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会津藩士・武田惣吉の次男として、陸奥国(現在の福島県)河沼郡会津坂下町で生まれた武田惣角は、
13歳の時、父を説得して上京し、父の友人であった直心影流剣術の榊原鍵吉の内弟子になった。
東京府内の各剣術道場で他流試合を重ね、剣術の他、棒術、槍術、薙刀術、鎖鎌術、弓術なども学んだ。
明治21年(1888年)、福島県会津坂下町でコンと結婚その後実家を出て放浪の身となった。
明治37年、北海道を縄張りとし、樺太から東北六県、新潟から東京まで勢力を伸ばしていた東北の鬼門たる丸茂組を単身でで制圧した。
まさに鬼神のような活躍であった。全国行脚の最中に様々な他流試合や野試合を行い、大東流合気柔術の実戦性を証明したといわれる。
東北においてより実践的な技術を編み出したといえる。口伝のやまめ釣りの技法は東北を巡回した際に生まれたのではないかとも考えられる。