14/04/07 12:13:37.52 xyMtGlxk0
戦闘記録見ると馬鹿としか思えないんだが
あくる4月7日早朝、大和を察知したアメリカ軍は、空母部隊に迎撃命令、その兵力は、新鋭空母12隻、艦載機およそ800機、
大和の護衛機はなかった。のこっている「大和戦闘詳報」と生存者の証言から、大和がいかに戦ったかを記す。
「12時32分」 敵機100機が、雲の合間から出現、急降下爆撃を開始。
「12時45分」 アメリカ軍の魚雷が1本、左舷に命中。射撃を目測に頼る対空砲火は、
厚い雲に阻まれて大和は主砲を使うことができなかった。
「13時34分」 アメリカ軍の雷撃機が、左50度から6本の魚雷を投下、3本命中。
「13時44分」 さらに2本がまた左舷に命中、大和は左に傾いたが、ここで注排水システムが作動、平衡を取り戻す。
アメリカ軍は巧妙だった。魚雷はほとんど、大和の左舷ばかりを狙った。大和の注排水システムは、
やがて限界に達した。その直後、3本の魚雷が大和に命中、再び傾いた大和は、バランスを取り戻すことはできなかった。
「14時17分」 またも魚雷が左舷中央部に命中、大和は傾斜が大きくなった。長官は、特攻作戦中止命令を下し、
長官室に入って内側から鍵をかけた。
「昭和20年4月7日14時22分」 大和は横転、大爆発を起こした。沈没によって命を落とした乗組員は、3000人以上に上る。