08/08/16 21:35:49 dC9Dn4LB0
>>127
戦時中は浜島に航空基地があった。波切に行った兵隊の本部は磯部に置かれた。終戦直前
には渡鹿野島に震洋の特攻基地を作るという愚かな計画があった。波切の周辺に数多くの
軍事物資が輸送されても、大部分は波切と無関係だったのではないか。蒸気機関車の話も
かなり怪しいのだが、鳥羽で切り離したことを間違えて記憶していたのではなかろうか。
昭和30年代まで舗装道路は都会以外では珍しく、未舗装の悪路をバスが平気で走っていた。
URLリンク(qqmemoir.exblog.jp)
海外に目を移せば、21世紀の今日でも中国やアフリカ諸国の地方では未舗装の幹線道路
などいくらでも残っており、悪路を平然とバスが走り、人々の生活を支えている。従ってバス
路線があるという事実だけでは道路がよく整備されていた証拠にはなり得ない。時代背景を
理解していれば悪路しか通じていなかったとしても別段恥じる必要はないのだが、なぜ根拠に
なり得ない根拠のみをもって否定しようとするのだろうか。人として、そのような行為こそ恥じる
べきではないのか。よい陸路はなくとも海路があった、それでよかろう。
話を戻して三島。鳥羽から1時間もかかる僻地の神島に行く物好きは少ないというようなことを
三島が書いている。波切は神島同様に鳥羽から1時間かかるのだから、三島の基準では僻地
であろう。たかが1時間されど1時間。都会の人間と僻地の人間とでは共有できぬ感覚か。
三島が大王崎を訪れたにもかかわらず作中に描写しなかったのであるならば、それは大王崎
が三島文学の舞台に相応しくないという不名誉な評価に繋がるのではあるまいか。ならば
こだわらぬ方がよいのではなかろうか。