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部族を懐柔し、同化し、大和朝廷体制下に組み込む事に成功したタケハヅチの一族、中臣氏は織産や稲作技術を広め、この地に繁栄をもたらした。
神仏論争や大化の改新で活躍した中臣鎌子、後の鎌足はこの一族の出自。
鎌足の子孫は藤原氏を名乗り、千数百年に渡り朝廷を実効支配する事になる。
奈良にある藤原氏の氏寺、春日大社は鹿島神宮からの勧進であり、託宣の占い時に肩の骨を用いる神使の鹿もこの際、鹿島から奈良に一部を移住させている。
カガセオの一族は一部はこの中臣、物部に同化、一部は地下に潜った。
平将門や、源氏系佐竹一族、水戸光圀(義公)も女系先祖は基を辿れば全てこの一族である。
歴史では「承平天曉の乱(平将門の乱)」「佐竹一族隆盛」「水戸光圀による神仏分離及び大日本史編纂事業」「水戸浪士による桜田の門外の変」「新選組旗揚げ」「徳川慶喜による大政奉還(無血の国譲り神話の再現と言える)」
日本人の精神史においては「武士道」「仁侠道」「将門信仰」そして全ての明治維新の志士に多大な影響を与えた「尊皇攘夷思想」。
歴史の裏表、要所要所でこの常陸の国、すなわち星が海に沈み、日(太陽)が立つ(登る)地に眠るアマツカガセオの子孫、則ち、石に封印された星神の系譜は日本社会の文字通り「礎」となっているのである。