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2008年3月24日 - 最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月25日 - 弁護側、静岡地裁に第二次再審請求。
2010年4月20日 - 衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。
2010年8月24日 - 袴田巌死刑囚救援議員連盟が「袴田死刑囚は心神喪失状態にある」として時の法相・千葉景子に刑の執行停止を要請した[3]。
2011年1月27日 - 日本弁護士連合会が、妄想性障害等を理由として、刑の執行停止と医療機関での治療を受けさせるよう法務省に要請した[4]
2011年2月11日 - 千葉法相の指示の下、法務省は袴田を含む複数の死刑囚を対象に精神鑑定などを実施したが、
袴田については「執行停止の必要性は認められない」との結論に達していたことが明らかになった。
2011年8月 - 第二次再審請求審において静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、
5点の衣類の再鑑定をすることを決定したことが弁護団などから明らかになった。再鑑定の結果次第では再審の可能性があるとされる。
2014年3月27日 - 静岡地裁、再審開始、死刑及び拘置の執行停止決定。袴田元死刑囚は同日午後に東京拘置所から釈放[5]。
袴田は30歳で逮捕されて以来45年以上にわたり拘束され(ギネス世界記録[6]、2014年3月27日まで東京拘置所に収監)、
死刑確定後は精神に異常を来しはじめ、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。
現在は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、
特に事件や再審準備などの裁判の話題については全くコミュニケーションが取れなくなっている。
このため、2009年3月2日より袴田の姉が保佐人となっている。袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っている事が判明している。