14/09/12 20:15:03.82 /oHxAgox0
>>213
そう、そのポリネシアルート。
入墨の風習は卑弥呼の時代までは風習としてあったことが「ぎ志倭人伝(スマホが馬鹿でぎが変換でけん)」に記されている。
伝説のヤマトタケルの軍にも鯨面の将がいたらしい。その人が恐らくニギハヤヒ系の物部一族の人。
入れ墨の風習は時代とともに廃れてったけど物部の民が地下に潜った時にヤクザ文化の大元として残ったはず。だから仁侠道と武士道は根底で相通づるものがある。
首かざる>武士が戦で首を取った事が手柄の証で、敵将の首を四条河原に晒すでしょ?あれを同じポリネシアンルートの台湾原住民はつい最近までやってた。