08/11/14 10:00:44 1eYxl4vA
>>211
念の為補足するけど、重視と言うか、自動的にどっちに偏ってるかの問題なんだ。
どっちを重視したいかってなら、俺だって感覚の方だよw だから相方が
「全部いいの」「気を遣わないで」「細かい理屈なんかいいから感覚で生きよう」
と言ってくれた時に「わ~い」と喜んで、俺の感覚をそのまんま出した訳なんだよ。
で相方が疲れちゃったと。問題の根本は、この感覚基準の異常なズレにあり、
自分の脳内感覚は自動的にどっちに偏ってるか?という意味で書いている。
俺、これでも「細かい理屈なんていいのー、てきとーでいーのー」のつもりだったんだよwww
ADHDだけと思い込んでてさ。相方も若干ADHDぽいから親近感覚えて好きになったんだろうな。
でも気がついたら、脳内で言葉が走り回ってるんだ。それがつながって答えが出る事で、
自分の意識の方向性を確認でき、生きてる実感も沸く。
脳内の言葉がつながらないと、動く事すらできない。
そういう事を「論理偏重」と指してる。
対して、俺にはよく分からないけど、脳内を言葉じゃ無く、絵が再現されまくって、
同時に感覚も再現されまくってしまう人も居るらしい。または、それが絵じゃ無くて
言葉や音でも、自動的に感覚が強く出て、言葉や論理よりも感覚を満足させる事で、
意識の方向性の確認や生きてる実感とかを得られる人も多いらしい。
そういう人は多分「感覚偏重」なんだろうなと思ってる。