147のご高察通りだったのが、これで判明したかたちになります。
透明な智からさんの頭脳、相変わらず凄いですね・・・・
年表を少しだけ更新します。
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┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年.. 東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年.. 兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年.. 板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年.. 保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋.. 男の旅立ち
┃ 1876年秋か冬 柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃 大阪の桃井春蔵の道場に到着
┃ 1877年 .3月 桃井道場を辞去
┃ 1877年春.. 大分の鶴崎港より九州上陸