07/11/16 10:34:09 2TIN8rBO0
JRの淺川駅から高尾山にいく途中の、甲州街道の両側には側溝があり、綺麗な水が流れていた。
甲州街道の両側の家々の人達は、その側溝でお米をとぎ、野菜を荒い、食器まで洗っていた。
昭和20年の事だけど、それを通りすがりに見ながら、東京育ちの僕らには考えられない事だった。
また当時、学徒動員にて淺川(現高尾)に行って居た僕達は、軍が 朝鮮人に掘らしたトンネルの入り口に、
荒縄で作った目の荒いネットに、杉の枝を引っ掛けてカムフラージュするのが、仕事で、
当時、中学2年の僕たちには、毎日が杉の木に登って枝を落として、大八車で運ぶのが仕事だった。
それは、高尾山の反対側の山、甲州街道の左側の山に、当時トンネルが3本掘られて、
西荻窪と三鷹にあった、中島飛行機の機械を運び、据え付けたところで、終戦になったのです。
あのトンネルは、今はどうなっているのだろう。
菅原道真の銅像がある公園の奥に、入り口があるはずだけど。