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1966年7月4日 - 静岡県警清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、
当時「こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。
1966年8月18日 - 静岡県警が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
1966年9月6日 - 犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。
1966年9月9日 - 静岡地検が起訴。
1966年11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
1967年8月31日 - 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。
1968年9月11日 - 静岡地裁、死刑判決[1]。
1976年5月18日 - 東京高裁、控訴棄却。
1980年11月19日 - 最高裁、上告棄却[2]。
1980年11月28日 - 判決訂正申立。
1980年12月12日 - 最高裁、判決訂正申立棄却決定送達。死刑確定。
1981年4月20日 - 弁護側、再審請求。
1994年8月9日 - 静岡地裁、再審請求棄却(決定書日付は8月8日)。
1994年8月12日 - 弁護側、即時抗告。
2004年8月27日 - 東京高裁、即時抗告棄却(決定書日付は8月26日)。
2004年9月1日 - 弁護側、最高裁に特別抗告。