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その頃の母の実家は、まだ茅葺き屋根で、水道の代わりに山水を使用し、土間にある竃で料理し、
近くの川で採れた魚を囲炉裏で焼いたりしていました。私は京都での暮らしとの違いに感動しました。
特に囲炉裏に薪をくべるのが楽しく囲炉裏端からは離れられませんでした。
ただ一つ閉口したのが、トイレでした。
トイレは、母屋とは離れた納屋に有り、夜になると真っ暗な納屋の中を手探りで進み、
やっと裸電球のスイッチを入れなければならないのです。
溜め便だったのは当然としても、人糞を肥料として使うために、やたらと巨大なのです。
私が、「こんなところに落ちたら危ないよね」と言うと、
従姉が「ひいおじいちゃんの頃に落ちた子が、まだ沈んでるらしいよ」などと言うのです。
勿論、私をからかうための嘘を言ったのですが、怖くて、私は夜はなるべくトイレに行かないようにしました。
伯父の子供は従兄が3人の下に、少々チャキチャキして私をからかうようなことを言うこの従姉がおり、
従姉は私の5歳上で末っ子だったせいか、私のことを弟分のように思っているようでした。