14/05/01 04:33:46.26 /JD1g1040
>>606
最初は隠喩かと思ったんですがどうもそうじゃないと思った理由は、「即食べてね」というニュアンスだったからです。
要するに、「お供えもの」と同じことだったんですね。
「本当の意味で『神上がり』してない存在」は、まだまだこの世的で人間的な性質(食欲とか)を残しています。
そして、霊はお供えものの「エッセンス」を食べてるんですね。
対して正神は人間的な欲からは脱していますのでそういったものは欲しがりませんし、だからそういった意味でのお供えは本来は必要ないんです。
ではなぜ神にお供えを奉納するかといったら、お供えしたものに神の気をいただいて、それをあとで「お下がり」として戴くためなんです。
これは神道でもキリスト教でも同じです(キリスト教では「聖体拝領」がそれに当たります)。
だから普通の霊や、魔神的存在にお供えしたものはエッセンスを吸われますので正直「不味く」なります。
反対に、正神にお供えしたものは、神のご神気をいただいているので逆に「美味しく」なっている
というのも両者の違いとしてあります。