11/12/18 15:58:24.74 unQvxk6K
>>365
シベリア抑留記 ~凍土の丘に遺体を埋める~
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『鬼気迫る野ざらしの遺体』
半ば餓死状態で死亡した兵隊たちは、一糸も纏わず遺体置き場に野ざらしにされた。
それは、骨に皮がくっついただけのミイラのようであった。
しかし気が付くと、生きている私達の様相も死者とあまり変わらなかった。
私自身もあばら骨が胸にはっきりと浮かび上がっているのを見てぞっとする。
作業に駆り出されて途中で意識を失って死ぬ者も現れる。
このラーゲルに来てから一ヶ月も経たないのに、私達の収容されている建物の死者は三十名を越えた。
当初は、死者が出た班でその埋葬を担当していたが、もうそれでは追いつかなくなってきた。
埋葬場はラーゲルから少し上の小高い丘を切り開いて作られていた。
土は固く凍っているので、 立ち枯れの木を伐採して運び、積み上げて一昼夜ほど燃やす。
土が融けて軟らかくなったところを見極めて、素早く掘って死体を埋める。
はじめは、一人づつ埋められて、そこに立てられた杭に死体番号と名前が書かれていた。
だが、このラーゲルに来て一ヶ月も過ぎた一九四六年(昭和二十一年)一月になると、
死者の数は一日に十人を超えるようになり、一人づつ埋めていたのでは処理できなくなった。
私達捕虜はペチカの薪集めと糧秣の受領以外に、死者埋葬という作業が加わった。
もはや立ち枯れの木を探している余裕はなくなり、埋葬場を作るために切り開いた時に伐採した生の木も混ぜて、高さ五メートルぐらいの櫓に積み上げた。
この櫓に火を付けると二昼夜ほど燃え続ける。
火が消えて灰が残っている間に、大急ぎで深い穴を一気に掘りあげた。
そして、橇に乗せた数体の遺体を一挙に放り込む。
もう名前は書かれないで、埋めた跡に立てられた十字の杭に死体番号だけが記された。
私の班にも、伐採、穴堀り、遺体運搬という仕事が割り当てられた。
初めて遺体運搬を担当した私は、まるで地獄絵をみるような思いがした。
板塀に囲まれた遺体置き場の雪の上に無造作に放置された野晒しの全裸の遺体は鬼気せまるものがあった。
運搬用の橇に遺体を頭と足との向きを反対にして二体づつ積み込む。
この日は五台の橇に四百四十一番から四百五十番までの十遺体を運んだ。
残りは次の日に廻される。私たちが運んだ遺体は、どの顔も
「こんなとことろに埋められたくない」
悲しそうな表情をして私たちに訴えているように見えた。
だが、遺体は掘り上がったばかりの穴に無造作に放り込まれる。
凍った遺体のぶつかり合う音が、私には泣いて何かを訴えているように聞こえた。
遺体が全部放り込まれると、穴掘り係が大急ぎで土をかける。
その上に打ち込まれた十字の杭に、ソ連の将校が遺体番号を書き込んだ。
その隣では次に埋める穴を掘るために櫓に積まれた木が燃えている。
また別のところでは木を櫓に積み上げる作業をしている班もあった。